秋田(料亭「濱乃家」)秋田市料亭組合に加盟している料亭。

現在、秋田市料亭組合に加盟している料亭は、志田屋、濱乃家、あきたくらぶ、川寿、銀なべ、いくよ、東光くらぶ、松下、かめ清、の9店があります。*1
そのうちの1軒「濱乃家」が川反通りにあります。

料亭「濱乃家」。

門柱に「濱乃家」の屋号。

川反の殷賑を支えるエネルギーを感じる空間です。

【参考文献】
*1 黒川一男 著:川反いまむかし(無明舎出版,1995)P.9

参考文献

参考記事

秋田(川反通り入口の行燈)川反芸者と秋田美人。

今回は、秋田(秋田県秋田市)の町並みと風俗を散歩します。
秋田市川反(かわばた)は、古い歴史を持つ市民遊興の地として、全国的に名声が轟いています。*1
川端(川反)は、秋田市内の旭川の岸に芸者屋・料亭等軒を並べた一廓にあって、元は米町にあった遊廓と一緒だったのが、明治20年頃の大火の際、遊廓は市街外れの南鉄砲町に遷され、芸者屋は分離して旭川橋畔川端に移ったものです。*2

二丁目橋交差点を渡った川反通りの入口にあたる歩道脇に、「川反さいぐきたなあ」(=川反へようこそ)」と書かれた大きな行灯(あんどん)が設置されています。

川反芸者は、純粋な秋田っ子でなければならず、それ故、子供の頃から養子入籍をさせて舞妓に、舞妓から芸妓に仕立て上げ、移入はほとんど無かったことから、舞妓が多いのが特色で、特有の「川端情緒」なるものが醸し出される原因の一つはここにありました。*2

「全国花街めぐり」の著者の松川次郎さんは、秋田美人と川反芸者について、「新潟から秋田、津軽に一大美人系があり、色白く皮膚は滑らかで頭髪が美しく、性格はしとやかで東京風のおきゃんな面白い芸者は稀であるが、情合は甚だ濃厚。」*2 と述べています。

【参考文献】
*1 黒川一男 著:川反いまむかし(無明舎出版,1995)P.8
*2 松川二郎 著:全国花街めぐり(誠文堂,1929)P.708-P.717

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参考記事

土崎(佐原商店の自販機)珍しいハンバーガーの自販機。

土崎港にある佐原商店。数種類の自販機が並んでいます。

珍しいハンバーガーの自販機。「チーズ」と「テリヤキ」の2種類があって、いずれも200円です。

電子レンジで温められたホカホカのハンバーガーが食べれます。

ハンバーグを頂いた後は、うどんに挑戦です。
男鹿水産の自販機*1 では残念ながら食べれなかった「天ぷらうどん」を食すことができました。価格は200円です。
雪の降る中、暖かい食べ物をとると元気が出ます。

【参考記事】
*1 風俗散歩(男鹿):男鹿水産前のうどんの自販機(2012.2)

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参考記事

土崎(塩乃湯)看板建築の銭湯。西洋風の近代建築。

土崎港近くの県道56号線沿い。

銭湯の「塩乃湯」があります。現在は休業しているようですが、貴重な西洋風の近代建築です。

奥行のある建物です。

銭湯でありながら、見事な看板建築の建物です。

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土崎(土崎遊廓跡地)港に和船が入らなくなって急速に後退。

土崎港、新柳町に遊廓が置かれることが許可されたのは、文政4年(1821年)で、文政7年頃には揚屋が12軒もありました。新柳町の最も繁栄したのは明治の中期で、同25年以降になると、港に和船が入らなくなって景気が急速に後退しました。*1

新柳町があったのは、現在の土崎港南二丁目あたりでした。*2

土崎の花街は、いまのスーパーのジャスコのある所にあって、検番、置屋もあって賑やかでした。*3

現在、花街があったあたりは、住宅街となっていて当時の面影はありません。

【参考文献】
*1 佐藤清一郎:秋田県遊里史(無明舎出版,1983)P.219-P.222
*2 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)P.69
*3 黒川一男 著:川反いまむかし(無明舎出版,1995)P.19

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土崎(旧稲荷町に残る建物)かつての歓楽街。

今回は、土崎(秋田県秋田市)の町並みと風俗を散歩します。
土崎は、古くから秋田第一の貿易港で、雄物川の河口あたりは、物資の集散地として繁栄しました。藩政期には、稲荷町の裏通りは、多くの揚屋まがいの宿があって、多くの”浜女(私娼)”を抱えて、金遣いの派手な船乗りを相手に束の間の春を売る歓楽街となっていました。*1

