今回は、士別(北海道士別市)の町並みと風俗を散歩します。
JR北海道宗谷本線の士別駅を下車し、東側へ300mの大通西8丁目に三角屋根の横丁の建物があります。

つくも横丁。

「つくも横丁」は、国道40号線に面した商業ビル「サンシャイン8ビル」につながっています。

夜の「つくも横丁」。

今回は、士別(北海道士別市)の町並みと風俗を散歩します。
JR北海道宗谷本線の士別駅を下車し、東側へ300mの大通西8丁目に三角屋根の横丁の建物があります。
つくも横丁。
「つくも横丁」は、国道40号線に面した商業ビル「サンシャイン8ビル」につながっています。
夜の「つくも横丁」。
旧遊廓街から脇道を入ったところにある居酒屋「ほろ」。赤線建築のような意匠です。
建物の後ろ側は木造建築です。
建物の脇のタイルの装飾。
隣の道路からの遠望。
南3条の羽幌川沿いの通り。旧遊廓街の1本北側の通りです。
飲み屋横丁の建物。
「その筋の達に依り...」
同じ通りの南東方向にある居酒屋「いこい」。印象的な看板建築です。
蒲田東口中央通りの先にある歓楽街。カラフルな飲食ビルが建ち並びます。
小規模ですが、スナックや居酒屋が密集しています。
さかさ横丁と呼ばれているようです。
「大女優」。映画の町らしい店名です。
JR大森駅西口を出て、すぐに北へ曲がると「山王小路飲食店街」へ下る階段の入口があります。
「山王小路飲食店街」のゲート。
幅の狭い路地に、居酒屋がスナックが建ち並びます。
飲食店街の奥まったところ。
岩村田駅近くの平屋建ての建物。
「好楽センター」と名付けられたスナック街です。
L字型の通路の両側に、スナックが並んでいます。
反対側の入口。
かつての京町飲食街への入口。
以前の飲食街は、駐車場に変わっていました。
当時の面影を残す「新京町料飲協同組合」の貼り紙。
唯一、スナック「都」の周辺に、当時の面影が残っていました。
旦過飲食街は、2階建ての建物が向き合った狭い路地です。
入口を逆側から見たところ。
反対側の出口。
映画館の「昭和館」と旦過飲食街は、密接な関係があるようです。
今回は、小倉(北九州市小倉北区)の町並みと風俗を散歩します。
小倉北区の旦過市場付近にある映画館の昭和館があります。「昭和館1」「昭和館2」の2館からなっています。
昭和館の近くに、旦過市場入口があります。塀に、見取り図が描かれています。稲荷神社脇の入口から入ると飲食店街があって、その向こう側が、旦過市場です。
新旦過街の入口の稲荷神社。
鍵の手に曲がった路地を進むと、新旦過街です。
桜山神社の門前の桜山神社前商店街(東大通商店街)は、戦後、大陸から引き揚げてきた人たちが、この境内にバラックを建てて住みつき、生計を立てるために店を出したのが始まりと言われ、一時は闇市として賑わいました。*1*2*3
開町当時は、160区画で始まり、盛岡厚生市場協同組合というのを作って団結しました。*1
昭和44年、お城側に並んでいた30数軒の桟橋店舗はすべて移動し、歩道から亀ヶ池やお城の石垣が眺められるようになりました。*2
盛岡の三大麺(わんこそば、盛岡冷麺、盛岡じゃじゃ麺)の一つである「じゃじゃ麺」の元祖の店「白龍(ばいろん、写真右)」は、桜山商店街にあります。*3
建物と建物の間の風景。
【参考文献】
*1 盛岡の歴史を語る会:もりおか物語9 内丸・大通かいわい(熊谷印刷出版部,1979)P.60-P.64
*2 真山重博:もりおか歴史散歩(東北堂,2009)P.195-P.196
*3 松田十刻:めん都もりおか(もりおか暮らし物語読本刊行委員会,2010)P.116-P.117
会津若松の現在の繁華街は栄町(市役所の北側)が中心ですが、上町2丁目周辺にも新しい歓楽街ができています。
交差点に設置された大看板。
バブやクラブなどの風俗店が入居しています。
夜の様子。
撫養町斉田の飲み屋街。入口には、骨組みだけが残されたゲートがあります。
居酒屋などの飲み屋が連なっています。
モダンな建物。
裏から見ると長屋の建物であることが解ります。
宵まち通りの南側の通り。スナックやパブが密集する通りです。
フィリピンパブの看板。
現在、パブとなっているこの場所は、かつての「伊東トルコ風呂」があった場所です。
すなっく「黒美人」。ビルのガラス窓に書かれています。
竹鼻の中心街の北東の通り。
