犬山町は、「日本ライン」の中心地として、また、桜の名所として観光・行楽客が多く、料亭も昭和初期には40軒を上回るほどとなりました。その主なものは、彩雲閣(犬山遊園地)、岩の茶屋(犬山遊園地)、迎帆楼(西谷)、観水(西谷)、枡屋(西谷)、田中屋別館(犬山橋畔)、八勝閣(犬山橋畔)、三宜亭(犬山橋畔)、木村(犬山公園)、五月(犬山公園前)、などでした。*1
迎帆楼は、現在取り壊されて建設中です。
木曽川畔には、旅館街が形成されていました。
現在は休業中の枡屋。
右から読んでも左から読んでも、「やすまるますや」
【参考文献】
*1 犬山市教育委員会,犬山市史編さん委員会:犬山市史(犬山市,1995)P.205