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小田原(初音新地跡地)現在のスポーツプラザ神奈中のあたり。

今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
小田原の遊女屋は江戸時代の飯盛女に始まるもので、明治35年まで東海道筋に散在していました。泉鏡花の「熱海の春」(明治35年1月)*1 には、「31日、小田原見物、遊女屋が軒を並べてにぎやかである。」とありますが、明治32年、遊女屋を旧古新宿(こしんしく)の海側の一角の指定地に集めるという措置がとられたばかりで、「熱海の春」が描かれた明治35年には、古新宿にすでに遊廓ができかかっていました。ところが、同9年9月28日、小田原一帯を大津波が襲い、この津波でほとんどできあがっていた遊女屋は跡たかもなく押し流されてしまい、指定地替えが行われ、新玉4丁目の一廓(初音新地)が指定されました。*2

昭和4年発行の「小田原全図」※1 によると、初音新地の北側には川が流れていました。現在は暗きょになっています。

暗きょは西側へ伸びています。写真左側(南側、現在のスポーツプラザ神奈中、旧神奈中ボウル*3)が遊廓があった側。

「初音」の電柱プレート。

参考文献

*1
青空文庫青空文庫青空文庫 リンク
泉鏡太郎熱海の春 リンク

はいけい
 三十日さんじふにち*2

小田原史談会小田原史談小田原史談会
第145号1991.6
石井富之助小田原叢談(五)

P.281
初音新地
小田原の遊女屋は江戸時代の飯盛女に始まり、明治35年ま…

*3
興津繁折にふれて足柄歴史随想興津繁1985
遊廓・初音新地は不夜城

現神奈中ボール、新玉交番のあたり。
西より、金晶、宝来、東海、松本、菊本…

参考記事

※1小田原(郷土文化館)小田原を紹介する資料の展示。初音新地。

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小田原(十王町石柱)浜町1丁目。川崎長太郎の抹香町。

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