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浅草公園は、明治維新後の新政府の西洋化の政策により、公園を整備する名目で、浅草寺の敷地の一部を公園化することにより、作られた。*1*2【地図2】

ブログ抽出キー: 浅草2丁目 1873年-1951年
1ロック座 2凌雲閣 3浅草世界館 4花やしき
ラスタ地図3-1 浅草公園之圖
ベクタ地図2-1 浅草御蔵前辺図
ベクタ地図2-2 今戸箕輪浅草絵図
ベクタ地図4-1 浅草公園区割り図

参考文献

*1 堀切直人 浅草 江戸明治篇 右文書院 2005.3
浅草公園の誕生

P.182
維新期に明治政府の中枢を占めていた大久保利通は、欧米諸国を視察し…

*2 中村実男 昭和浅草映画地図 明治大学出版会 2018
浅草公園の誕生と六区の隆盛
P.2 江戸時代の浅草は、庶民信仰の浅草寺を中心に、見世物と大道芸の奥山(観音堂の西から北の区域)、歌…

タクソノミー(分類)

出来事

1873年 公園制度の誕生

1873年(明治6年)、政府(太政官)から出された布告(「府県は公園に見合う土地を選定して申し出よ」という通達)が公園制度の発祥である。これに従って、東京府は太政官に対して、浅草寺(浅草公園)、寛永寺(上野公園)、増上寺(芝公園)、富岡八幡宮(深川公園)、飛鳥山(飛鳥山公園)の5カ所を公園として伺い出…

1878年 「公園出稼仮条例」布達

(戊辰戦争時の)上野の戦争で山下(上野山の東側の麓一帯)を追われた諸興行場が奥山にながれこみ、浅草公園の奥山の出店・小屋掛けの総数は250を超えていた。(やむなく、現状を認めるかたちで、)明治11年10月12日に「公園出稼仮条例」が布達され、従来の奥山の門限(午後6時)の延長(午後12時)が規定されたが、これ…

1885年 銘酒屋の誕生

銘酒屋の誕生は、十二階の開場よりも以前に遡る。明治18年(1885年)に奥山の見世物小屋や料理屋が六区へ移されたとき、奥山に8軒の銘酒屋が出現した。この銘酒屋は明治24、5年頃には発展の翼を東京市中へ広げていき、音羽の護国寺、谷中の寺町、深川、本所、本郷の丸山福山町、などに撒き散らされた。これら東京市中…

1889年 凌雲閣(十二階)開場

凌雲閣(十二階)は,明治22年(1889年)10月に建設計画が発表され、十二階は、明治23年の4月から7月にかけて上野公園で開催された第三回内国勧業博覧会の遊覧客をあてこんで同年の1月に建設が始められていたが、予定より大幅に遅れて、博覧会が終わってから4か月後の同年11月に、ようやく開場に漕ぎつけた。その…
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浅草公園区割り図

火災保険地図をもとに作成。