水戸(奈良屋町)市街から下った窪地にあります。

水戸市街は、中央が盛り上がった馬の背のような地形をしており、そこから坂を下ったところに奈良屋町があります。「赤線跡を歩く」に掲載されている「坂の途中にあった『弘月』」*1 は、今は無く、駐車場になっていました。

水戸の繁華街から別の道を下ったところにある建物。角が丸くなっているのが特徴です。落書きされているのが残念です。

そのすぐ近で道は二股に分かれます。

緑のある東照宮方面と水戸市街(写真の左側)は、共に、標高が高く、このあたりが窪地であることがわかります。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.159

参考文献

参考記事

水戸(奈良屋町の飲食店)立入禁止プレートがあります。

奈良屋町の路地にある旅館「ほおずき」。古い自動販売機があります。

さらに、その隣に雰囲気のあるお宅があります。

よく見ると、「二十歳未満のお客様の店内立入を堅くお断りいたします」のプレートが貼られています。以前、古河市ので見かけたプレート*1 と同じものです。「赤線跡を歩く」に掲載されている「桂願寺門前の飲み屋横丁跡の写真」*2 にも同じプレートが見かけられます。たぶん茨城県共通仕様のプレートだと思います。

プレートの下部には、「水戸警察署水戸料飲支部」と書かれています。

【参考文献】
*2 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.160
【関連記事】
*1 中央町の飲食店(風俗散歩 2006,3)

参考文献

参考記事

水戸(奈良屋町)昔カフェー街があったそうです。

奈良屋町(現在の宮町)は、カフェー街であったそうです。

「赤線跡を歩く」に掲載されていた「往時のたたずまいをとどめるお宅」は、今は無くなって、駐車場になっています。

料理屋だったと思われる建物。

「料理店」のプレートがあります。

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水戸(谷中花街)桂岸寺の近くの花街。旅館「喜楽荘」。

国道118号線に面したビルの脇に、旧町名を示す石柱があります。石柱の側面に、次のような谷中の地名の由来の説明があります。「地形が谷間であったためにつけられた常葉村の小字名で、享保の頃、城下町と町続きになった。明治22年市制施行に当たり、水戸市に編入された。」

「赤線跡を歩く」に写真が掲載されていた「通りの奥に残る建物」*1 は、今はありません。かろうじて、「路地をはさんで向かいにある旅館」が今も残っていました。

「路地をはさんで向かいにある旅館」は、「喜楽荘」という名の立派な旅館です。

「喜楽荘」のある桂岸寺の西側(回天神社の前あたり)に、料亭や待合が並んでいたのだと思います。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.161

参考文献

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水戸(桂岸寺)寺の近くには花街がありました。

水戸駅前から茨城大学行きのバスに乗ります。バスは、大工町から右に曲がり、国道118号線へ入ります。末広町三丁目で下車したところに、桂岸寺があります。「赤線跡を歩く」*1 に掲載されている写真に、「桂願寺門前の飲み屋横丁跡」とのコメントが付けられていますが、石柱は、「桂願寺」ではなく、「桂岸寺」となっています。

桂岸寺周辺(市の北西部)を、ロマンチックゾーンと呼ぶそうです。「赤線跡を歩く」*1 には、「水戸には、大工町と竹隈町に花街があり、のちに市の西方、練兵場近くの近くの料理屋にも芸者が入るようになり、谷中花街が生まれた。」と書かれています。

案内板に、次のような解説があります。
「市街地の北西部、水戸八幡宮から曝井(さらしい)の一帯に、太古の昔から近代までの歴史的遺産が、あたかも時の流れを忘れたかのようにその姿を止めている。訪れる人々の心に安らぎを与えてくれる恵まれた緑と湧き水。また、古くから寺町・花街として栄えた商業地が広がり、古い店舗や土蔵が見られ、昔の栄華を今なお偲ぶことができる。この辺りを水戸のロマンチックゾーンと呼ぶ。」
案内板にある「花街」は、谷中花街のことを言っているものと思われます。

桂岸寺の隣にある回天神社には、格さんの墓があります。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.160-163

