妓楼風の石造りの建物の脇から延びる「一番坂」。
大湊上町の常楽寺に、霊場恐山まで続く三十三観音の起点となる一番観音があることから「一番坂」と名付けられました。*1
逆方向から見下ろすと海が見えます。付近には木造の旧家も数多く見られます。
「一番坂」の南側にある「ロマンス坂」。
明治43年、大湊地区では初めての演芸場「盛港館」ができ、芝居や歌舞伎、踊りなどが上演されました。大正時代から無声映画の上映も始まり、その後名称は、新興劇場、ロマンス座と変わり、映画専門の劇場になりましたが、一時は、大変な賑わいを見せました。昭和30年代に閉館しましたが、人々が通ったこの坂道の思い出を残すため、劇場の名をとって「ロマンス坂」と名付けられました。*1
大湊上町稲荷神社があった付近から見下ろすロマンス坂。ロマンス座は大湊上町稲荷神社の下の坂の中腹にありました。*1
「大湊(ロマンス坂)賑わいを見せた「ロマンス座」跡。」への2件の返信
初めまして!
昭和の大湊で育ちました。ロマンス座のあった近くに住んでいたので懐かしく拝見しました!時折帰省していましたが、あの時代の建物は少なくなり、
街並みも変わってしまいました! あの時代の資料、写真は市では保存の気運は無かったそうです!
出版物を教えて下されば幸いと存じます!
はなちんさん、コメントありがとうございます。
当時の名残はないようですね。
引用した東奥日報の記事をこちらに記載しました。
http://kokontouzai.jp/archives/reference/12378