昭和5年発行の市街図*1 によるとこの付近には、食堂の「旭食堂」、料理屋の「一富士」「栄楽」「喜月」がありました。通りには、歓楽街の名残とも思われる雰囲気が残っています。
市街図*1 に記載のある「旭食堂」と思われる「喫茶・お食事 アサヒ」。
この界隈は「新天地」と呼ばれていたようです。
【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図 第205号 岐阜県(東京交通社,1930)
静岡の歓楽街、両替町。昔からの飲み屋街の一つである「ちゃっきり横丁」の入口です。
残念ながら、向こう側半分は最近になって解体されたらくし、更地になっています。
以前は、ここに横丁の建物がありました。
中央部分には、横丁らしい雰囲気がわずかに残されています。
小中野の鍵の手の街路の裏手。バス停の「浦町」があるあたり。
ここに古い飲み屋街が残っています。
和風スナックや居酒屋などの店舗が並んでいます。
現在、営業中の店は少ないようです。
鷹匠小路を進むと、昭和の雰囲気が残る「たぬき小路」の入口があります。
提灯が連なります。
JR東日本のポスターに出演を続ける吉永小百合さんの「八戸の横丁編」は、「たぬき小路」で撮影されました。*1
小路を奥へ進むと鍵型に横丁が曲がって、奥の「五番街」へ続いています。
【参考文献】
*1 東日本旅客鉄道株式会社:トランヴェール(2013.8)P.38-P.39
夜の「れんさ街」。
昭和の雰囲気を感じる横丁です。
横丁がTの字になっている場所。中華料理屋のネオンが怪しい雰囲気に感じます。
裏通りにある「洋酒喫茶プリンス」。
今回は、八戸(青森県八戸市)の町並みと風俗を散歩します。
八戸には、その名にふさわしく八つの横丁があります。古い順に、たぬき小路、長横町れんさ街、ハーモニカ横丁、ロー丁れんさ街、五番街、花小路、みろく横丁、八戸昭和通り。
長横町れんさ街の入口。案内板に、れんさ街の歴史が説明されています。
れんさ街は、昭和30年、商店が軒を連ねる横丁として、産声をあげました。かつては周囲に映画館も集中していました。やがて飲食店が集まり出し、現在のような町並みが出来上がりました。(案内板より)
「れんさ名店街」という呼び方もあるようです。
「ロー丁れんさ街」は、漢字では「牢丁連鎖街」。藩政時代の牢屋の場所に、戦後、鎖のように飲食店が連なりました。*1
。現在は、商店が少なくなり、駐車場になっています。
【参考文献】
*1 東日本旅客鉄道株式会社:トランヴェール(2013.8)P.38-P.39
1965年(昭和40年)に本格的に始まる北見市の中部地区土地区画整理事業の関係で、1966年(昭和41年)、稲荷神社付近の料理店が、同区画整理のため取り壊され、稲荷神社は5条から幸町に移転。稲荷神社跡は、現在のロータリーに姿を変えました。*1
1968年(昭和43年)、映画、ボウリング、料飲店街が入った娯楽センター「東宝ビル(4階建て)」が5条西2に完成しました。*1
翌1969(昭和44年 )、木造平屋建ての「稲荷小路」が料飲店ビルに集約(稲荷小路都市改造)、札幌以北では初という料飲店だけが入った「スカイビル」が5条西3にお目見えしました。*1
スカイビルに次いで、エイトビル、ユニオンビル、プラザジョイフルビルなど次々と料飲店テナントビルが誕生しました。*1
写真はエイトビル。
【参考文献】
*1 北海道社交飲食環境衛生同業組合:北海道社交飲食環境衛生同業組合北見大会記念誌(北海道社交飲食環境衛生同業組合,1996)P.83
戦後、市内の飲食店街は、市勢の発展とともに盛り返し、稲荷小路、銀座街、狸小路、稲荷仲店、千歳小路など、飲み屋小路(横丁)が誕生しました。
狸小路は、昭和29年、あけぼのマーケット跡にできた「狸小路」は、現在は「狸小路名店街」となっています。
横丁は、トンネル路地になって続いています。
反対側の入口。
【参考文献】
*1 北海道社交飲食環境衛生同業組合:北海道社交飲食環境衛生同業組合北見大会記念誌(北海道社交飲食環境衛生同業組合,1996)P.77-P.78
江別市の歓楽街は、5条5・6丁目にあります。
5条会館。
水色のタイルで装飾された雑居ビル。
スナック・パブ専用です。
江別市街の五条一丁目通り。写真の左奥に見える森は、王子製紙江別工場の敷地です。
昭和レトロな飲食街ビル。
