小さな稲荷神社があります。

正面の石柱に「新天地カフェー組合」と刻まれたプレートが取り付けられています。

玉垣に寄進者のカフェーの名前が刻まれています。

尾張屋橋の登り坂の途中から見たところ。

小さな稲荷神社があります。
正面の石柱に「新天地カフェー組合」と刻まれたプレートが取り付けられています。
玉垣に寄進者のカフェーの名前が刻まれています。
尾張屋橋の登り坂の途中から見たところ。
保土ケ谷区のカフェーとしては、浅間町の「新天地」と和田町の「楽天地」がありました。
売春防止法施行前の1956年の住宅地図2 を見ると、尾張屋橋の麓の稲荷神社の周辺に約20軒のカフェーが密集していて、「新天地カフェー街」の記述(P.72)があります。売春防止法施行後の1958年の住宅地図3 では、これらのカフェーは、旅館やバーに転業しています。
庇の部分は、タイルで装飾されています。
反対側(尾張屋橋側)から。
【参考文献】
*1 青木正晴:和田町思考(青木正晴,1971)P.42
*2 経済地図社:保土ヶ谷区明細地図(経済地図社,1956)P.64,P.72
*3 経済地図社:保土ヶ谷区明細地図(経済地図社,1958)P.64
今回は、天王町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
浅間町に流れる帷子(かたびら)川。川にかかる尾張屋橋が見えます。
尾張屋橋の上り口のあたり。
尾張屋橋から横浜方面をみたところ。この川をずっと行けば横浜市内です。
尾張屋橋から見た住宅街。
中田宿の遊廓は8軒ありましたが、現在はそのうちの1軒のお宅だけがその威容をとどめています。*1
横から見たところ。
雲形の持ち送りのある窓の庇。
右側から見たところ。
*1 木村聡:赤線跡を歩く(2002,筑摩書房)P.178
古河市には、幕末以来という古い遊廓がありました。光了寺の南側に塀で区画された場所があり、昭和初年には、ここに8軒の妓楼が建っていました。*1
中央の通り。
廓の外側を1周できる道があります。
奥まった一画へ続く道。こちらへも塀が続いています。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(2002,筑摩書房)P.178
中田のバス停から10分ほど、北に歩いたところに、光了寺があります。
入口の石柱に静御前の文字があります。
光了寺には、静御前の遺物が保存されています。
静御前の伝説は全国各地に残されています。
利根川を渡ると旧中田宿の町並みが見渡せます。
中田は、江戸時代から続く宿場町でした。
中田のバス停。栗橋駅からは約10分です。
近くには、古い建物が残っています。
八坂神社の中にレトロな電柱があります。
何のためにこの電柱がここにあるのかは不明です。
てっぺんに裸電球がついています。
関所跡。碑は利根川の堤防の近くにあります。
今回は、埼玉県の栗橋を散歩します。
JR宇都宮線の栗橋駅の駅前に、源義経の寵愛を受けた静御前の墓があります。
今年は、NHKの大河ドラマ「源義経」が放映されているので、栗橋は義経ゆかりの地ということになっているのでしょう。大河ドラマ新聞記事があちこちに掲示されています。
石原ひとみの似顔絵?を使った酒屋の広告があります。
商店に貼られている商品券取扱店のポスターにも静御前の肖像が使われています。
幕張本郷駅からバスに乗って約10分のところにある展示場の幕張メッセ。写真はプリンスホテルのエレベータからです。
コンパニオンのショーが始まると、予め陣取っていた客がビデオやデジカメを手にした客が撮影を始めます。
こちらのブースでは、撮影専用のコーナーが設けられており、黒山の人だかり状態です。
車の展示会というよりは、コンパニオン撮影会になっています。