大鷲神社の玉垣は、最近作られたと思われる新しいものですが、右の角に一本だけ黒御影石でできた古い玉垣があります。
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表面の上部には、「遊廓」の二文字が刻まれています。
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裏面には、3cm四方の枠入れの穴があり、奉納した年月「明治四十壱年四月納」が刻まれています。大鷲神社は、関東大震災と横浜大空襲により、遊廓とともに消失しましたが、玉垣のうち完全なものを一本だけ再利用したものと推察されています。*1
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落語家の桂歌丸さんの玉垣があります。桂歌丸さんが住んでいた家は、真金町の遊廓「富士楼」でした。椎名巌(いわお)少年(本名)は、富士楼を切り盛りしていた祖母に遊廓内で育てられました。巌少年は、店の女の子たちに、「坊や、坊や」と可愛がられたそうです。*2
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【参考文献】
*1 中村数男:横浜の遊廓の研究(横浜開港資料館)P.40,P.77
*2 桂歌丸:週刊文春(2002.11.7)「家の履歴書397」P.70-P.73