さっぽろ大路小路: さっぽろ大路小路 (読売新聞社,1972)札幌いまとむかし

P.82-P.83 「ススキノ0番地街」――ネオン街ど真ん中、南六西四に、東西百メートルにわたる地上五階地下一…

 えひめ、昭和の街かど: えひめ、昭和の街かど (えひめ、昭和の街かど,2010)生活を支えたあの店、あの仕事 : 平成から昭和へ、記憶でたどる原風景 (えひめ地域学調査報告書 ; 平成21年度)

三津浜は、松山市の港町

 山本泰三: 土佐の墓 その2 (土佐史談会,1987)

P.235 松岡寅八 寅八は、水道町(旧横町、魚の棚)住、幼年時代から商売を仕込まれ、明治2年…

 東京都江戸東京博物館: *東京150年記念 「看板建築展」 展示品説明文 (江戸東京たてもの園,2018)

海老原家は、茨木健取手の出身で、1887年(明治20)頃に上京し、古着屋を開業した。震災後、既製品の洋服…

被災者の多くは、焼け跡に自力で資材を集めて建てたバラックに暮らした。この様子を、「考現学…

 ぴあ: *ぴあ No.58 (ぴあ,1977.6.1)

 公共施設地図航空: 立川市 1970年度版 (全国統一地形図式航空地図全住宅案内地図帳) (公共施設地図航空,1970)

P.7521 羽衣町一丁目に、荻原荘、稲生荘、千秋荘、大橋寮、横田寮、石田寮、羽衣荘、東松寮、栄荘、萬年…

 近藤正一: *日本建築学会計画系論文集 通号488 P.203-P.210 (日本建築学会,1996.10)中村遊廓における建築計画の類型

P.205 廓の構造は、島原や吉原などと同様、縦1本、横3本の大通りを持った三筋構造を基本とし、さらにそ…

P.206 中村遊廓において、当時の構造を残していると判断される建物は40件。 P.205 図6 中村…

 毎日新聞社: 毎日新聞 中部夕刊 (毎日新聞社,2017.6.5)「善ちゃん」店主死去 森繁久弥、ミヤコ蝶々らに愛され リンク

旧中村遊郭の一角の名古屋市中村区大門で60年以上も赤ちょうちんを守ってきた居酒屋「善ちゃん」の主人…

 永原慶二: 苧麻・絹・木綿の社会史 (吉川弘文館,2004)

P.2-P.5 近代以前の日本の衣料原料で代表的なものは、苧麻(ちょま)・絹・木綿の三つであった。戦国時代…

 まちづくり津島: 海部津島郷土研究 第1号 (まちづくり津島,2016.3)

P.92-P.93 大正8年、津島町は池須蓮田の埋め立てに着手した。この内容は「尾陽新報」(大正8…

 津島商工会議所: 津島市商工名鑑 1963年版 (津島商工会議所,1963)

P.151 津島料理業組合(広告欄)  茨寅、魚源、魚島、太田屋、角屋、菊水、紀の昭、壽、三…

 愛知県警察本部: 愛知県警察史 第3巻 (愛知県警察本部,1975)

P.392 第四九表 カフェー(いわゆる特殊飲食店)の営業地帯形成状況 1.集団的に一画を形…

 公共施設地図航空: 津島市 全住宅案内地図帳1970 (公共施設地図航空,1970)

料理屋、券番事務所、旅館、の記載 P.2643 料理玉船、旅館竹廻家、料理明月、旅館二葉、旅館…

 津島市立図書: 津島 : 歴史写真集 第2輯 (園田俊介,2013) 明治・大正・昭和前期の学校写真

江戸時代から「芸どころ津島」と評判であった津島の花街。昭和初期、津島町には池須を中心とし…

 ゼンリン: 大垣市 (ゼンリン,1971)ゼンリンの住宅地図

P.71 「トルコ城東」の記載あり。

 矢田山聖子: 坪内逍遥の妻 大八幡楼の恋 (作品社,2004)

P.10 逍遥は、大学時代の同級生に誘われて、根津遊廓のなかでもひときわ格式のある権現裏の大八幡楼(お…

 松本清張: 文豪 (文芸春秋新社,1974)

P.44-P.45 逍遥がおセンさんといっしょになったのは二十八歳の秋、それからそろそろ初期鬱憂現象の神経衰…

 美濃加茂市: 美濃加茂市史 通史編 (美濃加茂市,1980)

