浅草観光連盟 浅草細見 増補新訂 1976.12

喜多川周之 1878年 「公園出稼仮条例」布達

(戊辰戦争時の)上野の戦争で山下(上野山の東側の麓一帯)を追われた諸興行場が奥山にながれこみ、浅草公園の奥山の出店・小屋掛けの総数は250を超えていた。(やむなく、現状を認めるかたちで、)明治11年10月12日に「公園出稼仮条例」が布達され、従来の奥山の門限(午後6時)の延長(午後12時)が規定されたが、これは、楊弓場(ようきゆうば)や水茶屋などの”今日でいう風俗営業”に属する者には口実を与えたことになり、深夜営業のその結果は、後年の浅草公園が背負う暗影の一因となった。

この文献を参照している記事

1878年(「公園出稼仮条例」布達)浅草
1873年(浅草寺領を公園地に指定)浅草