岡本哲志: 銀座を歩く (学芸出版社,2009)江戸とモダンの歴史体験

P.164-P.167 煉瓦街からはじまる銀座の路地の歴史は、戦後、空地に短いI型の路地を通し、両側に飲食店を張り付かせた。かつて金春芸者と呼ばれた芸者衆のいた花街の路地は、現在はバーやクラグが引き継ぐ夜の街の路地となっている。この西五番街と金春通りに挟まれた街区は明治期金春湯の辺りまでの約千坪の土地を西村兼吉が一人で所有していた。その後彼の敷地は分割され売られたが、路地部分だけを所有し続けた。宅地化できないために、この辺りはいつまでも路地が残った。

P.44 銀座グリーン97という緑色の外装のビルには、銀座通りから裏通りに抜ける短いⅠ型路地が設けられた。そこを抜ける途中、両側に自動ドアがある。一方のドアには「通り抜けできます」と書いてある。煉瓦街建設の時にできた長いI型路地と新しい短い路地がビルの中で交差する。

P.40 130年以上も前の煉瓦街建設でできた、最も銀座らしい路地空間が銀座七丁目にいまだ健在である。この路地は、銀座通りに平行して、ブロックのなかを短冊状に割られた敷地を串刺す長さ百mを超える煉瓦街建設のときにつくられたI型路地である。 P.41 長いI型路地を進む。朱色に塗られビルの壁が見えてくる。豊岩稲荷である。この稲荷は古くから水商売の人たちの信仰が厚い。この路地は、銀座通りや裏通りに面する通用口として機能し続けてきた。

P.61 明治の終わりころ、現在のあづま通りと三原通りの間のブロックには、質商「江島屋」の田村藤兵衛が大規模な敷地を所有していた。華やかな銀座通りから一歩入った横丁と裏通りに面していることもあり、横丁には菓子商や煙草商、床屋などが並んだ。質商は、農地解放とともに施工された戦後の財産税でことどとく土地を失い、2つの路地が誕生した。 一つは三原通りから以外からアプローチできない、袋小路の路地だ。路地の前に立つと、半世紀ほど時間が巻き戻ったようなゲート状の看板が出迎える。 もう一つの路地は、三原小路である。