駅から県道102号線(長沢水戸線)を少し行くと、料理屋だったという楼閣*1 があります。

建物の側面。洋風と和風がミックスされています。

料理店の入り口。

料理店と書かれた納税証が残っています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.92-P.93
駅から県道102号線(長沢水戸線)を少し行くと、料理屋だったという楼閣*1 があります。

建物の側面。洋風と和風がミックスされています。

料理店の入り口。

料理店と書かれた納税証が残っています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.92-P.93
玉川村の駅前のメインストリート。

「赤線跡を歩く」*1 に掲載されていた家がまだ残っていました。

入口に装飾のある窓硝子があります。

店の屋号でしょうか。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.92-P.93
今回は、玉川村(茨城県)の町並みと風俗を散歩します。 玉川村は水戸からJR水郡線で11駅約50分のところにあります。

水郡線は単線で、車両はディーゼル車です。

駅のホームのところどころに、このような面白い形に剪定された木が植えてあります。

駅舎は、山間にとけ込んだロッジ風の駅舎にコミュニティ施設を併設した駅です。「鉄道の日」の関連事業の関東の駅百選に選ばれています。

【参考URL】
関東の駅百選(国土交通省関東運輸局ホームページ)
富士吉田は、唯一、富士山を一合目から上れる登山道の登山口です。まずは、遊歩道を歩いて、一合目を目指します。

三合目まで来ました。

案内板によると、ここには、江戸時代から茶屋(山小屋)が2軒あり、ここからの見晴らしが良かったので、多くの登山者がここで休憩したそうです。

廃屋に「ルミナコ治明」...ではなく、「明治コナミルク」(右から読みます)と書かれた木製ベンチが放置されていました。
明治コナミルクは、1923年に開発された歴史のある乳製品です。*1

【参考URL】
*1 明治乳業(株):明治コナミルクの歴史
本通りの坂道を南へどんどん登っていくと、国道139号線(横町バイパス)へ出て、やがて富士浅間(せんげん)神社へ着きます。富士浅間神社の杉の巨木が神秘的です。

歩道に、償却炉があります。右側のコンクリートブロック製の償却炉の脇にタイルでできたもう一つの償却炉?が置かれています。

側面には、穴が二つあいています。おそらく、かつて浴槽として使われていたものを捨てずに何かの目的で使っているのだと思います。

懐かしい全面タイル貼りの浴槽です。

北裏通りのうどん屋が2軒(べんけい、さいぐさ)建ち並ぶところから東側に入った路地。

山田屋販売店※1 の名が書かれた牛乳箱。

白地に箱に、赤の像のマーク。

武田ホモゲ牛乳、武田ミネビタ牛乳。

下吉田3丁目の商店街。店の側面に、「制服専門」と大きく書かれています。

つちや洋装店は、制服専門店です。

制服を着たマネキンがずらりと並んでいます。

2体のマネキン。

西裏通りから路地を一本入ったところにある元旅館。

まるで、赤線跡の建物のようなモダンな建築です。

パラペット部分のランプ。

隣接する飲食店の建物の丸窓。

富士吉田は、昭和30年代、織物産業が盛んで、県内外から業者たちが集まりました。月江寺駅周辺には、歓楽街の面影が、色濃く残っています。*1
神田堀川の東側にある「ミリオン通り」には、レトロな雰囲気のスナックが残っています。

韓国食品の店ですが、入口の看板にはビデオと書かれています。

ホルモン焼の店。

逆方向(南東側)から。

*1 富士吉田市観光協会:富士吉田市街案内ガイド「富士吉田今昔の旅」
今回は、富士吉田(山梨県)の町並みを散歩します。
富士急行線富士吉田駅を下車してすぐのとこにある食堂の熱海屋。

建物の裏口。

歴史を感じます。

名物の吉田うどんを注文。
富士吉田では、織物産業の最盛期、機織から手を離せない女性に代わって男性がうどんを打っていました。*1
