府中駅の北側にある旧老松町に、遊廓があり、約100mほどの道の左右に貸座敷が並んでいました。府中は、備後国の国府があった場所なので、政治上重要な土地でした。それゆえ、遊廓も古くから発展していました。*1
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/200901/08/51/e0073751_21514157.jpg?w=450&h=300)
当時の面影を残す建物が道の両側に残っています。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/200901/08/51/e0073751_21515269.jpg?w=450&h=300)
逆方向から見たところ。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/200901/08/51/e0073751_2152279.jpg?w=450&h=300)
この場所にも面影を残す建物がありましたが、現在は更地になっています。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/200901/08/51/e0073751_21521231.jpg?w=450&h=300)
【参考文献】
*1 忍甲一:近代広島・尾道遊廓志稿(日本火炎資料出版,2000)P.328
府中駅の北側にある旧老松町に、遊廓があり、約100mほどの道の左右に貸座敷が並んでいました。府中は、備後国の国府があった場所なので、政治上重要な土地でした。それゆえ、遊廓も古くから発展していました。*1
当時の面影を残す建物が道の両側に残っています。
逆方向から見たところ。
この場所にも面影を残す建物がありましたが、現在は更地になっています。
【参考文献】
*1 忍甲一:近代広島・尾道遊廓志稿(日本火炎資料出版,2000)P.328