参考文献

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この記事を参照している記事

水戸(裸像)新修道路開通記念。末広町2丁目。

水戸(宮下銀座商店街)昭和37年の東照宮再建の際に整備された商店街。

今回は、水戸(茨城県水戸市)の町並みを散歩します。
水戸駅から徒歩5分のところにある宮下銀座商店街は、昭和37年の東照宮再建の際に整備された商店街でした。*1

昭和37年頃は、アーケードはまだ無く、よしずのようなひさしが掛かっていましたが、青果店、レストラン、電器店、さまざまな店が立ち並び、市場のような雰囲気で、宮下銀座をめぐれば、揃わないものは無いといわれるほど品揃えも豊富でした。*1

光があまり差し込まないため、昼でも薄暗く、ディープな雰囲気です。

東照宮の石段から見下ろしたアーケードの突端部分。

参考文献

*1
宮下銀座商店会宮下銀座商店会宮下銀座商店会 リンク
宮銀物語

昭和37年、東照宮は戦災で失っていた社殿の再建を果たしましたが、復興にあたり…

参考記事

松岸(松岸遊廓跡地)龍宮城と形容された二軒の妓楼の跡地。

結婚式場「モアパーク」の隣に広い駐車場がありますが、ここには、龍宮城と形容された二軒の妓楼(松岸遊廓)がありました。*1
松岸遊廓の最盛期は、銚子汽船と総武線開通によって客の範囲の広がった明治後期から大正期で、明治5年(1872)の資料によると貸座敷4軒が営業し、娼妓数は64名でした。*2

昭和40年頃までは建物が残っていたそうです。ひと頃、演芸ホールに改装されて芝居や歌謡ショーの興行がおこなれていたこともありました。*1

別の角度からも撮影してみました。

護岸は後年できたもので、以前は妓楼のすぐ下までおだやかな利根川の流れが打ち寄せ、建物の周りには掘割がめぐらされていました。*1
龍宮城の雰囲気を味わいたいと思い、利根川の桟橋から妓楼があった方角を眺めてみました。


「全国花街めぐり」*3 では、『青い水線の上にポッカリと、宛(さなが)ら蜃気楼(しんきろう)のごとく一大楼閣の浮き上がってくるのを望んだとき、「まるで繪(ゑ、かい)のやうだね」「(まるで)龍宮といった態(かたち)だね。」、誰しもそう言って歓喜のこえを放つのである。』と紹介されています。

参考文献

*1
木村聡赤線跡を歩く消えゆく夢の街を訪ねて自由国民社1998
利根川に浮かぶ竜宮城 松岸

P.118
昭和40年頃までは建物が残っていた。(写真:2軒の妓楼はこのあたりに…

*2
加藤晴美松岸地区における遊廓の成立と展開歴史地理学調査報告 11号筑波大学人文社会科学研究科歴史・人類学専攻歴史地理学研究室2004.03 リンク

P.73
良福寺の過去帳に遊女の記載が初めてあらわれるのは享保9年(1724)の…

*3
松川二郎全国花街めぐり誠文堂1929
松岸

その一すぢ青い水線の上にポッカリと、宛(さなが)ら蜃気楼(しんきろう)のご…

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松岸(商店街)八百屋や薬局などの商店。カラフルなタイル。

今回は、松岸(千葉県銚子市)の町並みと風俗を散歩します。
JR松岸駅は、総武本線銚子駅の一つ隣の駅です。駅から利根川の方向へ10分ほど歩くと、「松岸町北」と書かれた信号のある交差点に出ます。八百屋や薬局などの商店が何軒かある以外は、特に目立ったものはありません。

「松岸町北」交差点から南側に入ったところにある商店。

商店の煙草のショーケース。カラフルなタイルが印象的です。

商店の対角線上の位置にある木工所。

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神田(OK牧場)飲食店にも萌え現象。コスプレ焼肉。

神田駅西口近くの路地。

コスプレ焼肉「OK牧場」があります。
ガッツ石松さんが流行らせた「OK牧場!(私もあなたもOK)」を思い出します。

メイド服等のコスプレ姿の女性。

風俗店ではありませんが、18歳未満入店お断りです。

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神田(駅西口付近)パチンコの町。「でちゃガ」。

神田はパチンコの町です。神田駅西口の改札口を出ると、まず目につくのが、パチンコ店の広告です。

西口近くのゲーム店。店入口のオブジェが凹んでいます。

スロット専門店の「GOLD」。

パチンコガール「てちゃガ」が来店する日がある模様です。

参考文献

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