全国>東京都>豊島区>南大塚1丁目>/ジャンル>遊興>花街・カフェー>花街>/全年代>現代>戦中・戦後>1950年代>/

大塚(大塚三業通り)バッティングセンター脇に入口看板。

大塚駅南口前にあるバッティングセンター。
バッティングセンター脇に、「大塚三業通り」の入口を示す看板が取り付けられています。

大塚駅周辺では、日露戦争頃より高まった大塚駅周辺では、日露戦争頃の都市開発により、三業地要望の声が高まり、大正11(1922)年、巣鴨町字平松(現在の南大塚一丁目付近)の地(山の手線大塚駅前南口を出て線路沿い)に指定挙以下を受けて、大塚三業地がつくられることになりました。*1

現在も花街だった頃の名残の料亭が散在しています。

老舗料亭の「大豊」。現在も営業中です。

参考文献

*1
豊島区豊島区史 通史編 2豊島区史編纂委員会1983
大塚三業
P.801 日露戦争頃より東京市隣接町村の都市開発は高まり、田畑は姿を消し、代わりに大塚周辺は宅地造成と…

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