八代(河童のオブジェ)河童渡来の伝承の地。八代の球磨川河口に上陸。

河童の起源には諸説ありますが、その一つは、「河童たちは中国の黄河上流から海を渡り、九州の八代の球磨川河口に上陸して棲みついた。」という渡来説です。*1*2
球磨川沿いには、「河童渡来碑」がありますが、さらに、町のいたるところに河童のオブジェなどがあります。

居酒屋の脇にある巨大な河童のオブジェ。

居酒屋の建物の壁面には、河童とともに人間の女性も描かれています。

何ともエロい姿です。

【参考文献】
*1 和田寛:河童伝承大事典(岩田書院,2005)P.605
*2 黄桜株式会社:黄桜ホームページ 黄桜ギャラリー「かっぱの起源

参考文献

参考記事

八代(ちとせ湯)22階部分はかなり老朽化しています。

八代市塩屋町の塩屋八幡宮の近く。

銭湯のちとせ湯があります。

2階部分はかなり老朽化しています。

北西側の別棟。こちらの外観も凄いです。

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参考記事

八代(繁華街のサウナ)絶妙な朽ち具合のネオン看板。

八代市本町の繁華街。スナックなどの飲食店が建ち並んでいます。

ビルの1階にサウナがあります。

整体マッサージ。

絶妙な朽ち具合のネオン看板。

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八代(キャバレー白馬)派手なデザインの屋上大看板。

八代市本町の繁華街のはずれに、「キャバレー白馬」があります。
演歌歌手の八代亜紀さんは、熊本県八代市の出身ですが、16歳のデビュー前の初舞台の場所が、この「キャバレー白馬」だったそうです。*1

派手なデザインの屋上大看板。昭和の雰囲気を感じます。

ホステス募集です。

白馬専用。

【参考URL】
*1 asahi.com マイタウン 熊本 この人 八代亜紀さん(2005.6.6)

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八代(元検番跡地)現在のレンガ塀が残っています。

旧「黄金」の建物の南側の路地に、レンガの塀が残っています。

ほとんど荒廃していない綺麗なレンガ塀です。

このレンガの塀は、元八代券番の塀です。*1

元八代券番の土地は、旧「黄金」の建物に隣接しています。*1

【参考文献】
*1 田島 秀一:日本建築学会研究報告九州支部研究報告P.692「八代紺屋町の遊郭建築「黄金」について

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八代(紺屋町遊廓跡)八代で唯一の遊廓建築の遺構。

紺屋町の遊廓は、明治7年に設置が認められ、大正10年には、遊廓が19軒、料亭が20軒となり、活況を呈しました。戦後は特殊飲食店地区となり、昭和32年の売春防止法施行により転廃業しました。*1

「黄金」は、八代で唯一の遊廓建築の遺構で、建設年は明治期と考えられています。*1

軒下の透かし彫り。

建物の西側。

【参考文献】
*1 田島 秀一:日本建築学会研究報告九州支部研究報告P.689-P.692「八代紺屋町の遊郭建築「黄金」について

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八代(住吉神社)セリが終われば、漁師たちは遊廓へ出かけていきました。

今回は、八代(熊本県八代市)の町並みと風俗を散歩します。
八代は、球麿川下流にあって、港を中心に都市が発達してきました。住吉神社のある付近は、古くからの漁師町でした。

住吉神社は、海上の守護神として信仰を集めてきました。

玉垣には、漁業関係者の寄進者の名前が彫られています。*1

住吉神社の西の蛇篭町は港町で、天草の漁船が毎日着き、漁師が鰯や鯛を陸揚げすると、仲買人が荷車やリヤカーで市場まで持って行きました。市場でのセリが終われば、漁師たちは紺屋町の遊廓へ出かけていきました。*1

【参考文献】
*1 森栗茂一:河原町の歴史と都市民俗学(明石書店,2003)P.423-P.427

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三角(三角東港近くの牛乳箱)「MEIJI」ロゴの牛乳箱。

三角東港周辺の住宅街。

牛乳箱に出合いました。側面に、「ハネーヨーグルト」と書かれています。

明治牛乳と言えば、アサヒマークのロゴが有名ですが、この箱は「MEIJI」のロゴです。

比較的新しい牛乳箱のようです。

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三角(三角遊廓跡地)紀行文「五足の靴」にも登場します。

三角西港は、港湾だけでなく市街地も含めて造成されました。市街地水害から守るための排水路が整備され、主要な道路との交差部分には、石橋が架けられています。*1

「全国遊廓案内」には、三角町にも遊廓があり、貸座敷が6軒あったと記されています。*2
遊廓は、西排水路の上流のあたりにありました。*1

検番があったあたり。*1

当時の三角西港の様子は、紀行文「五足の靴」*4 にも登場します。三角町には、熊本県公認の遊廓というのが、熊本市内の二本木遊廓、八代町の紺屋町遊廓、牛深町の古久玉遊廓に次いで存在していました。「五足の靴」の作者の五人づれは、「遊廓らしい一部の二階三階の欄干には赤い夜着が痛いくらゐ光つてゐる」とその存在を確認しています。*3

【参考文献】
*1 遠藤徹也:Civil engineering consultant. (通号238,2008.1)特集 土木遺産Ⅵ日本の土木風土の原点 P.20-P.23 明治の近代港湾都市「三角西港」「明治・大正期の町の構成」
*2 南博:近代庶民生活誌 第14巻(三一書房,1993)「全国遊廓案内」P.152
*3 鶴田文史:天草五足の靴物語(近代文芸社,2007)P.119
【参考記事】
*4 風俗散歩(柳川)文学碑「五足の靴ゆかりの碑

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参考記事

三角(浦島屋)小泉八雲の「夏の日の夢」の舞台。復元された建物。

1887年(明治20年)の三角西港の開港により、税関、裁判所、役所などの公的な施設や倉庫や商店、宿屋、遊廓などが次々と設置され、町は活況を呈していきました。*1

三角西港の活況は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「夏の日の夢」と題した作品に記されています。当時、熊本に住んでいたハーンは、長崎旅行の帰りに船で当地を訪れ、旅館「浦島屋」に宿泊しました。*1
「夏の日の夢」は、このときの様子と日本の昔話の「浦島太郎」と「若返りの水」の話を重ねた作品です。「その宿はさながらパラダイスで、女中さんたちはまるで天女のようだった。--中略--彼女(宿の女主人)は、とても若く、ほれぼれする美しさ―国貞が浮世絵に描いた我の娘、蝶の娘といった風情だった。」*2

復元された浦島屋の建物があります。

ハーンは、浦島屋での夢のような体験から、浦島太郎の物語を連想し、この作品を生み出したのでしょう。

【参考文献】
*1 遠藤徹也:Civil engineering consultant. (通号238,2008.1)特集 土木遺産Ⅵ日本の土木風土の原点 P.20-P.23 明治の近代港湾都市「三角西港」
*2 ラフカディオ・ハーン:雪女 夏の日の夢(岩波書店,2003)P.216-P.218

参考文献

参考記事