P.852 太田は、中山道の宿場であった関係から、江戸時代より旅籠が約20軒を数えたというが、明治になって…

岐阜シティ・タワー43は、JR岐阜駅から西に徒歩3分の場所にある地上43階、地下1階の超高層再開発ビルです…

 善隣出版社: 関市・美濃市 (善隣出版社,1971)

 市原三三: ふるさと美濃市明治大正よもやま話 (市原三三,1981)

P.149-P.152 大正年代から昭和初期にかけては、美濃町花街が最も盛んだった時代で、料亭も多くあり、芸妓…

俵町の円通寺南には、「八幡屋」が営まれている。明治30 年代に建てられた料理旅館として朝日…

花街界隈 大正時代に入ると、小倉公園は桜の名所 として県内で名が高くなり、多くの花見客 が集うように…

 十和田市観光協会: 十和田市観光情報 アーツトワダ ウェブ (十和田市観光協会,)とうてつ駅そば リンク

十和田にはかつて十和田観光電鉄という鉄道路線があり、十和田駅という駅も存在しました。この…

 太素顕彰会: 十和田(旧三本木)開拓の秘話 (太素顕彰会,1986)

P.32 「一心亭」は、新潟の方の人で、舟で料理か何かの商売をしていたと言いますが、三本木に来て、その…

 日興出版: 十和田市住宅地図 (日興出版,1977)

P.27 産馬通り。東三番街。

 江渡武多朗: *十和田市流通業界今昔物語 (皆さんの新聞社,1976)附・十和田市流通業界のぞきみて歩きの記

 戦後間もない頃、浜田恵美子女史が、京都、大阪の美人ホステスを動員して産馬通りに「民謡酒場」を開業…

 大正初期以降、戦時中を除き昭和三十年代中期まで、紅灯と提灯を表看板として、お座敷中心の日本料理に…

料亭方面を探訪すると、代表的なものに、一心亭(産馬通り)、忍亭(五丁目東裏)があった。共…

 むつ小川原産業活性化センター: むつ小川原ガイド (むつ小川原産業活性化センター,)馬と歩む奥州路 リンク

馬市と産馬通り  馬産の町として知られていた十和田市(当時は三本木町)に、陸軍省軍馬育成所が設置さ…

理念寺の西側、北園小学校の東側に、「新地」の記載。

 日刊東北社: 写真集「なつかしの三本木」 のしおり (日刊東北社,1977)

P.10 ◎料亭一心亭 今は裏手にあるが当時本通り現東映付近にあった一心亭。 ◎島田楼 元新地通り現西十…

 東交出版社: 最新青森市住宅明細図 (東交出版社,1966)

P.59 宝来町。旅館が密集している一画。旅館吉福、旅館第二吉福、旅館第三吉福、みやぎ荘(み…

 青森市常盤町町会: 常盤町発展史 (青森市常盤町町会,1986)町会創立六十周年記念

P.15-P.17 旭町一帯の発展のきっかけとなったのは、明治43年の青森大火である。当時堤川端柳原にあった遊…

 中園裕: 青森・東津軽今昔写真帖 : 保存版 (郷土出版社,2010)

P.32 明治43年の大火で柳原(現・港町)にあった遊廓は全焼、その後、旭町に復活する。戦後、…

 朝日新聞社: 朝日新聞.西部版 (朝日新聞社,2015.8.2)染めた看護服 太平洋戦争下、国内医療の現実

P.4 終戦の1年ほど前。武雄の女郎屋さんを全部、海軍が借り上げて病舎にしていましたですね。私の病舎は…

 佐世保市史編さん委員会: 佐世保事典 (佐世保市,2002)

花園遊廓 明治時代後期の佐世保には、遊廓といえば小佐世保(勝富)だけであった。一方、宮田町や太田町…

 平岡昭利: 地図でみる佐世保 (芸文堂,1997)

P.72 「花園町の図」に、松月楼、開明楼、本家高砂楼など楼名の記載。 写真72 佐世保の遊…

 吉田容子: 都市地理学vol.10 (日本都市地理学会,2015)敗戦後長崎県佐世保市の歓楽街形成史-遊興空間をめぐる各主体の関係性に着目して

P.70 1954年の2月~3月頃、貸席はどこに存在していたのか。住宅地図で「〇〇ハウス」とある標…

 佐世保地理研究社: 佐世保地理詳解図 昭和29年度 (佐世保地理研究社,1954)

P.21

 山口日都志: 女性哀史 佐世保遊里考 (芸文堂,2017)

P.160-P.163 早岐と相浦が佐世保の副都心であり、早岐は商業と鉄道の街として重要な役割を果たし、