木造町松原は、馬市の町として知られ、明治36年、馬市の開設とともに繁栄してきました。陸奥鉄道(現在の五能線の一部)開通前は、弘前から五所川原を経て、馬の尾を手綱でつないで行列を組み、松原入りしました。これに伴い、博労(馬の売買をする人)たちが泊まるマトヤ(馬宿)がたくさんでき、西北畜産農協のそばには、(昭和50年頃まで)マトヤが残っていました。*1
西北畜産農協があったあたり*1 は、現在は更地になっています。
スナックだった建物。
昭和50年頃までは、料飲店や大きな旅館が残っていて、松原というと飲食店街というイメージが残っていました。*1
【参考文献】
*1 陸奥新報(1975.2.24)津軽の町内今昔記28