昔ながらの横丁の雰囲気です。
密集する飲み屋の看板。
橘通西の横丁「六番街」は、食品市場の通りの路地からソープランドの建物脇に通じています。*1
居酒屋が建ち並ぶ細い路地です。
出口に近いあたり。ソープランド「琥珀」の看板が見えます。
反対側の入口。夜になるといい雰囲気です。
今回は、宮崎(宮崎県宮崎市)の町並みを散歩します。
歓楽街の中心部にある「人情横丁」。横丁の入口で、女将さんが三味線を演奏していました。
風情のある看板。
黄色い提灯が特徴です。酔客で毎晩賑わいます。
昼間は、一転して静かな通りです。
中洲の人形小路。
狭い路地に飲み屋が密集しています。
2階部分に看板が取り付けられています。
T字路になっているあたり。
中洲の繁華街の「さつま富士」の大看板。「多門通り」の入口です。
居酒屋やスナックが建ち並ぶ通りです。
ビルの2階から。
反対側(中洲大通りに面した側)の入口。
門前仲町2丁目にある辰巳新道。昭和の風情が残る飲み屋横丁です。
辰巳新道は、昭和26年に屋台を集め、一軒三坪が基本の長屋として作られ、当時は、花屋、菓子屋、紳士服テーラーなどもありました。*1
写真の「鳥信」は、辰巳新道の中でも古い店だそうです。*1
提灯。
内通町4丁目商店街の新開地入口の東側(居酒屋「若竹」の奥)に、瓢箪(ひょうたん)横丁があります。戦後、元大黒屋旅館を含む一画で、故高平氏がキャバレー・ハリウッドを経緯していたが、現在は改造されて9軒のスナックが入居する「箪笥横丁」になっています。細い路地の奥は新開地に通じています。*1
階上(2階)は、「文化住宅」のスペースになっています。
「文化住宅」の廊下。
レトロな「瓢箪横丁」のネオン看板。都美人は、淡路島の地酒です。
【参考文献】
*1 コモード56商店街の資料館の資料
弁天横丁は、戦前、弁天座の南隣にあった大きなカフェー「灘政」を一族の故高平正一氏が譲り受け、戦後の一時期ダンスホールにしていたが、旅館「光陽荘」に衣替え、のち改造して2、3階をマンションに、1階をスナック街にして「弁天横丁」と名付けられました。*1
おでん屋とエステ
1階のスナック街。
「弁天」は旧字で「辨天」と書きます。
【参考文献】
*1 コモード56商店街の資料館の資料
今回は洲本(兵庫県洲本市)の町並みを風俗を散歩します。
本町4丁目の厳島神社近くの弁天銀座は、洲本の中心街です。
弁天銀座から東側へ入った幅3メートルほどの小路は、新開地と呼ばれています。
スナック、寿司屋、料理屋、風俗店がひしめく夜の街です。
「カフエー」のプレート。
鷹匠町1丁目の歓楽街。「小唄横丁」と名付けられた小さな横丁があります。
1階に居酒屋が風俗店。2階は居住空間になっています。
裏口からも入店OK。
横丁の奥は、風俗紹介所の裏口につながっていて、そのまま向こう側へ通り抜けできます。
市電の旭町一丁目電停。旧玉水新地の近くです。
ここに、飲み屋が集中している一画があります。
すぐ南は玉水町で、昔はこのあたりで一杯飲んでから玉水に遊びに行ったのでしょうか。*1
飲み屋街の北側の一画。
【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.43
神田駅から線路沿いに南下すると、「今川小路」の看板が現れます。
居酒屋が営業するガード下の飲み屋街です。
高架下建築。
高架の複雑な鉄骨構造が露出しています。
今回は、神田(東京都中央区)の町並みと風俗を散歩します。
神田の魅力は、ガード下です。
通常の高架下建築とは異なり、山の手線の高架と道路が交差する部分のガード下に飲み屋が集中していて、独特の雰囲気をかもしだしているのが、神田駅前の特徴です。
昼、なお暗いガード下。
夜の飲み屋街の雰囲気です。
モダンなアーチの新富町。スナックが建ち並ぶ横丁です。
ラーメン屋の脇が横丁です。
反対側から。
夜の様子。
飯塚の歓楽街の中心部に、「有楽町」のアーチがあります。
緩やかなカーブを描いて、路地が続いています。
反対側の入口。
夜の雰囲気は格別です。
地元では有名な「エビス屋のごはん」が1階に入っているビル。
1階に「大和ビル飲食街」と書かれた入口があります。
狭い通路の両脇に飲食店が並んでいます。
反対側の出口。
三角公園の近くにある「であい横丁」。手書きの看板がレトロな雰囲気をかもし出しています。
歌謡倶楽部サユリズ。
