江戸町二丁目の大門よりの通りには、赤線から転業したアパートが並びます。*1
隣には、曲面のコーナーを持つ転業アパート、さらにその隣の駐車場には旧「金よし」の建物がありました。*2*3

アパートとして現役の旧「モリヤ」。*1

正面2階の装飾。

郵便受けがたくさん並んでいます。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.14-p.16
*2 風俗散歩(吉原):伏見通り(2006.11)
*3 風俗散歩(吉原):旧「金よし」(2006.4)
山谷地区には、立小便禁止の張り紙が数多く見られます。
電柱と鳥居。
貼紙が多数貼られた路地。
犬以外(人間や猫など?)は、大小便禁止です。
今回は、山谷~吉原の町並みと風俗を散歩します。
山谷は、吉原の地続きのドヤ街(日雇い労働者が集まっている地域)です。
山谷の前史は、明暦3年(1657年)にさかのぼります。吉原遊廓移転の際、新吉原遊廓の建築が出来上がるまでの2ヶ月間、山谷地域での仮宅営業が認められ、その後も、新吉原遊廓の大火の際(計13回)、仮宅営業が認められました。少ない設備投資で大きな利潤を稼げる仮宅営業は、遊廓業者にも歓迎されました。このような山谷の売春街としての歴史的風土性は、戦後の木賃宿にも引き継がれ、女衒宿が大きな利益をあげていました。*1
現在の山谷は、すっかり変貌し、町全体が建設・港湾・運輸の大企業に供給される日雇い労働者の巨大な共同飯場になっています。*1
吉原に近い日本堤には、簡易宿泊所が密集しているエリアがあります。
古い旅館風の建物が建ち並んでいます。
【参考文献】
*1 神崎清:山谷ドヤ街(時事通信社,197)ⅰ,P.148,P.171
銚子市内の目抜き通り。少し殺風景すぎるぐらい綺麗に整備されています。
道路沿いにランジェリーショップがあります。
建物の側面にある入口。
メンズ下着もあります。
飯沼観音の裏手(西側)を行くと、町名が田中町に変わり、左右にびっしりとスナックが並んでいる一画に出でます。*1
風俗雑誌の記述によると、これらのスナックの中には、いわゆる連れ出しができるスナックが存在する模様ですが、今回は昼間の散歩のため、詳しいことは解りませんでした。
T字路やカギの手になっているところもあって、いかにも旧赤線らしい町並みが続きますが、往時の建物は残っていないようです。*1
道の両側にスナックが建ち並んでいます。
古い和風の建物を改築したスナック。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.116-P.117
今回は、銚子(千葉県銚子市)の町並みと風俗を散歩します。
銚子駅前の通りを東へ進み、馬場町交差点を左折すると、「飯沼観音」の入口の門が見えてきます。
飯沼観音は、地元の人たちからは「観音さま」と呼ばれ親しまれています。*1
昭和30年代、観音さまの行事である2月の旧正月ともなれば、今の大仏のあたりにあった本堂の裏手の広場には、サーカスやろくろ首、人魚、蛇女などの見世物小屋、お化け屋敷があり、猥雑な雰囲気の看板が並んでいました。
当時の観音さまの賑わいは、すでに過去のものとなっています。*1
【参考文献】
*1 稲葉豊和:とっておき、銚子散歩 改訂版(アクセス出版,2005)「昭和30年代の観音さま」
酒屋脇の路地を歩いていると、 安室奈美恵さんに遭遇?
安室奈美恵さんの写真が貼られた自販機の向かい側には、酒屋があります。
酒屋のシャッターには、レオタード姿の女性とvsopブランデー。
今月の特選。
平和島駅前に、レトロな理容室の建物があります。
とにかく凄い年季の入り具合です。
窓枠は水色で統一され、窓から煙突が延びています。
水色の窓枠と一体化した郵便受。
旧大森新地近くの美原歩道橋の南登口付近。
歩道橋に近接して美原観音があります。
境内の奥まったところに、人の背丈ほどの秩父青石を自然石のまま使用した「平林角蔵記念碑」が建てられています。*1
背面には、「大森新地創設十周年に当り之が出願者平林氏のために之を建つ 昭和九年九月廿三日 大森三業株式会社」とあります。この碑は、大森三業地創設に貢献し、その守り神として昭和7年、大森東1丁目の徳浄寺から三業地の裏鬼門に観音像を勧請した、平林角蔵のために建てられました。*1
【参考文献】
*1 大田区史編さん委員会:大田区史 下巻(東京都大田区,1996)P.506-P.510
大森新地の入口付近。写真の左側の植え込み部分がかつての西堀跡です。*1
塀に囲まれています。
こちらもかつて料亭だった建物です。*1
昭和40年頃までは、芸妓は約60名いました。*1
【参考文献】
*1 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.227-P.229