軍艦島の南側には、炭坑施設が集中していました。上陸して、まず初めに目に入るのが、ベルトコンベアーの支柱跡です。精選された石炭は、このベルトコンベアーによって貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました。

入坑桟橋への入口部分。ここから垂直の坑道を地下606mまで降下しました。

鉱山の総合事務所跡。れんが造りの建物です。

仕上工場跡。1階が作業場で、2階には食堂や風呂がありました。

軍艦島の南側には、炭坑施設が集中していました。上陸して、まず初めに目に入るのが、ベルトコンベアーの支柱跡です。精選された石炭は、このベルトコンベアーによって貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました。
入坑桟橋への入口部分。ここから垂直の坑道を地下606mまで降下しました。
鉱山の総合事務所跡。れんが造りの建物です。
仕上工場跡。1階が作業場で、2階には食堂や風呂がありました。
長崎港から「軍艦島クルーズ(上陸コース)」で上陸を目指します。
船に揺られること約1時間。南西の方角に軍艦島の雄姿が見えてきました。
ドルフィン桟橋から上陸開始です。
ついに、軍艦島に上陸しました。感激です。
今回は、軍艦島(長崎県長崎市)の町並みと風俗を散歩します。
軍艦島は、長崎半島の野母崎地区の沖合いにある島で、正式名称は、端島といいます。長崎港から船で約1時間です。
長崎港には、軍艦島の模型が展示されています。島の断面図が示している通り、軍艦島は海底炭坑を有する島です。
島の南東側は、鉱山施設があるエリアです。南端には、プールがありました。
島の北側には、鉄筋コンクリート造りの住居が密集しています。日給社宅(写真中央)は、島内でも特に古い住宅です。
三条市の信濃川近くに、「三条競馬場」という名のバス停があります。
三条競馬場は、5000人収容のスタンドを持つ競馬場でしたが、現在は廃止され、正門前のスタンドだけが残され、現在は場外馬券発売所として活用されています。
後ろ側から見たところ。
今後は、馬術競技用の施設として活用されるようです。
三条市の八幡町。古い町並みに煙突が見えます。
銭湯の高砂湯です。
入口に雁木があります。雪国らしい銭湯の佇まいです。
現在は、休業中のようです。
本寺小路の路地を入ったところに、風俗店の看板が残されています。
かすやビル。スナック、ランジェリーパブの他にマッサージ店やサロンもあったようです。
入口は、看板の奥のこの階段です。
現在は、休業中のようです。
本寺小路に、花街の風情漂う通りがあります。
見事な木造三階建て建築です。
2階、3階部分。
裏側から見ると、こんな感じです。
今回は、三条(新潟県三条市)の町並みと風俗を散歩します。
歓楽街、本寺小路の繁栄は、元禄年間に東本願寺三条掛所が建立され、その門前町として賑わうようになって以来のことで、寛政2年(1790年)、女抱旅籠の営業許可が下りてからは、一大歓楽街として発展しました。明治3年当時の地図によると、現在の石川書店(写真、右手前)のところから、浄円寺に向かって、平野屋、秋田屋、田中屋、大阪屋、亀屋、中川屋、向かい側の輪宝寺から通りの西側には、珠数屋、広川、信濃屋、小高屋、京枡屋、日野屋、大黒屋、小市屋、三浦屋、などの女抱旅籠がありました。*1
本寺小路を逆方向(浄円寺側から南)をみたところ。昭栄通り、青玉小路が出会うあたりから現在の331号線に至る通りの両側にも女抱旅籠が並んでいました。*1
通りにあったアパート風の建物。
料亭「信水」。
*1 中越の郷土史編集室:三条ッ子別冊1 「本町・本寺小路の今昔」(1986,中越の郷土史編集室)P.10-P.20
温泉街の中心部に、駅前DX劇場があります。周囲の山並みによく溶け込んでいます。
ハート型の窓が印象的です。
派手な電飾。
サーミロミロ。非常に解りやすいです。
今回は、鳴子温泉(宮城県)の町並みと風俗を散歩します。
鳴子温泉は、平成19年6月8日付け交通新聞社発行の月刊「旅の手帖」温泉番付において、東の横綱に認定されました。*1
古い温泉番付を見ると、前頭7枚目にランキングされているものもあり*2 古くからも名湯であることが解ります。
温泉街の旅館に混じってスナック風の建物が並んでいます。
「洋酒 喫茶」と書かれた看板が残っていた店。
営業中のスナックがある通り。
【参考URL】
*1 鳴子温泉郷観光協会:”ゆったりくつろぐ湯と森の里”鳴子温泉郷
【参考文献】
*2 木暮金太夫:錦絵にみる日本の温泉(国書刊行会,2003)p.83 「大日本温泉一覧(明治29年)」