静岡(駒形通り)ビルの入口のドアに牛乳箱。4階建てのビル。

今回は、静岡(静岡県静岡市)の町並みと風俗を散歩します。
葵区の駒形通6丁目の駒形通り。鉄筋コンクリート4階建てのビルがあります。

1階の入口。

そのビルの1階の入口を入ったところの壁に、小さな箱が取り付けられています。

長田牛乳の牛乳箱です。
ビルの入口のドアに取り付けられているのは、珍しいです。

参考文献

参考記事

飯田(江戸町)木製消火器具箱。白い箱。江戸町。

二本松の隣の江戸町。古い町並みが残っています。

建物の壁に、白い箱が設置されています。

箱の側面に、「火の用心」と書かれています。

正面には、「消火器具」と書かれています。蓋の開閉部分に、「江戸町」の文字がかかっている粋なデザインです。
中には、消化用のホースが収納されています。

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飯田(二本松遊廓跡地)遊廓跡地の突き当たりにお稲荷さんが残っていました。

長野県下で一番初めにできた遊廓は、明治9年に開業した松本の横田遊廓*1 ですが、これよりやや遅れ、飯田遊廓が、明治15年に認可を受け、開業しました。その後、明治40年に二本松遊廓と改められ、昭和の時代まで続きました。*2
遊廓の入口には大門があり、大門を入ると、小料理屋や湯屋が軒を連ね、その次(写真右手前の曲がり角)に久保田楼がありました。遊廓の真ん中は、広場のように広くなっていました。*2

久保田楼は、数奇屋造りの美しい佇まいで、重要文化財級の建物でしたが、2002年に取り壊されました。*3
久保田楼があった場所には、現在はアパートが建っています。かつての久保田楼の写真*4 に写っていた松の木と同じ樹形の松の木が現在も残っています。

遊廓に入るには、大門から入る通路の他に、お忍びで入ることができる3本の通路がありました。そのうちの1本、南側の下馬場町通りからの通路脇には、深川楼がありました。*2
現在この場所は駐車場になっています。

遊廓の突き当たりにあったお稲荷さま(明治29年5月勧請)は、現存しています。*2

【参考文献】
*2 村沢武夫:飯田情話(南信州新聞社,2006)口絵,P.76-P.77
*3 林安直:信州かやぶき民家(しなのき書房,2006)P.252
【関連記事】
*1 横田遊廓跡地(2007.3)

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飯田(普門院天満宮)境内に二本の松がそびえています。

二本松にある普門院天満宮。寂れた感じがします。

鳥居の脇にあるスナック。

飯田遊廓は、別名二本松遊廓と呼ばれていました。遊廓の入口のところに天満宮が祀られていて、その境内に二本の松が高くそびえていたことから、いつの間にか飯田遊廓のことを二本松と言うようになりました。
当時の二本松の写真*1 と比べると、樹形は異なっていますので、植え替えられたものかもしれません。

二本松は、飯田遊廓の代名詞でした。

【参考文献】
*1 村沢武夫:飯田情話(南信州新聞社,2006)口絵

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飯田(二本松近く)料理屋だった建物。和風の建物のBar。

くつわ小路から二本松へ向かう途中に料理屋だったと思われる廃屋があります。

小料理の看板。

向かいの建物。

和風の建物ですが、看板は「Bar」と書かれており、洋風です。

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飯田(くつわ小路)古い飲食店が並ぶ小路です。5階建ての建物。

今回は飯田(長野県飯田市)の町並みと風俗を散歩します。
昔から「飯田の町は女の町」と言われていただけあって、大正年間から昭和初年にかけ人口2万人たらずのところに芸妓が380人、料理屋に働く人500人、娼婦など500人、妾などを合わせると、相当なものだったそうです。*1
現在の繁華街は、駅の南東側に広がっていて、道路は格子状に整然と区画されています。駅前の観光案内所で受け取った観光地図に「くつわ小路」と書かれているのが目にとまったので、まず、この界隈を散歩してみます。

