柳川町は、柳通りを境にして東側を東部地区、西側を中部地区と呼んでいます。飲食街として発展したのは東部地区でしたが、昭和の初期に芸妓街として発展したのは中部地区でした。*1
その中部地区には、わずかに古い旅館風の建物が残されています。
ゑびす通りの南側にある路地。
割烹旅館「信田」だった建物が残されています。*2
このあたりの建物は、おおかた芸妓屋でした。*2
建物の表側(ゑび通り)にまわってみると、美しい板壁が残されていました。
【参考文献】
*1 はせちゅう:柳川町花街物語(文芸社,2002)P.346-P.348
*2 根岸省三:高崎郷土花街史(1981)P.158