江戸時代、燈明堂(今日の灯台のような役割をする施設)が設置されていた万年ヶ鼻は、投身自殺の名所でした。燈明堂跡地付近には、浜田遊廓共済組合が昭和4年に建立した地蔵尊の供養塔が建っています。*1
今回は、下山稲荷神社から万年ヶ鼻を目指します。
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稲荷神社の最上部にある祠。ここから先、道はありません。
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鬱蒼とした雑木林の中を登ると、2体の地蔵に遭遇しました。明治43年と大正6年建立と読めます。
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藪と茨と蜘蛛の巣をかき分けて登ると、少し傾斜が緩くなり、わずかに踏み跡があります。しばらく歩くと突然眼前が開け、万年ヶ鼻の断崖絶壁が見えます(写真は海側に少しくだった所から撮影)。ここから東へ尾根沿いにトラバース(横断)すると、万年ヶ鼻です。
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【参考文献】
*1 児島俊平:近世・石見の廻船と鈩製鉄(石見郷土研究懇話会,2010)P.71-P.72
「浜田(下山稲荷神社)万年ヶ鼻への登り道。」への2件の返信
万年ヶ鼻まで行かれたんですか!すごいですね、小さい頃よく行ってました。確かにまわりの大人に自殺の名所らしいと聞いてました、景色は凄くいいですよ!
花さん
万年ヶ鼻への道は、ところどころ不明瞭なところもあり、たどり着くまで苦労しました。絶景に出会ったときは感動は今でも覚えています。