早稲田通りの馬場口交差点から南へ折れ、階段になっている歩道を上り切ったところにある馬のモニュメント。

馬のモニュメントの先に、国旗掲揚塔が鎮座しています。

諏訪町会国旗掲揚塔。1964年(昭和39年)の東京オリンピック東京大会を記念して建てられたものです、日付は10月24日となっています。
千駄ヶ谷で見かけた国旗掲揚塔※1と同じく、町内会が建てたものです。

国旗掲揚塔から北側。写真左奥が「馬のモニュメント」です。

早稲田通りの馬場口交差点から南へ折れ、階段になっている歩道を上り切ったところにある馬のモニュメント。
馬のモニュメントの先に、国旗掲揚塔が鎮座しています。
諏訪町会国旗掲揚塔。1964年(昭和39年)の東京オリンピック東京大会を記念して建てられたものです、日付は10月24日となっています。
千駄ヶ谷で見かけた国旗掲揚塔※1と同じく、町内会が建てたものです。
国旗掲揚塔から北側。写真左奥が「馬のモニュメント」です。
毎日通り飲食店街の北側の入口。レトロな電飾看板が建っています。
この看板を支えているのは、レトロ電柱。
今では、ほとんど見ることができなくなったレトロ電柱ですが、毎日通り飲食店街の一画には、10本以上残っています。
レトロ電柱のほとんどは、実際の電柱として活躍中です。
京島三丁目は、昔ながらの住宅街です。
物干し台のある木造家屋。
木製の支柱。
スカイツリーと物干し台。
かつて千住遊廓があった千住柳町。写真の通りの両脇が遊廓地でした。*1
現在は遊廓時代の面影はありません。
唯一の名残とも言える電柱標識。「廓支」と書かれています。
さて、問題の電柱標識はここからです。古いタイプの標識を見ると「廊支」。これまで幾度となく見てきた※1 廊下の「廊」です。正しい「廓」の表記は、上の写真の1本のみで、他の電柱のほとんどがこの「廊」でした。
1本だけあった、いらがなの「くるわ支」。平仮名表記の廓(くるわ)は、初めて見る事例です。
かつての品川三業地。※1
写真の通りが三業地の中心部で、芸妓屋の清河、菊の家、冨久家、金吉田、福よし、宇田、由多か、米原、料理屋の菊の家、がありました。*1
現在は住宅地となっていて名残はありません。
唯一、電柱に「三業支」と書かれたプレートを確認することができます。
西側の通り。芸妓屋の梅家、春本、田中、新春本、一富士、料理屋のみかど、根岸、新福がありました。*1
写真奥には、品川の高層ビル。
蒲田の二業地跡の電柱標識。当時の名残を示す「二業」の名前が確認できます。
手書きの「二業」。
かつての待合が集中していた一画。問題の電柱標識はここにありました。
この一画はすべて「二業」と書かれていますが、1本だけ「二葉」がありました。。おそらく、何かの都合で取り換えたときに誤記が発生したのでしょう。
電柱標識プレートには、遊廓の「廓」を廊下の「廊」と誤記した事例などを見かけることがあります。※1※2
磯子の葦名橋近く。かつての磯子の花街の入口にあたる場所に、レトロ電柱が1本だけだけ残っています。
しっかりと建っています。
街路灯として、現在も使用されているようです。
電柱の中央部のプーレート部分。何と書かれていたのでしょうか。
石畳の坂道を下った曲がり角に、コンクリート製のレトロ電柱が一本建っています。
石畳とよく調和しています。
「山洋コンクリート工業株式会社製造」と書かれています。
まだまだ元気です。
藤岡の旧鷹匠町の通りに、レトロ電柱があります。
電柱は、きちんと区画されていて大切に保存されています。
「東京新宿 富士コンクリート株式会社」と書かれています。
かつての乙種料理店街に残されているレトロ電柱。
近年、急ピッチで開発進む武蔵小杉駅前。高層マンションが林立しています。
奇跡的に1本だけ残っているレトロ電柱。
昭和遺産と言えそうです。
中央部分のへこみは、何かプレートが埋め込まれていたのでしょうか。
川口市本町の「川口宿の碑」がある交差点から西へ行ったところに、レトロなコンクリートの電柱があります。
細い路地と広い道路が交差する場所に、奇跡的に残っています。
電柱の側面。
現在は、街路灯として活躍しています。
長屋が連なる元麻布の路地に、レトロ電柱が残されています。
現在も消火器箱を取り付ける支柱として活用されています。
電柱のてっぺん部分には、かつての街路灯を思わせるデザインが残されていますが、現在は、蛍光灯の街路灯が取り付けられています。
同じ通りに、約50cmほどの長さに切断されたレトロ電柱があります。現在は、手前に設置してあるゴミ置き場の看板を固定するための紐を結ぶ支柱として活用されています。根元からちょん切られずに、現在も残っているのは貴重な遺構であると言えます。
トマソン(無用の長物)の命名者の赤瀬川原平さんは、切断された電信柱や樹木のことを、有名な猟奇事件の技法にならって、「阿部定」型トマソンと分類しました。*1*2
写真のレトロ電柱は、レトロ版「阿部定」と分類できそうです。
【参考文献】
*1 赤瀬川原平:路上観察学入門(筑摩書房,1993)P.241
*2 赤瀬川原平:超芸術トマソン(筑摩書房,1987)P.133
JR代々木駅前に国旗掲揚塔があります。
昭和39年10月吉日と書かれています。東京オリンピックの開催は、昭和39年(1964年)10月にですので、この国旗掲揚塔はこれにあわせて作られたものと思われます。
代々木駅近くの交差点にも同様の国旗掲揚塔があります。
「昭和39年8月20日 通り町会国旗掲揚塔」と書かれています。
京島から曳船へ向かう途中の静かな住宅地に、古い電柱が残っています。
レトロな感じが漂います。
福地電気工業。
電柱の裏側。「山口ガーデン通り」と書かれています。昔は商店街だったのでしょうか。
京島三丁目には、長屋住宅が散在しています。
木製の物干し竿受けがあります。
昭和の住宅の風景です。
かつては、長屋住宅が連なっていたのだと思います。
安浦の旧赤線街には、古い電柱がたくさん残っています。
現在も街路灯として使われています。
色里だった雰囲気が伝わってきます。
コンクリート製の電柱。
妓楼の建物の前の通り。
普通のコンクリートの電柱に混じって、レトロな電柱が残っています。
根元の部分。
今の電柱と違って、昔の電柱は雰囲気があります。
今回は、鳩の街(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
京島二丁目の住宅街。道路がS字カーブを描くようにして続いています。
一歩路地へ入ると昭和の空間が残っています。
木製の支柱と裸電球の街路灯。
コンクリート製の支柱に裸電球の街路灯もあります。
蛍光灯の街路灯。支柱は木のままです。
弥生三丁目付近に古い支柱があります。
左隣に理容室があります。コンクリートが劣化していますが、補修されています。
支柱が立っている場所は、特殊飲食街の雰囲気が残る路地の入り口にあたります。
かつてこの場所に飲食街の入り口を示すアーケードがあったようです。
八坂神社の中にレトロな電柱があります。
何のためにこの電柱がここにあるのかは不明です。
てっぺんに裸電球がついています。
関所跡。碑は利根川の堤防の近くにあります。
千住龍田町は、細い路地が迷路のように続く住宅街です。。
物干し竿が残るお宅。
昭和の風景です。
長屋の建物。