八幡宮へ向かう通り沿いに、古い木造民家があります。入口に水色の牛乳箱があります。

岩手牛乳の牛乳箱です。都道府県名を冠した乳業メーカー名は、重みがあります。

一本北側に路地を入ったところ。

ウルトラプロセスは、高温殺菌のことですが、ウルトラデラックスとは何でしょうか。

八幡宮へ向かう通り沿いに、古い木造民家があります。入口に水色の牛乳箱があります。

岩手牛乳の牛乳箱です。都道府県名を冠した乳業メーカー名は、重みがあります。

一本北側に路地を入ったところ。

ウルトラプロセスは、高温殺菌のことですが、ウルトラデラックスとは何でしょうか。

八幡町の北側は、戦後の時代を連想させる飲み屋横丁になっています。

スナックが寄り添う建物。

細く長い横丁。

モダンなつくりの看板。

明治元年(1868年)官軍の奥羽鎮撫(ちんぶ)総督に就任した九条道孝が、官兵1300人を率いて盛岡に到着すると、官兵のために茶屋を許しました。これが八幡町の花街(貸座敷)の元となりました。*1*2
八幡町に隣接する松尾町に料亭風の建物が数軒ある一画がありますが、ここが花柳界のあるところで、それ以前は遊廓の中心部でした。*3*4

交差点のところに、モダンな建物があります。

側面から見たところ。

建物正面の装飾は、木材でできています。

【参考文献】
*1 盛岡の歴史を語る会:もりおか物語2-八幡町かいわい-(熊谷印刷出版部,1974)P.97
*2 森ノブ,多田代,岩手県文化財愛護協会編:三盛岡市の歴史 下 (熊谷印刷出版部,1992)P.55
*3 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.91
*4 木村聡:赤線跡を歩く【完結編】(自由国民社,2007)P.87
今回は、盛岡(岩手県盛岡市)の町並みと風俗を散歩します。
盛岡市内の商店街。八幡神社へ向かう途中の南大通1-1付近。

「赤線跡を歩く【完結編】」に写真が掲載されている古い写真館の建物があります。

正面のレリーフが印象的です。

思わず、下から見上げてしまいます。

鍬ヶ崎上町の北側の鍬ヶ崎仲町に、銭湯の七滝湯があります。

温泉マークのある銭湯です。「しちたきゆ」ではなく、「ななたきゆ」という読むようです。

入口付近。

木製のロッカーが健在です。

鍬ヶ崎上町から西側の斜面を登ったところに常安寺別院があります。常安寺別院からは、宮古湾を遠望することができます。港町らしい風景です。

坂道の途中に、黄色牛乳箱があります。(写真左側)

伊藤牛乳の牛乳箱。

箱の側面には、「宮古市新川町」と書かれています。地元の牛乳メーカーでしょうか。

地元の方の話によると、現在の消防駐屯所のあたりまで通り沿いに遊廓の建物が建ち並んでいたそうです。

駐屯所の近くにレトロな洋風建築の建物があります。

1階部分はモダンなデザインになっています。

入口部分に「はまなす」という屋号が見えます。

鍬ヶ崎遊廓は、近世の頃は現在の日影町附近にありましたが、幕末から明治にかけて遊廓は、鍬ヶ崎上町に移動しました。*1
明治18年、貸座敷営業許可地に指定されたとき、娼妓は47名で、この数は岩手県全体の約半数でした。*2
鍬ヶ崎上町1丁目のプチホテル海幸園の近くに、当時のものと思われる建物が残っています。

地元の方に話しをお伺いしたところ、現存しているのはこちらのお宅1軒のみだそうです。

堂々とした木造建築です。

入口附近。

【参考文献】
*1 沢内勇三:鍬浦史話(郷土史同好会,1955)p.85
*2 渡辺憲司:江戸遊里盛衰記(講談社,1994)P.102
今回は、宮古(岩手県宮古市)の町並みと風俗を散歩します。 宮古は三陸海岸に面する都市で、景勝地の浄土ヶ浜を有し、観光地としても有名です。
宮古市街と浄土ヶ浜の中間に位置する鍬ヶ崎は、宮古港の一部です。江戸時代には回船問屋が繫昌し、船舶の寄港が頻繁となるにつれて花柳街が繫昌するようになりました。

1868年、江戸から函館を目指す新島襄は、鍬ヶ崎港に寄港しましたが、江戸を出発するときの所持金の二十両のうちのほとんどを鍬ヶ崎の遊廓で散財したのではないかという説があります。*1

新島襄が宿泊した伊勢屋があった場所。*1

伊勢屋があった場所からこの路地を行くと遊廓があった通りに出ます。

新島襄(にいじまじょう)は、同志社大学の前身となる同志社英学校の創立者で、福澤諭吉らとならび、明治六大教育家の1人に数えられています。
新島襄は、「函館紀行」の中で、鍬ヶ崎に寄港したときの状況を次のように記しています。
「予上陸し伊勢屋清兵衛の家に宿す。予鍬ヶ崎の様子を見るに驚く事あり。如何となれば家毎妓二三人或四五人あり、(中略) 此地の人物、陽ハ粗ニして陰ハ獗猖(しょうけつ)なる事甚し、是悪むべき風俗……」
この「是悪むべき風俗」の次の約20行が欠損部分となっており、これは新島襄の神聖さを傷つけてはならないと考えた誰かが、カミソリで切りとったものと考えられています。*1
【参考文献】
*1 本井康博:同志社談叢(2001.3)「岩手県宮古市鍬ヶ崎 新島襄の寄港地」口絵、P.131
国道45号線を北へ向かいます。

「男性専科浴場」と書かれた大看板。実は、ここが東北の男たちを虜にする伝説のソープランドです。*1
岩手県には、ソープランドが少なく、盛岡市内に1軒と、ここ種市に1軒あるのみです。

急な坂をどんどん登っていきます。

残念ながら、ソープランドがあった場所は、更地となっていました。地元の方に話しをお伺いしたところ、今年の2月頃に突然閉店となり、しばらくは建物が残っていたのですが、最近、取り壊されたそうです。

【参考文献】
*1 俺の旅(ミリオン出版,2007.9.25)P.70