江の島の弁財天仲見世通り。
江戸時代、庶民は、大山(丹沢)を詣り、そのあと江の島に足をのばし、生きた弁天様で精進おとしをしたようです。聖性セットの旅を「二所詣で」と称しました。*1
ハルミ食堂(写真右側)の脇の路地。
西町ハルミの裏には、芸者屋がありました。*2
「浜のさざ波」に、「此地は古今霊地なれば出女(でおんな)の類(たぐい)はさら也、芸者めきたるものも堅く禁制なり、いと尊き事にあらずや」とあり、島内に「遊婦」はいなかったと考えられています。*3
が、実態は少し違っていたようです。