木更津(掩体壕)旧日本海軍木更津海軍航飛行場。

江川海岸へ向かうの道路の南側(写真の左側)は、陸上自衛隊木更津駐屯地(旧日本海軍木更津海軍航飛行場)です。

フェンス越しに掩体壕(えんたいごう。戦時中の戦闘機用の壕)が見えます。

「木更津市郷土博物館 金のすず」の展示物によると、飛行場の北西部に単発機(発動機が1基)用の掩体壕が、飛行場の北側に中型機用の掩体壕が、それぞれ数基づつありました。

掩体壕を出て、この道路を移動し、滑走路から飛び立っていく姿が想像できそうです。

附近には、他にも遺構らしきものが見えます。

参考文献

参考記事

木更津(江川船堀)船堀改修記念の碑。

今回は、木更津の町並みを散歩します。
「日本のウユニ塩湖」と呼ばれ、人気のスポットとなっている江川海岸ですが、海岸の入口脇にある船堀は、昭和の雰囲気を醸し出している場所です。

船堀の中に出島のように突き出した場所にある綿津見神社。

高度成長期、東京湾岸の漁業協同組合は、莫大な補償金と引き換えに、次々と漁業権を放棄してきましたが、江川漁業協同組合は、東京湾岸で唯一残る自然干潟の潮干狩りをはじめ、現在も漁業が存続しています。

綿津見神社の敷地に、「江川船堀改修記念」の碑が建っています。

碑文:
遠き昔より海の幸を生業としきた私達は昭和十一年、旧海軍飛行場の建設に伴いこの地に移り、漁業の基地とした。以来四十有余年変遷著しい歴史の歩みの中に整備改修は、ままならず今日に至った。この船堀りの充実が多年に亘る組合員総ての願望であった。防衛施設庁、千葉県、木更津市の援助により、八千五百余万円の巨費を投入し、完成した。
昭和三十六年 江川漁業協同組合

綿津見神社から見た江川海岸方向。水門の向こうが潮干狩り場です。

参考文献

参考記事

谷田部(ホテルニュー梅屋)昭和55年にオープンしてから36年。

街道沿いにあった梅屋旅館※1 からすぐの場所にホテルニュー梅屋が営業中です。

明治に梅屋旅館※1 として創業し、ホテルニュー梅屋を昭和55年にオープンしてから36年、今もつくば市谷田部で続く老舗のホテルです。*1

HOTELUMEYAの屋上看板。

東側の運動場からの眺め。1階は、レストラン「ミルキーウエイ」。

参考文献

*1
ホテルニュー梅屋 公式ページ リンク

常磐道谷田部IC・圏央道つくば中央ICより車で5分の場所に 位置するホテルニュー…

参考記事

※1谷田部(梅屋旅館跡地)現在の梅屋ホテルの前身。

谷田部(梅屋旅館跡地)現在の梅屋ホテルの前身。

谷田川の橋から少し行ったところには、梅屋旅館(現在の梅屋ホテルの前身)がありました。旅館、料亭で芸者も置いていて繁盛していました。*1

梅屋旅館の建物は、しばらくの間、旧街道沿いに残っていました。ガラス戸に「梅屋」の文字が描かれていました。*1

現在も残る「梅屋旅館」の看板。

谷田川方面(西側)の遠望。

参考文献

*1
つくば書店レポート部つくばレポート vol.1つくば書店レポート部

橋から少し行ったところが旧梅屋で、現在の梅屋ホテルの前身があった。旅館、料…

参考記事

この記事を参照している記事

谷田部(ホテルニュー梅屋)昭和55年にオープンしてから36年。

谷田部(玉川堂)老舗和洋菓子店。かつては映画館をを経営。

四つ角のバス停のところにある老舗和洋菓子店の玉川堂。

玉川堂は、かつては、「玉川館」という映画館を経営していました。*1
「玉川館」は、現在の和菓子屋玉川堂の裏手にあり、谷田部の海軍の飛行場の航空隊の人たちが沢山来ていたそうです。*2

