明治4年薄野に遊廓ができましたが、開拓使岩村判官は、「酒色を以って命となす」という労務政策に確信をいだき、「御用遊廓(御用女郎屋)」と呼ばれた妓楼「東京楼」を建て遊女を招きました。*1
開拓使時代、働く人々の娯楽としては、酒と女が第一であり、あまり固苦しいことでは労働者は集まらなかったため、このような粋な計らいがされました。*2
かつての薄野遊廓があった付近は、現在はこのようなビル街になっています。
この付近には、西花楼、源嘉楼、金華楼、三四楼と並んでいました。*3
検番があったあたり。*3
【参考文献】
*1 熊谷秀一:札幌遊里史考史考(麗山荘,1975)P.18
*2 読売新聞社:さっぽろ大路小路(読売新聞社,1972)P.70
*3 金子信尚:札幌區商工新地圖(金子信尚,1910)