スナックの看板が密集しています。
飲み放題2000円の大衆スナック。
三角公園の前に「紳士街」と大きな四角い看板が出ている建物があります。
入口には、紳士街通りの看板。スナックが5軒入っている建物です。
「紳士街通りと言っても通りの長さは、ビルの奥行分の長さで、すぐに反対側に出てしまいます。
反対側の入口。
今回は、浦和(埼玉県さいたま市浦和区)の町並みと風俗を散歩します。
浦和駅西口のガード下に、飲食店やスナックが連なる一画があります。
昭和の雰囲気が残っています。
スナックの店舗
北端に、大型店(浦和最大のクラブ)がありました。
千日前2丁目にある千日センタービル。
2階には、スナックの看板。
ホテルべに花の看板。
2階部分には、ホテルベニスの看板。「べに花」が「ベニス」と改名されたのでしょうか。
千日前の家具問屋街の西隣に、昭和の雰囲気香る建物があります。
南側のスナックの店舗脇の建物内部に通じる通路。
通路は、L字型になっていて、西側に通じています。
オリオン通りと名付けられた通路には、カレーハウスなどの店舗が営業中です。
味園ビルの東側に、千日二番街の入口があります。
味園ビルの2階のフロアは「千日二番街」と呼ばれ、以前は「大スナック街」*1 でした。
2階のフロアの見とり図。フロア内を一周することができ、向こう側はらせん階段に通じています。
ジャズ喫茶やスナックなどが並んでいます。
現在は、日本のサブカルチャー、アンダーグラウンド文化の発信地として注目されています。
【参考記事】
*1 風俗散歩(千日前):味園ビル(2011.3)
千日前の宴会場「味園ビル」。以前は、建物の角の部分に夥しい数の店名を記すレトロ看板が並んでいましたが、*1 現在は、緑色を基調にしたデザインにリニューアルされています。
宴会天国味園。
入口はのらせん階段はそのままです。
らせん階段の上部から下を見下ろします。
【参考記事】
*1 風俗散歩(千日前):味園ビル(2011.3)
塩浜町の歓楽街にレトロな飲み屋横丁があります。
太陽光が入る高い天井。
逆方向から見た看板の裏側には「毎度ありがとうございます」と書かれています。
空き瓶がディスプレイされているBAR。
今回は、佐世保(長崎県佐世保市)の町並みと風俗を散歩します。
長崎県佐世保市塩浜町の通り。居酒屋やスナックが密集する歓楽街です。
レトロなスナックが建ち並びます。
おびたたしい数の看板が密集しています。
塩浜パビリオン。
歌謡スナック「姫」の反対側には、「ミッキー」と書かれた看板のある小路があります。
幅の狭い路地に、大きな看板。
カラオケスナックのようです。
反対側からの遠望。
歌謡スナックの脇に趣のある小路が伸びています。
路地の奥には、大衆酒場や小料理屋が肩を並べています。
小路の奥まったところにある小料理屋。
逆方向から見たところ。
本庄市銀座2丁目1~2のあたりには、割烹料理店などの飲食店が密集しています。
丸窓のある建物。
古い木造の建物が建ち並びます。
和風のスナック。
今回は、指宿(鹿児島県指宿市)の町並みと風俗を散歩します。
指宿駅の北側、、指宿枕崎線の線路の近くに銭湯の松元温泉がありますが、その奥に小規模なスナック街があります。
鮮やかな紫色のスナック店。
奥まったあたり(線路に近い側)には、スナックが密集しています。
昭和を思わせる風情のスナックが連なります。
歓楽街の「天文館」の通りに、思わず立ち止まってしまう、うらぶれた路地があります。
見上げると「新宿街」と書かれた看板が2つ。
奥行50mほどの袋小路の両側に飲み屋が軒を連ねています。*1
密集度の高い路地。
【参考文献】
*1 清水哲男;浜地克徳 絵:天文館物語(シーナ,2009)P.6-P.7
鹿児島の歓楽街「天文館」に古い雑居ビルがあります。
雑居ビルの裏側は、裏町通りと呼ばれています。東南アジアのどこかの通りを思わせるような光景です。*1
雑居ビルの1階を貫くトンネル路地。
別の路地の入口。「ひげ船長」と書かれた看板がいい感じです。
【参考文献】
*1 清水哲男;浜地克徳 絵:天文館物語(シーナ,2009)P.10-P.11
水俣市浜町のそば屋の脇の小さな飲食街。
「ひかり」、「なぎさ」、「とも」などの店の看板が2階部分に並びます。
スナック「ひかり」の裏側の路地。
トンネルのようになっている路地を抜けると(写真左側)、スナック「洋子」がある通りに出ます。
