現在の船越六丁目は、旧町名で「駒寄(こまよせ)」と呼ばれていました。駒寄、細長い谷戸で、この谷戸の一角の田んぼを埋めてみんなが協力しあって作った町だ、ということから「皆(みな)ヶ作」、それが転じて、「かいがさく」と言うようになりました。ここには、花屋敷(文字通り植物の花を扱っていた屋敷)がありました。昭和初期には、皆ヶ作の入口から奥へ、たくさんの居酒屋やカフェーが軒を連ね、どの店にもきれいな女給さんがいて、愛想よく客を呼び込んでいました。*1
「駒寄会館」に旧地名が残されています。
町内会には、「駒寄」の地名が継承されているようです。
京急田浦駅近くの丘陵から、駒寄(現在の船越町6丁目)方面。周囲を山に囲まれた谷戸であることがわかります。
駒寄の入口には『歓迎花屋敷花柳界入口』」の大アーチの看板がありました(銘酒屋街の入口と思われます。)。
最盛期、銘酒屋は45軒ぐらいあり、娼婦は1軒につき4人ぐらいいました。*2