平塚市立野町にある銭湯のよねの湯

郊外の住宅地の中にある銭湯です。

水色の暖簾をくぐると、男湯と女湯で左右に分かれています。

煙突。上部が火の見櫓のような特殊な形状をしています。

平塚市立野町にある銭湯のよねの湯

郊外の住宅地の中にある銭湯です。

水色の暖簾をくぐると、男湯と女湯で左右に分かれています。

煙突。上部が火の見櫓のような特殊な形状をしています。

平塚市街を横断する国道一号線。崇善小学校交差点に廃屋の建物があります。

カー用品店の看板とギター教室の看板が残っています。

タレントの小倉優子の看板。

建物の側面には、スナックのような入口。

旧平塚遊廓の南側。

寿司店。

40年前から営業している店です。

ちらし寿司とビールを注文。

旧平塚遊廓の東端にある大鷲神社。

祠の脇に、震災遭難者供養碑があります

大正12年の(1923年)の関東大震災によって、平塚の花柳街、平塚遊廓は全半壊し完全なる家屋はありませんでした。被害を受けた平塚の遊廓は、復興に着手し、震災以後の平塚の妓楼は、福岡楼、新笹楼、相模楼、旭楼、東楼、平田楼、京友楼、金鱗楼、蛭子楼、第一松栄楼、第二松栄楼の11軒で、娼妓は130人が在住していました。*1

震災遭難者供養碑の裏側には、「平塚貸座敷組合一同」と刻まれています。

【参考文献】
今泉義廣:平塚花まち色まち物語(湘泉堂,2007)P. 104-P.105
旅館「うろこや」があった場所には、特殊カフエーの「金鱗」がありました。*1*2

ウロコ(鱗)駐車場。

特殊カフエー「東」があったあたり。*2

「東」の鬼瓦。

【参考文献】
*1 明細地図社:平塚市明細地図(明細地図社,1967)P.38
*2 今泉義廣:平塚花まち色まち物語(湘泉堂,2007)P. 128-P.129(特殊カフェーの屋号と経営者姓名の並び順の記載)
今回は、平塚(神奈川県平塚市)の町並みと風俗を散歩します。 平塚遊廓は、現在の大鷲神社(平塚2丁目)の西側に一画にありました。*1 平塚遊廓は、昭和20年の米軍の空襲によって跡形も無くなり、終戦後、旧遊廓には、進駐軍の特殊慰安施設が作られました。昭和21年以降、旧遊廓は赤線区域となりました。*2
平塚の特殊カフェーは、大鷲神社の隣から東から西へ豊香、松葉、松栄、武蔵、喜本、千代本、相模、笹屋(以上、道路の北側)、道路の南側には、東から寿、組合事務所、都、金鱗、東、旭、福岡、村田、と建ち並んでいました。

売春防止法施行後、これらの特殊カフェーの一部は、旅館に転業したと思われ、昭和42年の住宅地図には、カフェーと同名の屋号の旅館も確認できます。写真は、旅館むさしがあったあたり。

この付近には、旅館きみの、旅館ともき、旅館ひさのやの3軒がありました。

遊廓の裏通り。

【参考文献】
*1 平塚市博物館市史編さん担当:平塚市史(平塚市,2011)附図「平塚復興都市計画図」
*2 今泉義廣:平塚花まち色まち物語(湘泉堂,2007)P. 122-P.129
*3 明細地図社:平塚市明細地図(明細地図社,1967)P.38
久慈の歓楽街の北側(久慈市巽町1丁目)にある銭湯の寿湯。

建物の中央部分(男湯と女湯の間)に螺旋階段のある珍しい建物です。

入口部分のタイルの装飾。

裏側から見た銭湯の外観。大きな建物です。

久慈市本町1丁目。

小規模なスナックビル。

看板が密集しています。

ビルの中央は通り抜けのできる横丁です。

久慈の歓楽街は、巽町1丁目の北東と本町2丁目の北側に集まっています。

丸窓のモダンなデザインのスナック店。

建物の右側に別の店の入口への通路があります。

通路を進むと、スナック店の入口です。

久慈の市街を西側の荒町(道路がクランク状になっている先)。
「大正末期の久慈町見取図」*1*2 によると、荒町には、いろは楼、みどり楼、ゑびす楼がありました。

遊廓があったと思われるあたりには、現在、旅館(ビジネスホテル)が2軒あります。

ビジネスホテル「いろは」。「いろは楼」の名残でしょうか。

当時の遊廓内のにぎわいを撮影した写真によると、ビールは「日本ビール(ニッポンビール)」でした。*2

【参考文献】
*1 久慈市史編纂委員会:久慈市史 第3巻 通史.近代(久慈市史刊行会,1998)
*2 久慈青年会議所:大正末期の久慈 写真集人々とくらし(久慈青年会議所,1978)P.23,P.41
久慈駅近くにある「喫茶モカ」。 連続テレビ小説「あまちゃん」に登場する喫茶兼スナックの「リアス」のモデルとなったとされる喫茶店です。*1*2

