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水戸(青木新地)かつての歓楽街富田新地。

泉町二丁目(泉町一丁目交差点の西側)、「中央ビル」の裏手のパーキングが建つあたりは、泉町近辺では一種特別な雰囲気を持った歓楽街でした。


明治の末、豪商富田彦市という人が、ここに稲荷神社を勧進して水雷稲荷という社を建て、その南方一帯に、料理屋(待合)や芸妓屋を置いて、夜の歓楽街(富田新地)ができました。その後、明治45年に、この一帯は青木才次郎という建設業者のものとなり、名も富田新地から青木新地に変りました。当時の水雷稲荷は、写真のあたりにありました。*1

現在の中央ビルの場所には、旅館「伊勢彦」、青木材木店(青木才次郎の子が経営)がありました。*2*3

常陽銀行泉町支店(その前は第一勧業銀行水戸支店)脇の路地は、かつては「富田横丁」と呼ばれていました(富田新地の名残でしょうか)。*3

参考文献

*1
望月安雄泉町物語水戸の今昔泉町商店会1995.8
青木新地

P.146
泉町二丁目、今の第一勧業水戸支店横の路地を入ると、五軒町の日本た…

*2
網代茂水府巷談新いばらきタイムス社
明治、大正期の歓楽郷 富田、青木新地 芸者衆にモテた水雷稲荷

P.331
今も残っている水雷稲荷神社が、青木新地(富田新地)の昔を語る唯一…

*3
望月安雄泉町物語水戸の今昔泉町商店会1995.8
町並みの今昔

P.40-P.41
泉町2丁目の地図
旅館「伊勢彦」、青木材木店
富田横丁:…

参考記事

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水戸(水雷稲荷神社)富田新地から青木新地へ。

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