銚子(外川町の坂道)石が多く使われた碁盤目状の町。

外川は坂の多い町です。南側の外川漁港に向かっていく筋もの坂道があり、坂道には、一条通り、新浦通り、一心通り、本浦通り、条坊通りなど、名前が付けられています。
外川の町並みは、和歌山から移住してきた崎山次郎右衛門が1658年(万治元年)に、碁盤目状の町作りをしたものです。かつてイワシがたくさんとれた頃は、「外川千軒大繁盛」といわれたほど賑わいました。*1


南斜面に沿って建てられた戸川の町並みは江戸時代からの町らしく、石が多く使われていて、かつての面影を残しています。*1
写真は条坊通り。

条坊通りの西側の通り。
戸川は釣り船の基地でもあり、周辺地域には約30軒の釣り船屋さんがあり、外川港から出港しています。*1

戸川港へ下る坂道を横断する生活道路も整備されています。

参考文献

*1
稲葉豊和とっておき、銚子散歩改訂版アクセス出版2005
外川と崎山治郎右衛門

外川の町並みは、和歌山から移住してきた崎山次郎右衛門が1658年(万治元年)に…

参考記事

銚子(「十五夜」跡)十返舎一九の狂歌が箸袋を飾っていました。

中央町の大新旅館※1 の西隣。

かつて、この場所には、うなぎ蒲焼「十五屋」(後に、十五屋旅館)がありました。*1*2*3
十五屋は、江戸期には仙台藩御用の廻船問屋(船の名を十五屋丸)として、大いに栄え、文化十三年(1816)、十返舎一九が狂歌を残し、その歌が、うな重の箸袋を飾っていました。*1

十返舎一九が銚子地方の紀行をまとめた「南総紀行旅眼石」には、この地を巡遊したときの狂歌が記されていて、その中に、十五屋旅館の祖にあたる十五屋丸や幾人かの遊女が名をつらねています。*2

路地には、稲荷神社(萬右ェ門稲荷大明神)があります。

参考文献

*1
常世田令子家と町並み職人ばなし三一書房1992.3
移住めいめい伝
落ち武者変じて廻船問屋

利根川べりの中央町の一角から、うまそうな匂いを漂わせてくるうなぎ蒲焼十五屋…

*2
銚子市銚子市史昭和31年刊の複製銚子市1981.5
十返舎一九と銚子

P.442
十返舎一九が銚子地方の紀行をまとめた「南総紀行旅眼石」は東下総を…

*3
ゼンリン銚子市ゼンリン1971

参考記事

※1銚子(大新旅館)360年の伝統。銚子の旦那衆の「社交場」。

銚子(山本金物店)斬新なデザインの看板建築。

今回は、銚子(千葉県銚子市)の町並みを散歩します。
銚子駅から銚子大橋方面へ向かう途中の若宮町。

斬新なデザインの看板建築が残っています。

中央部分の矢羽根のようなデザインが印象的です。

奥の方に現在の建物が隣接しています。

参考文献

参考記事

八街(飲食街)交差点近くの2階建ての集合住宅風の建物。

八街市街から榎戸駅方面へ向かう道の途中。交差点近くの2階建ての集合住宅風の建物。

1階には、ラーメン店など飲食店。

2階には、パブや風俗店が入居しています。八街で唯一の遊興施設と言えそうです。

2階からの眺め。

参考文献

参考記事

八街(八街銀映)印旛・山武地域を代表する繁華街を形成。

昭和30年代、八街には2つの映画館(八街第一銀映・第二銀映)があり歓楽街も備わって印旛・山武地域を代表する繁華街を形成していました。*1

2つの八街銀映は、2棟が隣り合って建っていましたが*1、そのうちの1棟の建物が奇跡的に残っています。

青のタイルが鮮やかです。

前面上部のパラペット部分(裏側)。

参考文献

*1
八街市郷土資料館写真にみる八街の150年市制施行30周年記念誌八街市郷土資料館2022.3
戦後の復興と発展する八街

P.60
八街第一銀映・第二銀映
八街には2つの映画館があり歓楽街も備わっ…

参考記事

八街(小川家そば店)明治27年創業。歴史を感じる店内。

駅前商店街(写真右側)のある通り。

「小川家そば店」は、明治27年創業です。

歴史を感じる店内。

天婦羅そばとビールを注文。

参考文献

参考記事

八街(駅前商店街)弧を描いて商店街が続いています。

今回は、八街(千葉県八街市)の町並みを散歩します。
駅前ロータリーにある商店街。

弧を描いて商店街が続いています。

入口部分だけに屋根があって、レトロ感を醸し出しています。

商店街の道路に面した側は、緩やかな弧を描いています。

参考文献

参考記事

波崎(いずみや)名物のカレーそば。大盛は150円増し。

波崎町の利根公園の北側にある「いずみや」。

そば・うどんの他、ご飯物もあります。ほとんどの人が名物のカレーそばを注文していました。

そば・うどんの大盛は150円増しです。

カレーそばの大盛を注文。大盛専用のどんぶりになみなみと盛られ、ものすごいボリュームでした。

参考文献

参考記事

波崎(海難漁船員慰霊の塔)波崎漁港近くの洲鼻地区。

 波崎町の東部東町。

この付近は、洲鼻地区と呼ばれ、波崎漁港整備や宅地造成に伴って埋め立てられるまでは、周りは全て砂浜で、樽で3杯も4杯もハマグリが採れるような浜辺でした。*1

昭和60 年に建立された「海難漁船員慰霊の塔」が建っています。毎月26 日前後に、ここで「水難供養」が行われますが、戒名用紙には、水難者の戒名の他、遊女の戒名も含まれており、遊女や妊産婦、水子についても水難供養の対象とされていることがうかがえます。*1

「海難漁船員慰霊の塔」の隣には、大亀大明神(カメノコサマ)の祠(ウミガメ供養碑)が隣接しています。昔から利根川河口に位置する洲鼻は、さまざまなものが寄り集まる場所でした。*1*2

参考文献

*1
小野寺佑紀利根川河口域における海難者供養の習俗千葉県銚子市・茨城県神栖市波崎町の立正佼成会の事例から神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター リンク

銚子の海難史

P.130*2

田口理恵魚類への供養に関する研究東海大学海洋研究所研究報告 第 32 号東海大学海洋研究所2011 リンク

APPENDIX
P.72
No.215 ウミガメ、昭和61年旧11月1日建立 儀津屋丸他計24…

参考記事

波崎(銚子大橋)かつては、日本三大海難所の一つ。

今回は、波崎(茨城県神栖市)の町並みを散歩します。
波崎へは銚子大橋を渡って向かいます。

利根川を渡ると、茨城県の波崎町です。

利根川河口付近は、かつては、日本三大海難所の一つとして恐れられました。近代の海難事故としては、明治 43(1910)年に発生した「二月遭難」が、今も哀話として語られており、銚子だけでも 109 隻の漁船が遭難し、死者 912 名・行方不明者 1,054 名を数える未曽有の海難が発生しました。*1

波崎町側から見た銚子大橋。

参考文献

*1
小野寺佑紀利根川河口域における海難者供養の習俗千葉県銚子市・茨城県神栖市波崎町の立正佼成会の事例から神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター リンク

銚子の海難史

P.130

参考記事