辺野古(社交街組合)バー街の入口。各国の国旗。

今回は、辺野古(沖縄県名護市)の町並みと風俗を散歩します。
普天間飛行場の移転先の候補地として揺れる辺野古ですが、ベトナム戦争当時は、キャンプシュワブ近くのバー街として、賑わいました。*1
現在もスナックが営業中です。

バー街の入口近くに社交業組合の建物があります。

「地域と共に歩むが我らがねがい」と書かれています。

入口の壁の各国の国旗がデザインされています。

*1 高嶺朝一:知られざる沖縄の米兵(高文研,1984)P.185-P.190

参考文献

参考記事

うるま(基地の前の理容室)BARBERの文字。

うるま市の北側に、海兵隊基地のキャンプコートニーがあります。(写真右側)。
キャンプコートニーは、沖縄戦で戦死し、最高級の栄誉勲章を受けたコートニー少佐の名を基地名にとっています。*1

正門の前にコンクリート製の小さな建物が数軒並んでいます。

店名の「コートニー」の右側にうっすらと「BARBER」と書かれています。米兵向けの理容室だったようです。

現在は物置として使われているようです。

【参考文献】
*1 新崎盛暉、他:観光コースでない沖縄-第4版(高文研,2008)P.160

参考文献

参考記事

うるま(勝連半島のバー街)英文字の店名。

勝連半島の県道8号線沿いにバー跡と思われる建物が並ぶ一画があります。

米軍施設「ホワイトビーチ」からは距離が離れていますが、店名は英文字で書かれているので、かつては米人向けの飲食街だったのかもしれません。

「RESTAURAN」の文字。

判読できませんが、店名が英文字で書かれています。

参考文献

参考記事

うるま(石川社交街)かつての米人相手の特飲店跡?

今回はうるま(沖縄県うるま市)の町並みと風俗を散歩します。
琉映前バス停の近くに「石川社交街」と書かれたゲートがあります。
1956年の沖縄タイムスに、石川の盛り場についての次のような紹介記事があります。*1 「市場通りが大衆マーケットで庶民的なのにひきかえ13号線(現在の国道329号線)はいわゆる米人相手の特飲店が集まっている。バー、カフェーが約20軒、具志川村川崎、登川のマリン隊と金武駐屯のGIをねらっているが、コザ方面の盛り場とは趣が違い、一見落ち着いた遊廓である。」

現在、この付近はバーやスナックが立ち並ぶ飲食街となっています。

四つ角にあるスナック。

沖縄らしい穴あきブロックで装飾された建物。

【参考文献】
*1 沖縄タイムス(1956.10.3 夕刊)P.2

参考文献

参考記事

真栄原(青丘の塔)慰安所跡地

嘉数高台は、沖縄戦において最初の激戦地の一角で、20日間にわたって激しい戦闘がありました。*1

青丘之塔は、沖縄戦で軍夫などとして動員されて亡くなった朝鮮人の慰霊碑です。この場所には、朝鮮人女性が慰安婦として働く慰安所がありました。*2

青丘之塔の碑文。

「この塔にねむれる人は とつくにの えにしぞ深き 霊なりけり」と書かれています。

-----青丘之塔の碑文----

嗚呼 ここ沖縄の地に太平洋戦争の末期、かつて日本軍たりし韓民族出身の軍人、軍属386柱が散華(さんげ)し侘(わび)しく眠っておられます ここに思いをいたし日本民主同志会は38度線板門店の小石38ヶを写経と共に碑礎に鎮め、イデオロギーと国境と民族を超越し人道主義を遵奉し、哀(かな)しき歴史を秘めたこれらの御霊(みたま)を慰霊顕彰するために、最も激烈なる戦闘を展開した戦跡嘉数の高地に志を同じくする諸賢、あわせて関係機関並びに地元嘉数地区の御協力を得て、韓民族出身沖縄戦没者慰霊碑「青丘の塔」を建立し永久に英勲を讃えます
昭和46年5月吉日
【参考文献】
*1 高教祖教育資料センター:沖縄の戦跡ブック・ガマ(沖縄時事出版,2009)P.55
*2 福地曠昭:オキナワ戦の女たち(海風社,1992)P.103-P.106

参考文献

参考記事

真栄原(嘉数高台公園)市街地のど真ん中の普天間飛行場。

真栄原の高台にある嘉数高台(かかずたかだい)公園に、地球をデザインした展望台があります。沖縄本土が大き目に描かれて強調されています。

展望台からは、普天間基地が見わたせます。普天間航空基地は、第二次大戦の米軍の沖縄占領のとき、日本本土攻撃のためのB29爆撃機専用の滑走路を建設し、終戦後も海兵隊航空基地として整備されました。*1

宜野湾市のど真ん中を普天間基地が占め、周囲の土地に日本人の住宅がひしめいているのがよくわかります。米海軍・海兵隊の航空基地の設置基準に照らすと、「滑走路両端の延長線上4500メートルの範囲には住宅、学校、病院があってはならない。」定まられているので、普天間基地は、米本国ならば使用が禁じられる不適格が軍事施設です。*1

滑走路から飛び立った軍用機が轟音をたてて旋回しながら上昇していきます。

【参考文献】
*1 新崎盛暉、他:観光コースでない沖縄-第4版(高文研,2008)P.138-P.142

参考文献

参考記事

真栄原(自動車ホテル)人間は常に若若しく

嘉数高台公園へ向かう途中の坂道。

「自動車ホテル」の看板があります。沖縄ではモーテルのことを「自動車ホテル」と呼ぶようです。

人間は常に若若しく 人の心は ひろく まるく 美しく

未成年者は入室禁止です。偽って入室すると補導されます。

参考文献

参考記事

真栄原(社交街)現在は休業状態です。

真栄原の社交街は、県警と宜野湾市などが取り組んでいる浄化作戦により、現在は休業状態となっています。*1

軍普天間飛行場に隣接する真栄原は戦後、米兵相手の売買春が横行したため、1950年ごろ、当時は集落から離れていた現在の場所に作られました。*1

営業している店は1店舗もありません。

夜になっても営業している様子はありませんでした。

【参考文献】
*1 沖縄タイムス:沖縄タイムスニュース(2010.7.2)「売春根絶 なお課題 真栄原社交街

参考文献

参考記事

真栄原(アダルトショップ)社交街の看板がとりはずされていました。

真栄原社交街の入口付近。以前はこの道の入口(写真右側)に「真栄原社交街」と書かれた看板*1 がありましたが、現在は撤去されています。

社交街へ向かう道の途中にビデオ店があります。

ビデオ販売の看板

消えかかった「アダルトビデオ」「アダルトグッズ」の文字。

【参考記事】
風俗散歩(真栄原):真栄原社交街(2009.2)

参考文献

参考記事

真栄原(おもしろ看板)公民館前が発祥の地

今回は、真栄原(沖縄県宜野湾市)の町並みと風俗を散歩します。
全国各地に「×××発祥の地」というのは数多くありますが、真栄原は、「おもしろ看板発祥の地」です。

おもしろ看板というのは、このような「ダジャレ看板」のことで、防犯や交通安全の標語が書かれています。

こちらは「夜遊びはダメデス」の看板。

「キスに注意」の看板。

参考文献

参考記事