遊廓があった長崎出雲町のすぐ近くの高台にグラバー園があります。ここからの長崎港方面の眺めは格別です。
グラバー園は、グラバー邸などの洋風建築がある観光施設ですが、昭和30年代、グラバー邸は、「お蝶夫人ゆかりの地」として紹介されていました。*1
プッチーニのオペラ「蝶々夫人」は、悲劇の物語です。アメリカ人の海軍士官のピンカートンと長崎港を見下ろす丘の洋館で「蝶々さん」との新婚生活を始めますが、「3年後に必ず戻ってくる」との約束を残し、ピンカートンは帰国してしまいます。その言葉を信じて息子とともに待ち続けた3年後、ピンカートンはアメリカ人の妻をともなって長崎を再訪します。絶望のすえ蝶々さんは自殺してしまうのでした。*1
当時、西洋人たちは条約湾で結婚の一時的代用を求めました。そこで「蝶々遊び」と呼ばれる疑似結婚が長崎で流行しました。日本人の仲人が西洋人を茶屋に案内するとそこにはきれいな女の子が揃っていて、その中から気に入った女性に結婚を申し込みました。結婚は合法的なもので、警察署で署名捺印されましたが、女に飽きてしまうとか子供ができそうだとかで別れることができました。*2
グラバー園には、オペラ「蝶々夫人」の蝶々さんに扮したソプラノ歌手の三浦環さんの像があります。長崎港を指差している蝶々夫人の左側には息子がいます。
三浦環さんの像の隣には、イタリアから寄贈されたプッチーニの像があります。
「蝶々夫人」の演者として、もう1人有名なのが喜波貞子(1902~1983)です。グラバー園に展示コーナーが設けられています。
【参考文献】
*1 ブライアン・バークガフニ:グラバー園への招待(長崎文献社,2010)P.14-P.15,P.26-P.27
*2 金子一也:オペラ蝶々夫人のことが語れる本(明日香出版社共同マーケティング事業部,2004)P.175,P.180