文政4年(1821年)、正式な遊廓は新開地の新柳町と定められましたが、その後も稲荷町は公然たる私娼の町として栄え、昭和初期には、8軒の料理屋に40人ほどの酌婦がいました。*2

道路沿いに、妓楼風の建物があります。*2

風情のある2階部部分。

【参考文献】
*1 佐藤清一郎:秋田県遊里史(無明舎出版,1983)P.219-P.222
*2 新人物往来社:歴史の中の遊女・被差別民(新人物往来社,2006)P.286 木村聡「秋田紀行 遊廓後跡を訪ねて」

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男鹿(あけぼの町のスナック)かつての色町を思わせる風景

船川港のあけぼの町には、スナックが点在しています。

かつての色町を思わせる風景です。

雰囲気のある入口。

スナックが数軒入る建物。

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男鹿(あけぼの町の飲食店街)貨物船の乗組員や近郊近在の若者達の遊び場所として繁昌を極めました。

船川港のあけぼの町(通称奥町)には、飲食店が道の両側に軒を連ねて立ち並び、その一角に十指に余る二階建て作りの料理屋(割烹といった)がありました。そこで働く女中の中に「女郎」と言われる女が居て、当時入港の多かった貨物船の乗組員や近郊近在の若者達の遊び場所として繁昌を極めました。*1

若者が奥町へ行って遊ぶことを山羊買いと言いました。1
一説には、昔は山羊という動物は珍しく、それが何処かで山羊が飼われていたので、若者達がそれを見に行くと称して、実際は船川のあけぼの町へ遊びに行ったことから「山羊買い」と呼ばれたという説があります。
1*2

根っからの山羊買い好きの人は、二~三日は「いつづけ」たそうです。*1

旧町名の名残でしょうか。「あけぼの」という店名の店がありました。

【参考文献】
*1 佐藤尚太郎:漁村風土誌(秋田文化出版社,1984)P.86-P.88
【参考記事】
*2 風俗散歩(男鹿):船川

参考文献

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男鹿(男鹿水産前のうどん自販機)七味唐辛子の瓶が紐でぶら下げられています。

船川港近くにある男鹿水産の建物の前には、たくさんの自販機が並んでいます。

その中でも、ひときわ目立つ存在が、うどん・そばの自販機です。

自販機の前には、七味唐辛子の瓶が紐でぶら下げられています。

この日は残念ながら売り切れでした。

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男鹿(船川港)珍しい山羊を見物するために多くの人たちが集まってきました。

今回は、男鹿(秋田県男鹿市)の町並みと風俗を散歩します。

船川は、北西の風をさえびる良港で、十八世紀中期から船宿がありました。*1

船川が大発展するのは、明治以降で、国家事業として船川築港は明治44年に始まり、昭和6年に完了しました。*1

「男」マークのある漁船。

男鹿の船川が港町として発展し始めた頃、その町の物好きな人が山羊を買いました。当時、男鹿では山羊は野生としては見ることができなかったので、ものすごい評判となり、この珍しい山羊を見物するために男鹿の村々から多くの人たちが集まってきました。ところが、この山羊は意外な大事件を起こしました。それはある村の若者たちが、この山羊を見に行くと称して、ちょこちょこ船川に出ていくのでした。その若者たちの親たちが顔を合わせると、「おいのいの(オレの家)わげ者、時々ふなが(船川)さ山羊見にゆぐでば、ふとげれ(一回)みればいいもの、なんして(どうして)なんぼげれ(何回も)行ぐもんだべか」と不思議がりました。すると、異口同音に他の親たちも「んだ、んだでば(そうだ)、なんだがおがしでば」とがてんがゆかなくなり、ある親の一人がその若者の一人を尾行してみたところ、山羊を見に行くというのはまったくの嘘で、実はその山羊と時を同じにしてできた港町の女郎買いが目的だったことが解りました。それからというもの、男鹿地方で女郎のことをヤギ(山羊)と呼ぶようになりました。*2
【参考文献】
*1 加藤貞仁:(無明舎出版,2002)P.182-P.183
*2 吉田三郎:男鹿風土誌(秋田文化出版社,1979)P.145-P.146

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