水俣市桜井町の肥薩おれんじ鉄道の線路沿いに、スナックが密集する一画があります。
狸小路と名付けられたスナック街です。
スナック街の共同トイレ。
夜の様子。
水俣市大黒町の肥後銀行水俣支店の前に「夕焼け横丁」と名付けられたスナック街があります。
駐車場脇に横たわる横丁の建物。
昭和レトロを感じるスナック街です。
味わいのある看板。
今回は、水俣(熊本県水俣市)の町並みと風俗を散歩します。
肥薩おれんじ鉄道の水俣駅から延びる駅前の通りを行くと、駅と正対する位置にチッソ(株)水俣工場の正門があります(写真右奥)。
通りの脇(写真左側)には、古びた飲食店街があります。
現在は、営業中の店舗は少ないようですが、古いからある飲み屋街のようです。
スナックの建物の右横が横丁の入口になっています。
芸者の絵が描かれたドア。
柳小路通りは、思案橋横丁の1本裏側の通りです。
思案橋横丁の賑やかさとは対照的に場末感が漂います。
スナックが密集する一画。
赤い提灯を店先に掲げた居酒屋もあります。
今回は、長崎丸山(長崎県長崎市)の町並みと風俗を散歩します。
思案橋近くの思案橋横丁は、観光客も多い賑やかな通りです。
道の両側には、飲食店が建ち並んでいます。
1軒だけ風俗店があります。
ネオンが煌めく通りです。
笠間稲荷神社のある町の中心部から南西方向に離れた場所に飲み屋街が密集する一画があります。
この付近は、旧町名で「荒町」と呼ばれていました。*1
古びた看板が連なり、場末感が漂います。
個性ある装飾の店舗が並んでいます。
飲み屋街の中心部。両側に平屋建ての飲み屋街が続きます。
西側の通り。
【参考文献】
*1 郵政省:笠間局郵便区全図(郵政省,1951)
門前通りから南側に延びる「横丁通り」には、古い旅館やスナックが点在しています。
横丁通りを抜けたところにある軽食屋。
お酒と軽食。
城山稲荷神社の近くのスナック店。
今回は、笠間(茨城県笠間市)の町並みと風俗を散歩します。
JR水戸線笠間駅前に「駅前横丁」の大看板があります。
笠間稲荷神社などがある笠間の中心街は、駅から約2kmぐらい離れた場所にあります。駅前ロータリー付近は閑散としていますが、唯一この「駅前横丁」に飲み屋が密集しています。
居酒屋やスナックが建ち並びます。
しゃれたお酒にいい女。
黒川の歓楽街の入口に、古い木造建築の居酒屋があります。建物脇の路地を入るとその奥にも木造母屋建ち並んでいます。
「みづほ」という屋号。
裏側は、トタンの芸術です。
奥の木造母屋のガラス窓。「余市ビリヤード」と読めます。
歓楽街の中心部には、公園があります。
うきよ公園となづけられた公園の周囲には、飲食店ががみが密集しています。
この界隈は、大正時代に浮世通りと命名されました。
うきよ公園にある包丁塚の碑。
今回は、岩内(北海道岩内郡岩内町)の町並みと風俗を散歩します。
岩内は、積丹半島の南側に位置し、かつては鰊漁で繁栄した町です。海に近い「うきよ通り」には、スナックや居酒屋が密集しています。
新旧のスナック店が混在しています。
趣のあるスナック店の入口階段。
うきよ公園前のスナック街。
稚内市街を南北に貫く道道106号線(オロロライン)の港三丁目交差点付近(稚内駅と南稚内駅の中間あたり)に古い飲み屋街があります。
ほとんどの店舗は閉店しています。
かつては、賑やかな飲み屋横丁だったのだと思います。
北側の建物の裏側。
京橋駅前の「サンピアザビル」。
1階の入口には、看板が乱立しています。
ビルの中央には、らせん階段があって豪華な雰囲気です。
全館が風俗店です。
今回は、京橋(大阪市都島区、城東区)の町並みと風俗を散歩します。
京橋駅前にランドマークのように建つ「グランシャトー」のビルがあります。外観は城郭を模した奇抜なデザンインになっています。
「グランシャトー」は、サウナ、パチコンコ、ゲームセンターなどが入る総合娯楽ビルです。ビル横には、「シャトー商店街」があります。
「ナイトクラブ香蘭」の中入口。
夜の様子。
「全国女性街ガイド」*1によると、鬼怒川温泉には、花の町に16軒の赤線がありました。
現在も「花の町」という地名が存在し、道路の幅が広くなった一画があります。
1階がタバコ屋さんになっている建物。
飲み屋だったと思われる建物。
花の町。
【参考文献】