店内には、あまちゃんの出演者のサイン色紙などが多数あります。

名物のナポリンタンを頂きました。

もう一つの名物のたまごサンドをテイクアウト(JR八戸線の車内にて)。

【参考文献】
*1 おとなの週末 11巻 12号 通巻134号 (2013年12月)P.74-P.75
*2 岩手日報(2016.9.15)
今回は、久慈(岩手県久慈市)の町並みと風俗を散歩します。
久慈のランドマーク的存在の商店街共同建築「駅前デパート」。

2013年度上半期のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台となったビルです。

建物の中央部分に「駅前デパート」と書かれています。

1階のコミュニケーションギャラリー「ひまわり」。

瀬棚遊廓は、明治27年に官許となり、大正12年頃の全盛期には、妓楼6軒、料理屋8軒で、一晩に200~300の標客が訪れました。*1

当時、瀬棚の浜は鰊漁で賑わい、有数の漁場として、また利別平野の農産物の移輸出港として交通が発展しました。遊廓街の入口には、5~6寸の角材の門柱が両側に立てられ、上部に当時としては珍しいガス灯が点され、遊廓街特有の雰囲気がただよっていました。しかし、大正5年の豊漁を最後に次第に不漁となり、遊興業も衰退の道を辿り、昭和になると40年続いた貸座敷業は終焉を迎えました。*2

遊廓の入口付近にあるサヨナラ橋。*2

かつての遊廓通りは、現在ははまなす団地と民家が建ち並ぶ通りになっています。*3*4

遊廓通りの南側からは、立像山の展望台*5 が見えます。

【参考文献】
*1 川嶋康男:北風に遊女哀歌を聴いた(総北海ブックス,1983)P.25
*2 瀬棚町:瀬棚町史(瀬棚町史編纂委員会,1991)P.938,P.945-P.946
*3 林郁夫:懐かしの瀬棚旧地図 昭和9年頃の資料もとに書き起こし(林郁夫,2000)
*4 ゼンリン:北海道桧山支庁(ゼンリン,1991)P.54
*5 風俗散歩(瀬棚):立象山公園(2017.3)
今回は、瀬棚(北海道久遠郡せたな町)の町並みと風俗を散歩します。
瀬棚市街から見える立象山。特徴的な形をしています。

立象山の頂上部分は、公園になっていて、展望台からは市街を一望できます。

写真中央奥に見える直線道路の場所には瀬棚遊廓がありました。*1

瀬棚遊廓があった通り。

【参考文献】
*1 川嶋康男:北風に遊女哀歌を聴いた(総北海ブックス,1983)P.25
裏浜町の通り。

そば屋の「更科」。昭和の初期から続く老舗です。

落ち着いた雰囲気の店内。

天ぷらそばと日本酒を注文。

裏浜町の繁華街。

古い料理屋の建物が残されています。

「味の一平」の屋号。

其の筋のお達しにより、二十歳未満の方の御入店固くお断り致します。

昭和のはじめ、浜町界隈にあった私娼窟、いわゆる”ゴケ屋”は、小公園から拓銀室蘭支店(現在、コンビニのローソン)までの右側の小路に散在し、特に多いのは、「浪花」(現在、哲屋中央店)から国道へ抜ける小路、元大国館(写真左側)前から裏浜町に抜ける小路、裏浜町の多田薬局から郵便局までで、店の数は約45軒ぐらいといわれていました。*1

元大国館(写真左側)前から裏浜町に抜ける小路。

「地下街ランランタウン」の入口。

昭和の雰囲気が残る焼き鳥屋。

【参考文献】
*1 平林正一,久末進一:聞き書室蘭風俗物語(袖珍書林,1986)P.145-P.146
札幌の薄野遊廓が栄えたおかげで、もっと大衆的な狸小路が出現したように、幕西遊廓ではちょっと遊べない庶民が楽しめる、より安価で大衆的な歓楽街が浜町で、”三等小路”と呼ばれた私娼街もありました。*1
現在の浜町の室蘭郵便局の南側に、スナックが密集する一画があります。