大福、柏餅など購入。餡子は非常にあっさりとしていて、いくつでも食べれます。

この付近は、旧町名で「内町」と呼ばれていました。
昭和 4 年~6 年の繁盛記によると、内町には、二業の料理旅館が存在していました。*3

参考文献

*1
小口千明茨城県つくば市谷田部市街にみる往年のにぎわい歴史地理学野外研究 (16):2014.3 p.63-97筑波大学人文社会ビジネス科学学術院人文社会科学研究群人文学学位プログラム歴史・人類学プログラム歴史地理学研究室2014.3 リンク

P.74
その裏側には「大正十三年七月二十二日建立という建立年月日と,建立に…

*2
つくば書店レポート部つくばレポート vol.1つくば書店レポート部

橋から少し行ったところが旧梅屋で、現在の梅屋ホテルの前身があった。旅館、料…

*3
小口千明近現代茨城県旧筑波郡および谷田部市街の活況とその後歴史地理学野外研究 (17):2016.3 p.59-94筑波大学人文社会ビジネス科学学術院人文社会科学研究群人文学学位プログラム歴史・人類学プログラム歴史地理学研究室 リンク

「谷田部商人繁昌記」(以下,原文)

谷田部(獣霊碑)大正13年建立。多数の寄付者名。

谷田部四つ角の交差点近くに、獣霊碑(牛馬の供養塔)が建っています。*1

碑の裏面には、寄付者として、谷田部町料理店として 11名,谷田部町芸妓営業として1名の名前があり、当時の賑わいが想定されます。*1

「大正13年建立」と刻まれています。

周囲は綺麗に整備されています。

参考文献

*1
小口千明茨城県つくば市谷田部市街にみる往年のにぎわい歴史地理学野外研究 (16):2014.3 p.63-97筑波大学人文社会ビジネス科学学術院人文社会科学研究群人文学学位プログラム歴史・人類学プログラム歴史地理学研究室2014.3 リンク

P.74
その裏側には「大正十三年七月二十二日建立という建立年月日と,建立に…

参考記事

谷田部(理容室)四つ角の近く。120年前に開業。

今回は、谷田部(茨城県つくば市)の町並みを散歩します。
つくばエクスプレス線みどりの駅からバスで約5分で谷田部四つ角の交差点へ到着です。

交差点の近く。

中華料理店のような店名のですが、理容室です。

地元の方の話によると、創業120年だそうです。

参考文献

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野田(蕎麦店)野田銀座の老舗。

野田銀座※1 の通り沿いのそば店「住吉」。

昭和の商工名鑑*1 や商工地図*2 にも載っている老舗です。

店内。

かつ丼の定食とビールを注文。

参考文献

*1
野田商工会議所野田商工名鑑 昭和38年度版野田商工会議所1963.8

P.199
芸妓置屋 中…

*2
東京交通社野田市流山町日本商工業別明細地図之内 No.1195東京交通社1956

参考記事

※1野田(野田銀座)芸妓置屋があった通り。国際クラブ。

野田(野田銀座)芸妓置屋があった通り。国際クラブ。

かつて野田銀座*1 と呼ばれていた通り。

昭和38年の「野田商工名鑑」によると、この付近には芸妓置屋がありました。*2

国際パブ。

明治~大正の頃は、近くに醸造工場(粕谷第五醸造場)があり、この通りには人車鉄道が通っていました。*3

参考文献

*1
東京交通社野田市流山町日本商工業別明細地図之内 No.1195東京交通社1956
*2
野田商工会議所野田商工名鑑 昭和38年度版野田商工会議所1963.8

P.199
芸妓置屋 中…

*3
報文社野田町全図(部分)報文社1915

千葉県野田町全図(大正四年)をもとに作図。

醸造工場
人車鉄道

参考記事

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野田(蕎麦店)野田銀座の老舗。

野田(ビジネス旅館)交差点の角に面した入口。

香取神社の北側の十字路。

旅館の入口は交差点の角に面しています。

「馬酔木」。スナック店などでよく見かける屋号です。

北側の道はゆるやかに弧を描いています。

参考文献

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