*1 渡辺寛:全国女性街・ガイド(季節風書店,1955)P.103
京町の付近に掲示されてた住宅地図を見ると、かつては、スナックなどの飲食店舗が密集していたようです。
現在の京町は、歓楽街的な雰囲気はありません。カラオケスナックが1店舗だけあります。
「松葉」という屋号の店舗があったあたり。
この付近には、料理屋などがあったのかもしれません。
温泉街の中心部からやや南にはずれた場所にある「本町行灯(あんどん)通り」。
本町行灯(あんどん)通りから「京街坂」と名付けられた坂道があります。
「全国女性街ガイド」によると、鬼怒川温泉には、京町と花の町の2か所に赤線がありました。*1
電柱番号札に、「京町」の名があります。この付近に赤線があったのかもしれません。
現在の京街坂に歓楽街の面影はありません。
「全国女性街ガイド」には、「赤線は、”暴力の街”、”ヤマの女”として有名で花の町<通称ヤマという>に16軒52名。町はずれの京町に11軒27名いる。二つとも暴力的に引っ張り、最近は川のたもとまで客呼びにきているから要心。泊は宿へ呼ぶと二千円に素泊まり五百円<万事思い上がった暴利>とられるが、押しかけると千円でオンの字。情緒なし。」と紹介されています。*1
【参考文献】
*1 渡辺寛:全国女性街・ガイド(季節風書店,1955)P.103
黒磯遊廓に通じる新地通りは、現在は新地仲町通りと呼ばれています。
新地仲町通りに、丸大横丁と呼ばれる飲食店街があります。
ビルが1棟だけの横丁です。
スナックや飲食店が入居するビルです。
遊廓があった広小路の北側に、飲み屋横丁を思わせる路地があります。
長屋に居酒屋やスナックなどの店舗と住宅が混在しています。
飲み屋横丁を抜け、南側へ折れると、広小路の向こう側には、「玉突」や「多治見温泉」などがある一画に至ります。
「呑スケ止マレ」の看板。
多治見広小路の東寄りに、昭和の薫りただようかつての歓楽街 「銀座センター」があります。
幅の狭い路地が約50m続きます。
壁にハートのマークが描かれているスナック。
鮮やかに装飾されたドア。
別府の栄町の銀座裏通り。緩やかなカーブを描いて幅の狭い路地が続きます。
昭和30年代、別府温泉には、7,000人のホステスがいて、情こまやかな接客ぶりは評判でした。中でも意にかなったホステスを自由に選択できる「セレクト喫茶」なるバーが人気で、銀座裏通りや柳町のバー街にありました。*1
現在は、居酒屋やスナックとファッションヘルスなどの風俗店が混在する通りになっています。
新宮通りに近いあたり。
【参考文献】
*1 J.F.モンゴメリ:夜のニッポン探検(東都書房,1967)P.108-P.119
神楽坂の魅力は、石畳と黒塀にあります。兵庫横丁は、神楽坂情緒を醸し出す通りです。
旅館「和可菜」。山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズのシナリオ執筆場所として知られる、往年の名女優小暮実千代が経営していた旅館です。
現在でも芸者さんが出てきそうな路地です。
人がすれ違うのがやっとという石畳の階段。
【参考文献】
*1 西村和夫:雑学神楽坂(角川学芸出版角川出版企画センター ,2010)P.202
渋谷の道玄坂(東急本店へ向かう道)は、若者で賑わう通りです。
現在のヤマダ電機裏には、恋文横丁と呼ばれた路地がありました。
飲食店とヤマダ電機の建物の間が恋文横丁の入口だった場所で、「恋文横丁 此処にあり き」と書かれた木柱が設置されています。
戦後、代々木にワシントンハイツ(在日米軍施設)ができた時、渋谷の街でアメリカ兵と日本人女性が恋仲になることも少なくありませんでした。しかし、そこには、言葉の壁があり、ラブレターを書こうにも、当時の多くの日本人女性は英文が書けませんでした。そこでこの横丁にあった小さな商店主の菅谷さんという男性が代筆していました。この手紙がもとになり、多くの女性が国籍を超えて結ばれました。史実がもとになって物語ができたのは、1953年。丹波文雄が小説「恋文」を新聞に連載したことが最初でした。のちに、田中絹代監督によって映画化されたことで、話は全国に広まりました。*1
【参考文献】
*1 村松伸,東京大学生産技術研究所村松研究室:シブヤ遺産(バジリコ,2010)P.156-P.157
文化村通りから道玄坂に抜ける「道玄坂小路」には飲食店や風俗店が密集しています。
