「新橋方面近道」のビルの通路※1。中央部分あたりに、2階へ上る階段があります。

階段脇にあるトイレ。

ドアは開けられたままです。

女子専用。

「新橋方面近道」のビルの通路※1。中央部分あたりに、2階へ上る階段があります。
階段脇にあるトイレ。
ドアは開けられたままです。
女子専用。
新橋と言えば、ガード下です。
居酒屋が建ち並ぶガード下に理容室があります。時が止まったような昭和のたたずまいです。
「バーバーホマレ」は、1953年開業。店主の加藤寿賀さんの“顔剃り”は、かつての花柳界で鍛えられた職人技でした。15歳から94歳まで働き続けた寿賀さんの人生は、テレビ番組で紹介され、「94歳女性理容師の遺言 なぜ、はたらくのか」と題する本も出版もされました。*1
2階は居住空間になっています。加藤寿賀さんは、ここで二人の娘を育てあげ、仕事で疲れた体を休めました。
【参考文献】
*1 加藤寿賀:なぜ、はたらくのか(主婦の友社,2010)P.8-P.46
JRのガード下を有楽町から新橋駅へ向かう途中に、「新橋近道」と書かれた入口があります。
暗い地下道のようなガード下の通路が延々と続きます。
所々に、このような店舗があります。
階段を登ると、2階にも同じような通路が続いています。
新橋と言えばガード下です。ここを通りかかったのは午後の3時頃でしたが、ガード下は、すでに夜のような雰囲気です。
ガード下のアダルトショップ。新橋は大人の町です。
品揃えも豊富です。
ショーウインドウ。
今回は、新橋(東京都港区)の町並みと風俗を散歩します。
新橋駅周辺には、中国マッサージ店が多いせいか、客引き禁止看板が散在しています。
整然と並ぶ看板。
ニュー新橋ビルにて。
手書きの貼紙。
静養地だった森ヶ崎鉱泉に芸妓屋ができたのは大正11年(1922年)でした。この時の芸妓屋は8軒、28人の抱え芸妓を擁していました。*1
当時の旅館に「盛平館」、「平盛館」などがりましたが、現在、「森ヶ崎十字路」の交差点近くに「盛平」と「平盛」の屋号のある蕎麦屋と米屋があります。
森ヶ崎本通り。
他にも古い建物が何軒か残っています。
【参考文献】
*1 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.236-P.238
森ヶ崎本通りを南を進んだあたり。
「ポルノ雑誌追放モデル地区」の看板があります。「さあやろう愛の力で町の美化」と川柳調で書かれた看板も併設されています。
森ヶ崎公園近くの看板。日当たりのよい場所であるためか、文字が読みづらくなっています。
「美化進む街なごやかに明け暮れる」、こちらも川柳調です。
今回は、森ヶ崎(東京都大田区)の町並みと風俗を三歩します。
JR蒲田駅から森ヶ崎行きのバスに乗り、「森ヶ崎十字路」で下車すると目の前が大森寺です。
境内には森ヶ崎鉱泉碑があって、鉱泉の由来が記されています。*1
明治27年(1894年)、に地元の農民が灌漑用に掘った井戸からラジウムを含んだ鉱泉が湧出し、諸病に効能ありと人気を呼びました。*1
石碑の裏側には、「明治32年8月発見 仝33年3月試験」と刻まれています。
【参考文献】
*1 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.236-P.238
足立区入谷にある舎人一号公園の隣に小規模なラブホテル街があります。
オウム(アレフ)断固反対ののぼり。この付近にアレフの施設がある模様です。
ホテルの入口。
裏側からの遠望。
【参考テレビ番組】
*1 NHK総合テレビ ニュース・気象情報(2010.11.28 21:15)
竹ノ塚の西側にある舎人公園は、都心北部に位置する広大な公園です。その広さ故に、トイレやあずまやなどが多数あります。
スポーツ施設近くにあるトイレ。他の場所と違ってここは静かです。
寝泊りは禁止です。(上の写真とは別のトイレです。)
スポーツ施設近くのあずまや。