尾久(寺の湯跡)尾久三業の礎

今回は、尾久(おぐ、東京都荒川区)の町並みと風俗を散歩します。
尾久は、明治時代以前は農村(ムラ)でしたが、大正時代に急速にマチ化が進行しました。そのきっかけとなったのが、大正2年の王子電車(現、都電荒川線)の開通と翌3年に開業した「寺の湯」でした。*1

寺の湯は、碩運寺の住職松岡大機が鉱泉を掘り当て、「寺の湯」と称した温泉を開業したもので、のちに、「不老閣」として独立しました。やがてその人気にあやかるようにして、この地にいくつもの温泉旅館が開業し、このことが尾久三業の礎となりました。*1

こうして登場した花街・尾久産業地を中心に、その後は尾久地区の商店街が発展しました。*1

付近の電柱番号札には、「新地」の名が見られます。

【参考文献】
*1 八木橋伸浩:都市周縁の考現学(言叢社,1995)P.166-P.167

“尾久(寺の湯跡)尾久三業の礎” への2件の返信

  1. ビジネスジャーナルの「繁華街の昔を歩く」に、尾久三業地のことが紹介されていたのですが、阿部定事件が5月20日に起きた。阿部定が芸者と紹介されていて、目が点になりました。記事を書いた三浦展て誰だ?と調べたら「評論家」とあって、はあ?まあ、そんなもんでしょう。ただ、散歩に関する本をいくつか出されていて、気になるガラス窓の建物を紹介していましたので、探してみたいと思います。散歩なら、こちらのブログを見習って書いたらいいのに。

  2. 桜井京子さん、
    ご覧いただき、ありがとうございます。
    三浦展さんは、本をたくさん書いておられますよね。
    何冊か持っています。

コメントよろしくお願いします。