老舗の台湾料理店「麗郷」。ここから登る坂道の途中にもヘルス店がありあす。
「麗郷」脇の坂道を登ると老舗のヘルス店の入口があります。
坂の上から見たところ、写真の左手前がヘルス店の入口です。
高砂駅の駅ビルの裏側の旧国鉄高砂線の跡地が緩やかなカーブを描いて続いています。現在は、駐輪場になっています。
表側から見ると2階建てに見えた建物は3階建ての奥行の狭い建物です。
絵に描いたようなトタンの芸術。
錆びついた階段が、いい味を出しています。
今回は、高砂(兵庫県高砂市)の町並みと風俗を散歩します。
結婚式やめでたいとき謡われる、「たかさごやこの浦舟に帆を上げて・・」ではじまる謡曲「高砂」の発祥の地である高砂市では、昭和63年7月にブライダル都市宣言を行いました。*1
駅ビルは曲線を描いています。このビルの後方(現在は駐輪場)には、かつて国鉄高砂線の線路が曲線を描いて通っていました。
ブライダル都市らしく、駅前の古いビルには、高砂良縁センターの看板があります。
ビルの脇に橋のように見える遺構があります。水路がビルの下を流れていたのか、それとも、ここに何かの洗い場があって、それと道路を隔てるためのものでしょうか。
【参考文献】
*1 高砂市:ホームページ「ブライダル都市」
今回は、蒲田(東京都大田区)の町並みを散歩します。
京急蒲田駅前の歓楽街「柳通り」。
京急蒲田駅前の一画は再開発計画が進んでいます。
道の両側にスナックが建ち並んでいますが、現在は閉店している店舗が多いようです。
「御自由にどうぞ」と書かれた貼り紙(写真左下)とともに、LPレコードが路上に並べられていました。
ハモニカ横丁は、右から「仲見世通り商店街」「中央通り商店街」「朝日通り商店街」と続き、最後に通りのサインのない「祥和会」と続きます。ただし、この「祥和会」の一部は、かつては小さな飲み屋が連なっていた横丁だったことから、「のれん小路」と称して、今のそのサインは残されたままです。*1
「のれん小路」の飲み屋連店は、新宿東口の和田組マーケットの建て方を参考にしているように見受けられます。間口一間、奥行1.5間の簡易なバラックは、L字型のカウンターの中におかみさんやご主人が一人入り、客は4~5人程度が座るサイズでした。*1
飲み屋が連なっていた頃の雰囲気が残っています。
「のれん小路」 と中央の通りが交差するあたり。
【参考文献】
*1 桑原才介:吉祥寺横丁の逆襲(言視舎,2011)P.35-P.36
吉祥寺の近鉄百貨店(現在のヨドバシカメラ)裏には、1960年代の再開発以前の時期から社交飲食店が集積していました。その姿は、「本町ビル飲食店街」という飲み屋横丁にみることができます。、「本町ビル飲食店街」の看板の下には、ビルの1階部分に通路をとった横丁が続いています。*1
奥行のある飲み屋横丁。
横丁の向こう側には、小路をはさんでさらに次のビルも同じように横丁が続いています。
向こう側のビルから本町ビル飲食店街を見たところ。
建物と建物を貫通してできた20世紀初頭のパリのパサージュ(路地)と仕組みは同じです。*1
【参考文献】
*1 桑原才介:吉祥寺横丁の逆襲(言視舎,2011)P.82-P.94
今回は、呉(広島県呉市)の町並みと風俗を散歩します。
呉市は、明治後期を通じて軍港を有する都市としての性格を強めつつ都市化が進みました。「麗女通」と名付けられた通りは、「夜の歓楽郷」と呼ばれた「中通」のなかでも「カフェー喫茶店街」を形づくっていた通りで、作家の菊池寛が遊んだことでも知られています。*1
「麗女通」は「うるめどおり」と読みます。
軍港内にあった麗女(うるめ)島にちなんで名付けられました。1
麗女(うるめ)島は、神話に登場する市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、紫式部(源氏物語の著者)、弁天様(七福神の一つで海辺や水辺にまつられる美しい女神)などのうるわしい女性がかかわり持った島で、このことが、「うるめ島」の地名の由来であるとされています。2
現在は、海上保安大学校の沖合に、大麗女島と小麗女島があります。
現在の麗女通は風俗店や飲食店が密集する歓楽街の中心地になっています。
麗女通はれんが通りと交差し、東側へ続いています。
【参考文献】
*1 加藤政洋:(朝日新聞社,2005)P.36-P.42
