*江戸東京たてもの園 解説本: *江戸東京たてもの園 解説本 (*江戸東京たてもの園 解説本,2003)

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鍵屋は、1856年(安政3)に居酒屋として建てられたと言い伝えられている。その頃の得意先には、上野寛永寺の名もあったという。その後、明治から大正、昭和初期まで酒の小売り店を営み、昭和の初期から店の片隅で夕方だけ一杯飲み屋を始め、戦後の1949年(昭和24)、本格的に居酒屋として営業を始めた。
鍵屋は、金杉通りと言問通りがぶつかる角近くにあり、都電の坂本二丁目停留所のそばで、山手線鶯谷駅からも程近い距離にあり、地の利に恵まれていた。
歴史を持つこの建物と主人が醸し出す雰囲気、そして旨い酒と肴は、多くの人々に愛された。戦後の「酒はカストリ」の時代から店のメニューはしだいに増え、鰻の子のくりから焼き(=うなぎの串)や煮奴(にやっこ)、味噌田楽などそれぞれの肴が絶品と言われた。
主人の清水幸太郎氏は無口で黙々と仕事をしていた。この店では女性だけの客、飲みすぎの客は断られた。

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丸二商店は、現在の千代田区神田神保町に昭和初期に建てられた看板建築と呼ばれる形式を持つ建物である。 (さらに…)

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子宝湯は、1929年(昭和4年)に足立区千住元町に建てられた。 (さらに…)