道幅の狭い小路が続きます。

オレンジ色のドア。

ゆりちゃん。

【参考文献】
*1 平林正一,久末進一:聞き書室蘭風俗物語(袖珍書林,1986)P.120
遊廓があった幕西坂の上部。*1

「赤線跡を歩く.完結編」*1 に掲載されている石垣が残る旅館跡地(旧旅館「ふみの」)。かつての鈴木楼、栄太楼があったあたりです。*2*3*4

清川楼(旧旅館「清川」)があったあたり。*2*3

幕西坂の上部からの遠望。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,2007)P.40-P.41
*2 平林正一,久末進一:聞き書室蘭風俗物語(袖珍書林,1986)P.75-P.77
*3 日本地図編集社:室蘭市住宅明細地図 (日本地図編集社,1961)P.3-P.4
*4 室蘭商工会議所:室蘭商工名録(室蘭商工会議所,1940)P.151(0146)
今回は、室蘭(北海道室蘭市)の町並みと風俗を散歩します。 室蘭の遊廓は、幕西(まくにし)の坂にあって、明治5年の札幌本道工事に従事した数千人の男たちが、終始この場所に通い、殴り合いのけんかが絶えず、幕西坂は”人殺し坂”と異名をとるほどでした。*1
室蘭の遊廓は、幕西(まくにし)の坂にあって、明治5年の札幌本道工事に従事した数千人の男たちが、終始この場所に通い、殴り合いのけんかが絶えず、幕西坂は”人殺し坂”と異名をとるほどでした。*1

坂を上っていくと、右手の坂道途中に室蘭八幡宮神社の裏階段があって、「室蘭見番」事務所(写真右側)と座敷「菊栄楼」(写真左側)が階段を挟んでありました。*2

坂道の左手には、「菊栄楼」に対面して「富山楼」(後の割烹「粋月」の位置3 、現在は、プリンスホテル駐車場)があり、その奥に「芸備楼」がありました。2*4

南側の奥には、老舗の蛇の目楼(後の割烹「常盤」3 の位置)がありました。2

【参考文献】
*1 室蘭市:広報むろらん(2011.11)P.4
*2 平林正一,久末進一:聞き書室蘭風俗物語(袖珍書林,1986)P.75-P.77
*3 日本地図編集社:室蘭市住宅明細地図 (日本地図編集社,1961)P.3-P.4
*4 室蘭商工会議所:室蘭商工名録(室蘭商工会議所,1940)P.151(0146)
浜町の苫小牧橋の袂にある銭湯の松の湯。

苫小牧で現在も残る数少ない銭湯のうちの1軒です。

北海道らしい佇まいです。

夜の様子。

苫小牧の遊廓は、当初は幸町にあって、王子製紙の進出に伴い繁栄しました。その後、大正10年5月1日の大火を契機として、遊廓は、大正11年末に浜町に移転しました。*1

この交差点の角(写真右側)には、元「寿楼」の旅館「山水館」がありました。遊廓が廃止されたのちは、王子製紙の社宅アパート「碧水荘」*2 を経て「山水館」となりました。現在は閑静な住宅街になっています。*3

大正楼があったあたり。大火後の新設遊廓地には、12軒の貸座敷が入って経営を開始しましたが、昭和に入って経済状況が悪化し昭和6年には、開月楼、深川楼、寿楼、大正楼、栄盛楼、松月楼、大和楼の7軒だけとなりました。*1

遊廓街の南側の通り。海側(写真左側)は漁家でした。*1

【参考文献】
*1 苫小牧市:苫小牧市史(苫小牧市,1976)P.198-P.199,P.202-P.204,「浜町遊廓街略図(昭和9年)」
*2 住宅地図出版社:苫小牧市(1969,住宅地図出版社)P.37-P.38
*3 山本融定:苫小牧・東胆振今昔写真帖(郷土出版社,2011)P.45-P.46
新一條通りから、北へ折れた飲食街。

長屋風の建築。

カラフルなスナックの建物が連なります。

建物の北側。

今回は、苫小牧(北海道苫小牧市)の町並みと風俗を散歩します。

苫小牧の繁華街は、駅の南側の錦町に集中しています。大通りの一本北側に、「飲食店街 新一條通り」と書かれたゲートがあります。

新一條通りは、通称・親不孝通りとよばれる小路で、かつては多くの飲食店が並ぶ夜の繁華街でした。

戦後、親不孝通りには、「乙女」「都」「君万歳」などが特殊飲食店として赤いネオンの灯をともしました。*2

【参考文献】
*1 山本融定:苫小牧・東胆振今昔写真帖(郷土出版社,2011)P.42
*2 苫小牧市:苫小牧市史(苫小牧市,1976)P.207-P.208