渋谷(弘法湯跡地)江戸時代の文献にも出てくる古い共同浴場

検番(渋谷三業会館)があった円山町の坂道から神泉駅へ向か下り坂が分岐しています。
円山町の背後は急な坂道になっていて渋谷の深い谷底に続いています。かつて、そこに「新泉」という泉が湧いていました。この谷の全域がかつての火葬場で、人を葬ることを仕事とする人々が多数住み着いていました。彼らは泉の湯をわかして「弘法湯」という癒しの湯を提供していました。*1

「弘法湯」は、江戸時代の文献にも出てくる古い共同浴場で、明治18年に佐藤豊蔵という人が経営権を譲りうけ、本格的なお風呂屋として機能し始めました。佐藤家は、のちに弘法湯の近隣地に神泉館という料理旅館を開業しました。料亭ができることによって芸妓屋が開業し、それから円山の花街が広く世間に知られるようになりました。神泉館は空襲で消失し、廃業。その後は銭湯としての「弘法湯」の営業となりました。*2
火災保険地図*3 によると、この駐車場の奥のあたりに銭湯の建物がありました。

道路沿いに、「弘法大師 右 神泉湯道」と書かれた道標のような石碑が残っています。

「明治19年」と刻まれています。

【参考文献】
*1 中沢新一:アースダイバー(講談社,2005)P.64-P.65
*2 倉石忠彦:渋谷をくらす(雄山閣,2010)P.214-P.216
*3 都市整図社:火災保険特殊地図 渋谷区(3)道玄坂方面(都市整図社,1955-1958)

カテゴリ

渋谷 温泉町·茶屋町

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