*2 久保田利數:川原石ものがたり(呉尚古の会,1972)P.1-P.10
岩国駅前に、「10番町」と呼ばれていたバー街がありました。
かつてのバー街は、現在は長屋風の住宅地に変貌しています。
わずかにバー街の痕跡が残っています。
一つ奥の通り。スナックの看板が一つだけ残っていました。
【参考文献】
*1 J.F.モンゴメリ:夜のニッポン探検(東都書房,1967)P.208-P.213
明石駅前の桜町には、高度成長期に、旅館、スタンド、スナック、バー、そしてキャバレーなどが集まって一大「社交街」を形成しました。*1
現在は、居酒屋やスナック店などが営業しています。
「花街ビル」という名前のビルもあります。
「銀座横丁」、「さくら小路」、「白雲通り」などの通りや小路が連なっています。
【参考文献】
*1 現代風俗研究会:20世紀の遺跡(河出書房新社,2002)P.34-P.38111
桑名駅前の錦通り。スナックや風俗店が集まる繁華街です。
3階建ての共同ビルが両側に並んでいます。1階に居酒屋やスナックが入居し、2~3階は事務所か居住スペースになっているようです。
密集するスナックの看板。
稲荷神社もあります。
当番表。
紋別市街にある廉売(れんばい)飲食街。
建物の中は、まるで映画のセットのような飲食街です。
屋根つきの飲食街。寒い日でも暖かそうです。
建物はL字型になっていて、もう一つの入口も道路に面しています。
紋別の歓楽街「はまなす通り2番街」の北側には、1番街があります。
1番街にある「ニュースナック桂子(けいこ)」の路地。スナックが密集しています。
夜の様子(1番街)。
「ニュースナック桂子(けいこ)」の路地。オホーツクの寒さが染み渡ります。
今回は、紋別(北海道紋別市)の町並みと風俗を散歩します。
紋別には、歓楽街の「はまなす通り」があります。北側に、「はまなす通り一番街」のゲートがあります。
一番街の南側に続く二番街は、飲食店が密集した賑やかな通りです。
看板の密集度が高い一画があります。
楽天地ビル。
網走市南五条西に、楽天地と呼ばれる飲食ビルがあります。
横丁の奥には、「楽天地組合」と書かれた看板があります。
夜の様子。
スナック、居酒屋がびっしり。
鳥取市弥生町は、居酒屋やスナックが集中する歓楽街です。
入り組んだ感じはありませんが、飲み屋の集積度が高い歓楽街です。
長屋風の建物にスナックの店舗が並んでいます。
四つ角のスナック。
遊廓「衆楽園」跡地には、旅館の他、スナックなどの飲食店も建ち並んでいます。
横丁が建物を貫いています。
入口の「松屋横丁」の看板。
横丁を抜けると商店街に出ます。
松江の繁華街は、新大橋の北側の東本町にもあります。
居酒屋やスナックの店舗が密集しています。
キャバクラなどの風俗店もあります。
夜の東本町。
伊勢宮町の歓楽街のメインの通り。
クラブなどの風俗店が密集しています。
キャバクラなどの看板が華やかです。
階段を登ったところにある看板。
大牟田市栄町の北側に三池炭鉱専用鉄道のガードが残っています。
三池炭鉱専用鉄道と鹿児島本線が交差するあたり。
「ガード」という屋号の小料理屋があります。
商店や飲食店が建ち並んでいたと思われる一画。写真奥に見える線路は鹿児島本線です。
大牟田市栄町に「浅草街」と書かれた古びたアーチがあります。
スナックなどの飲食店が軒を連ねています。
かつては、繁華街として栄えていたのでしょうか。
入口付近を反対側から見たところ。写真右下に入口のアーチが見えます。
「新銀座」は、大牟田川沿いにそって約300m続く商店街です。
衣料品や雑貨店などが営業中です。
屋根のトラス部分を見上げると、レトロな看板が目に入ります。
外側から見た「新銀座」の建物。
日吉町に残る「浮世小路」。
日吉町は、かつての花街の中心地でした。*1
現在は、休業中の店舗が多くなっているようです。
空き地越しに見た飲み屋街の建物。
小路は、L字型になっていて、すぐに出口に出ます。
【参考文献】
*1 都市計畫福岡地方委員會:大久留米市街地圖(都市計畫福岡地方委員會,1937)裏面
六ツ門町の「新世界」。昭和の時代にタイムスリップしたかのような光景です。
居酒屋などの飲食店に混じって、スナック店も営業しています。
路地の奥まった所に進むにつれ、スナック店が多くなります。
餃子店の隣のスナック店。