現在の花咲町(掃部山公園の東側一帯)付近には、掃部山(かもんやま)と呼ばれる花街がありました。*1
横浜駅(現在の桜木町駅周辺)周辺は、明治末期から商業の町として発展を続け、中でも横浜船渠株式会社(後の三菱重工業株式会社横浜造船所の創立は、ドック周辺の店の繁盛につながっていき、岩亀横丁などを中心に飲食店ができるようになりました。さらに会社の応接室のように、掃部花街の利用も多くなっていき、掃部山の芸妓組合は35店をもって顧客に好評でした。*2
地元の方の話によると、写真の通りには料亭が建ち並び、三味線の音が漏れ聞こえ、とても情緒があったそうです。
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現在は、住宅地となっていて花街の面影はありません。
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昭和31年(1956年)の住宅地図によると、この付近には、料亭の「ぼたん」「みどり」「雅の家」や芸妓置屋が建ち並んでいました。*3
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掃部山公園の入口。「掃部山」の名前が唯一残っている場所です。井伊直弼が名乗った「井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼」に因んで「掃部山」と呼ばれるようになりました。
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【参考文献】
*1 横浜市:横浜市史稿.風俗編(横浜市,1932)P.545-P.546
*2 中区制50周年記念事業実行委員会:横浜・中区史(中区制50周年記念事業実行委員会,1985)P.490-P.492,P.515
*3 経済地図社:西区明細地図(経済地図社,1956)P.41