白山(花街跡)元料亭の建物。「濱乃家」と彫り抜かれています。

白山花街の南側には、現在も当時の料亭の建物がわずかに残っています。
旧花街の南端に、元料亭の濱乃家の建物があります。

美しい木造建築です。

玄関付近。

2階部分に、「濱乃家」と彫り抜かれています。

【参考文献】
*1 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.139

参考文献

参考記事

白山(花街跡地)電柱に「三業」の文字。現在、面影はありません。

白山に商家が建ち始めたのは日清戦争の頃で、現在の柳町仲通りに「新開地」と呼ばれる歓楽郷ができ、陸軍砲兵工廠(現在は東京ドーム)に通う職工さんなどの往来で賑わいました。日露戦争の頃になると、樋口一葉の「にごりえ」の舞台にもなった銘酒屋ができて、はじめて酌婦がホステスとして現れるようになったのが、白山花街ができるまでの濫觴(らんしょう)でした。*1

「大正時代における白山花街分布図」*1 を見ると、現在の白山仲通りにある商店街付近は、花街の北側に位置します。

現在、その面影はありません。

花街の北東側。住宅街になっています。

付近の電柱には、「三業」と書かれたプレートがあり、当時この一帯が花街だったことが解ります。

【参考文献】
*1 浪江洋二:白山三業沿革史(雄山閣出版,1961)P.9,P.159

参考文献

参考記事

白山(仲通り商店街)かつての銘酒屋があったあたり。

樋口一葉の住まいがあった白山通りを横切ると、柳町仲通り商店街に入ります。

一葉の住まいからこのあたりまでの一帯は、銘酒屋と称する私娼宿が並ぶ色町でした。一葉の「にごりえ」は、この銘酒屋を舞台とした小説で、「空壜(あきびん)か何か知らず、銘酒あまた棚の上にならべて・・・」と銘酒屋のことが描写されています。1
銘酒屋とは、酒を並べてはいるものの店の奥や2階で娼婦たちが客を遊ばせ、春をひさぐ場所。そんな女たちが一葉に手紙の代筆を頼みにくるようになりました。
2
一葉日記「しのぶぐさに、次のような一節があります。*1
「となりに酒うる家あり 女子あまた居て客のとぎ(伽)をする事うたひめのごとく遊びめに似たり つねに文かきて給われとて わがもとに来る」

昔、デパートの屋上遊園地などにあった乗り物が何台も並んでいて、楽しそうな商店街です。

商店街の周囲は開発が進んで、高層マンションが間近にせまっています。

【参考文献】
*1 槐一男:一葉の面影を歩く(大月書店,1995)P.84-P.89
*2 野口碩:樋口一葉と歩く明治・東京(小学館,2004)P.55

参考文献

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白山(一葉碑)崖下にあった一葉の住まい。

今回は、白山(東京都文京区)の町並みと風俗を散歩します。
都営三田線春日駅の小石川方面口からでると白山通りがほぼ南北に走っています。しばらく北上すると右側に興陽社ビル(1階は紳士服コナカが出店)があります。

ビル前の右手に「一葉 樋口夏子碑」がたっています。
一葉の終いの住まいは、この碑の後方で、文京区円山福山町四番地にありました。*1

この文学碑は、樋口一葉の明治27年4月28日、5月1日の日記より筆跡を写して記念としたもので、昭和27年9月7日に建てられました(案内板より)。

碑の下には、「一葉のパンフレット、ご希望の方ご自由にお取りください。」と書かれた立て札があります。箱の中をあけてみると、興陽社が作成したパンフレット*1 があります。

参考文献

*1
興陽社一葉碑について興陽社

樋口一葉が下谷龍泉寺町(大音寺前)から本郷丸山福山町に移ったのは、明治27年…

参考記事

この記事を参照している記事

白山(旧町名案内)丸山福山児童遊園。一葉日記。

長町(袋原銀座)南仙台のスナック街。長屋風の建物。

JR南仙台駅から東へ2.5Kmhほど行った袋原に、スナック街があります。

長屋風の建物の1階にスナックが並んでいます。

周囲は閑静な住宅街ですが、この一画だけがスナック街になっています。

スナック、居酒屋、カラオケの店舗が営業中です。

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長町(キャバレー「ジャンボミカド」)かつては、映画館「ミリオン劇場」の建物でした。

複合文化施設「たいはっくる」の北側から西の方向を見ると、道路がゆるやかなカーブを描いて続いています。

現在、キャバレーとなっているこの建物は、かつてはミリオン劇場という名の映画館でした。

周囲には高層マンションが建ち、開発が進んでいますが、この建物だけは当時のままです。

事務所入口。

参考文献

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長町(長町マーケット)古いアーケード。ハートのマークの看板。

2番街の隣に、長町マーケットのアーチがあります。
戦後から昭和30年代まで、現在の2番街を含めた範囲が長町マーケットでした。近くには、青果市場があって、町の人と農家の人で賑わいました。

アーチをくぐると、古いアーケードが続いています。

「商」の1文字だけが残っています。

アーケード内部。ハートのマークの看板

参考文献

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長町(2番街の店舗)もともとは、商店街「長町マーケット」。

2番街は、居酒屋やスナック、焼肉屋、ホルモン屋などが軒を連ねます。

もともとは、魚屋、茶屋、お菓子屋、洋装店、時計屋などの店が軒を連ねる商店街で、昭和40年頃は、現在のような飲み屋は数えるほどでした。*1

もともとは、長町マーケットと呼ばれていたようです。*1

「PUB豚」。めずらしい屋号の店です。

【参考文献】
*1 別冊東北学編集:仙台学v. 1 (別冊東北学編集室,2005)P.78-P.79

参考文献

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長町(2番街)路地入口にかかるアーチ状の看板。

今回は長町~南仙台(仙台市太白区)の町並みと風俗を散歩します。
地下鉄長町駅から歩いてすぐ。路地入口にかかるアーチ状の看板に「2番街」の3文字が目に飛び込んできます。中には小さな飲み屋街が並んでいるようです。

上に王冠のようなデザインがあって、レトロな雰囲気です。

裏側には、「有難うございます」の文字。

飲み屋街は、L字状になっていて、逆側の出口にも同じようなアーチがあります。

【参考文献】
*1 別冊東北学編集:仙台学v. 1 (別冊東北学編集室,2005)P.78-P.79

参考文献

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苦竹(飲食店街)かつての歓楽街。石畳の路地。

苦竹のかつての歓楽街は、現在区画整理が行われていますが、西側の一画には、飲食店街が残っています。

石畳の小路。

隣には、もう一本の小路。

エーワン。

参考文献

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