富士吉田(日昇旅館)モダンな建築。貴重な財産ともいえる町並み。

西裏通りから路地を一本入ったところにある元旅館。

まるで、赤線跡の建物のようなモダンな建築です。

パラペット部分のランプ。

隣接する飲食店の建物の丸窓。

参考文献

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富士吉田(ミリオン通り)レトロな雰囲気のスナック街。


富士吉田は、昭和30年代、織物産業が盛んで、県内外から業者たちが集まりました。月江寺駅周辺には、歓楽街の面影が、色濃く残っています。*1
神田堀川の東側にある「ミリオン通り」には、レトロな雰囲気のスナックが残っています。

韓国食品の店ですが、入口の看板にはビデオと書かれています。

ホルモン焼の店。

逆方向(南東側)から。

*1 富士吉田市観光協会:富士吉田市街案内ガイド「富士吉田今昔の旅」

参考文献

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富士吉田(熱海屋)名物の吉田うどん。建物の裏口に歴史を感じます。

今回は、富士吉田(山梨県)の町並みを散歩します。
富士急行線富士吉田駅を下車してすぐのとこにある食堂の熱海屋。

建物の裏口。

歴史を感じます。

名物の吉田うどんを注文。
富士吉田では、織物産業の最盛期、機織から手を離せない女性に代わって男性がうどんを打っていました。*1

参考文献

*1
富士吉田市観光協会富士吉田今昔の旅歩いて・観て・感じて楽しむ 富士吉田市街案内ガイド富士吉田市
お昼には名物のうどんはいかが

富士吉田では、織物産業の最盛期、機織から手を離せない女性に代わって男性がう…

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吉原(観音様)関東大震災の悲劇。490人が溺死。

大正12年の関東大震災では、弁天池(花園池)に多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死したという悲劇が起りました。*1

弁天祠の築山に立つ大きな観音様は、溺死した人々の供養のため、大正15年に創立されたものです。*1

観音様。

関東大震災80周年の碑。

【参考文献】
*1 風俗散歩(吉原):弁天池の案内板(2006.7)

参考文献

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吉原(吉原弁財天の弁天池)金魚が泳いでいます。

吉原弁財天には、弁天池(花園池)が残されています。池にネットが被せられています。

池にネットが被せられているネットは、おそらく、池に泳いでいる金魚が盗まれるのを防止するためのもののようです。

金魚だけでなく、小さな緋鯉も泳いでいます。

日本橋の吉原遊廓(元吉原)が当時湿地だったこの地に移転(新吉原)しましたが、その際、湿地の一部を埋め立てた際、池の一部が残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊廓楼主たちの信仰をあつめました。現在は浅草七福神の一社として毎年正月に多くの参拝者が訪れています。昭和34年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋め立て工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなりました。(案内板より)

参考文献

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吉原(吉原弁財天)大門のレプリカ。福地桜痴の詩の復刻。

吉原弁財天へ立ち寄りました。入口には大門のレプリカが立っています。

右の石柱に「春夢正濃満街桜雲(しゅんむまさにこまやかなりまんがいのおううん)」、これは仲之町通りに一夜で植えられた数千本の見事な桜樹を描写しています。*1

左の石柱には「秋信先通両行灯影(しゅうしんまさにつうずりょうこうのとうえい)」とあり、享保11年(1726年)の春に急逝した、角町中万字屋(なかまんじや)の玉菊という花魁の追善供養のための盆灯篭が連なるさまを詠んでいます。*1 この燈篭は、俗に「玉菊燈篭」と呼ばれ、吉原の年中行事とされ、仲之町の桜、俄(にわか)とともに、吉原三大景容のひとつと数えられました。*2

石柱に彫られている詩は、これら「吉原三大景物」の一つづつを詠み込んだ福地桜痴の詩の復刻です。*1

*1 岡崎柾男:江戸東京伝説散歩(青蛙房,2005)P.143
*2 西山松之助:遊女(東京堂出版,1994)P.187

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吉原(鷲神社の裏手の通り)扇型の窓を持つ住宅。

今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
国際通りを越え、鷲神社の裏手の通りに入りました。

T字路に、「散歩の達人」の特集「街に赤線があった頃」*1 に掲載された扇型の窓を持つお宅があります。雑誌掲載当時は、1階が「三好」という中華食堂でしたが、今は普通の住宅です。

「面白い造りの店だと言われて、映画の撮影に使われたこともあった。」そうです。*1

特徴のある扇型の窓は今でもの健在です。

【参考文献】
*1 大竹誠:散歩の達人(1996.11)P.21

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池袋(日の丸)老舗ピンクキャバレー。自衛隊/学生の方割引。

ピンクキャバレーの「日の丸」。独特の派手なネオンは今も健在です。

「自衛隊/学生の方割引」も昔と変わりません。

日の丸が入っている5階建てのビルを裏側から見たところ。1~2階部分にクーラーの機材が集中して設置されています。

ビルの裏側にも「日の丸」の看板があります。

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池袋(取り壊し直前の建物)昭和30年代に建てられました。

カラオケパセラのある交差点近くに取り壊し直前の古い建物があります。1階にカラオケパブ、2階に旅行会社の事務所が入っています。

「トリスバー 夜の貴婦人」と書かれた看板が残っています。トリスバーは、昭和30年(1955年)前後に生まれた庶民的なバーで、トリスウイスキーをソーダで割ったハイボールが主力製品でした。トリスのハイボールは大阪では「トリハイ」、東京では「Tハイ」という愛称で呼ばれました。*1
残念ながら、この建物は、今月中に取り壊され、跡地には9階建てのビルが来年9月に完成するそうです。(「建築計画のお知らせ」の看板より)

もう1軒、取り壊し予定の建物がありました。昭和30年代に建築されたスナックです。立入禁止を示す黄色のテープが貼られています。

張り紙に書かれている内容によると、この建物は、昭和30年代に建築されたものだそうですが、老朽化が進んでいるため、取り壊しが検討されているそうです。

【参考URL】
*1 サントリー(株):お酒・飲料大事典「トリスバー」

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池袋(大人のおもちゃ店)文化通り。池袋駅北口。

池袋駅北口の文化通り。

大人のおもちゃの店。

池袋二丁目の田中ビル付近にあるランジェリー・コスチューム店

看板と木製ゴミ箱。

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