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銚子(移住碑)漁場を開くことに成功した紀州移民。

今回は、銚子(千葉県銚子市)の町並みを散歩します。
17世紀に入る頃、房総半島では、紀伊、和泉、摂津をはじめとする関西からの漁民の出漁が盛んに行われるようになり、高神村(銚子の南東)に紀州移民が進出しました。*1

明治31年(1898)、紀州移民の同郷会組織である木国会が結成されました。*2

妙福寺には、「紀国人移住碑」が建立されています。

揮毫は、旧紀州藩主徳川茂承によるものです。

「僻遠の地であった銚子へ、紀州人の崎山某らが寛永・正保期にやってきて漁場を開くことに成功し、その後紀州から銚子へ移住する人が増加した。これをきっかけとして商工業者が各地から集任した結果、銚子港は関東屈指の要港となった。」と碑文に書かれています。*2

参考文献

*1
石井英也景観形成の歴史地理学関東縁辺の地域特性二宮書店2008
下総国海上郡高神村における紀州移民の動向

P.193
17世紀に入る頃、房総半島では、紀伊、和泉、摂津をはじめとする関西…

*2
清水克志銚子における紀州移民の定着と港町形成に果たした役割:とくに興野地区の特徴形成と大新旅館を例として歴史地理学調査報告 第12号筑波大学歴史・人類学系歴史地理学研究室2006.03 リンク

紀州移民の定着

P.136<…

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