情緒のある料理屋風の建物が残っています。

小路の片側は崖になっています。

向こう側に見えた建物。こちらから見ると5階建てのようにも見えます。

【参考文献】
*1 村沢武夫:飯田情話(南信州新聞社,2006)P.57

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松本(塩井の湯)珍しい洋館風の銭湯。塩類鉱泉。

西堀地区に銭湯があります。一見、何の変哲もないビル型銭湯のように見えますが、レンガの塀でがっちりと守られていて、レトロな雰囲気が漂っています。

塩類鉱泉「塩井の湯」。「塩類を多分に含んだ鉱泉」とのことです。

外観は、洋館のようなデザインです。右から「塩井乃湯」と書かれています。

脱衣場のロッカー。また、天井は白い色の洋風の柄です。和洋折衷のとにかく凄い銭湯です。

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松本(大手児童遊園)事実上のトルコ風呂禁止区域に。

西堀地区に小さな公園があります。入口は、1mぐらいの幅で、気がつかずに通りすぎてしまいそうです。

大手児童遊園と書かれています。

寺の隣の細長い敷地に作られた小さな公園です。

西堀地区は、昭和41年(1966年)に長野県議会において、トルコ風呂設置許可地域に指定されていましたが、その後、松本市は、西堀地区に大手児童遊園を設置。西堀地区は、事実上トルコ風呂禁止区域となりました。*1

【参考資料】
*1 松本女性史の会:“買春”許すまじ 松本市トルコ風呂建設反対の記録(銀河書房,1984)P.19

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松本(西堀地区)トルコ風呂計画跡地。現在も開業していません。

西堀地区に、トルコ風呂を開業しようとした業者とそれを阻止した住民の戦いの痕跡が残されています。
1980年、西堀地区にトルコ風呂建設の話が持ち上がりました。業者側は、住民の反対を押し切って、「サウナ北欧」をトルコ風呂に改装し、翌年(1981年)1月下旬の開業を目指しました。*1

業者側は、許可が下りなくても看板を掲げることは法律的に規制されないことから、改装工事が終わった建物の屋上へ強引に「トルコ姫」の看板を掲げ、信州大学経済学部の大谷毅助教授の協力を得、「歓楽街も活力に」と題するビラを町内に配布し、アピールを行いました。*1
これに対し住民側は、「広報まつもと」に「トルコは行進曲だけでいい」と題する記事を掲載するなどして反対運動を続けました。*1

裏側の駐車場から見たところ。

最終的に、住民・行政側が業者の意向を制し、トルコ風呂は開業しませんでした。これにより、長野県民は、トルコ風呂(ソープランド)ゼロ県という栄誉を勝ち取ることができました。
現在も「トルコ姫」は開業していません。

【参考資料】
*1 松本女性史の会:“買春”許すまじ 松本市トルコ風呂建設反対の記録(銀河書房,1984)P.96-P.137

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松本(西堀地区飲食街)昭和の初期からの飲食街。

西堀地区は、その名の通り、松本城の西側の堀の外側に置かれた町ですが、現在は、スナックなどが建ち並ぶ繁華街となっています。その中でひときわ目立つ存在の古い3階建ての建物がありあす。

建物横の看板。

裏側から。

1階の通路。

近代公娼制度に基づき、明治10年に横田遊廓が建設されましたが、その陰で、裏町(松本城の東隣)などに芸者置屋街がありました。
西堀地区には、昭和の初期の頃から私娼窟があり、戦後は「特殊飲食店」として政府が認める「赤線地域」となり、10軒ほどの店がありました。
昭和31年の売春防止法が制定以降、西堀地区は夜の食堂街として栄え、暴力バーや暴力団の事務所が入り込みました。それに対して、住民たちの間で暴力追放運動が起こりました。*1
【参考文献】
*1 松本女性史の会:”買春”許すまじ(銀河書房,1984)P.17-P.18

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