今回は、音羽(東京都文京区)の町並みと風俗を散歩します。
護国寺の門前すぐそばの音羽町の大通りは、江戸時代は1丁目から九丁目まであって、特に六丁目から九丁目にかけてが女と遊べる江戸有数の盛り場でした。道の両側には、水茶屋と料理屋が軒をつらね、ひとつ奥に入った路地や裏通りには、局見世や子供屋が並んでいました。女郎のことを「子供」と称するなど遊興は深川を模倣したものでした。*1
天保度には、八・九丁目に料理屋が3軒あって、九丁目の子供屋2軒から女を送りました。*2
3軒の料理屋(吉田屋、紅屋、住吉屋)は、現在の音羽通りと目白通りが交差するあたり(現在は音羽一丁目)にありました。*3*4
旧音羽八丁目の裏通り。
音羽町九丁目の東側の桜木町と呼ばれていた一帯にも岡場所がありました。還国寺近くから北側に見える崖下に私娼宿が並んでいました。*1
【参考文献】
*1 江戸の性を考える会:大江戸岡場所細見(三一書房,1998)P.192-P.194
*2 花咲一男:江戸岡場所遊女百姿(三樹書房,1992)P.83-P.85
*3 岸井良衞:江戸・町づくし稿. 中巻(青蛙房,2003)
*4 児玉幸多:復元・江戸情報地図 14.音羽町・小石川一円(朝日新聞社,1996)