ほとんどの商店が休業している今池地下街ですが、その中で、成人映画館の「今池地下劇場」のみが、唯一営業中です。

2本立て、900円。

「トラブルお断り」の貼り紙。

券売機で入場券を購入します。

ほとんどの商店が休業している今池地下街ですが、その中で、成人映画館の「今池地下劇場」のみが、唯一営業中です。

2本立て、900円。

「トラブルお断り」の貼り紙。

券売機で入場券を購入します。

今池交差点の北西側の角に位置する新今池ビルの地下に、「今池地下街」があります。
地下鉄今池駅の12出口の隣が地下街への北側の入口です。曲線を描いた通路を進みます。

現在は、商店のほとんどは閉店しています。

飲食店街の看板。

森永のエンゼルマークが残る喫茶店。

今回は、今池(愛知県名古屋市千種区)の町並みと風俗を散歩します。

今池交差点に、今池の歴史とが掲載された案内が設置されています。

昭和49年当時の写真。新今池ビルに、「今池劇場」と「今池地下劇場(成人映画館)」の看板が見えます。

交差点に設置された水着の女性のオブジェ。「今池ブロードウェイ」と書かれています。

筒井町の南側(地下鉄桜通線の車道駅の南側)に車道商店街があります。
車道市場は、大正時代から続く商店街です。*1

車道大市場。寿司店の「龍文(たつふみ)」は、現在も営業中です。

市場の建物の隣にレストランや料理屋の建物が建ち並んでいます。

建物の裏側は空地になっています。

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.26-P.27
映画館の「東松竹映劇」跡地のマンションの西向かいにある洋食屋の「ラク亭」。

オムライスのソースは4種類から選べます。

店内の冷ケースには、キリン、アサヒ、サッポロのビールが並べられています。

オムライス(大盛り)とアサヒビール(大瓶)を注文。トマトソースとケチャップソースの違いを訪ねたところ、「トマトソースは自家製、ケチャップソースは、うちで作っていません。」とのことなので、トマトソースを選択しました。

今回は、筒井町(愛知県名古屋市東区)の町並みと風俗を散歩します。
筒井町商店街は、尾張徳川家の菩提寺である建中寺を中心に東西約300mの門前町です。*1

かつて、建中寺の前の一画には、映画館の「東松竹映劇」がありました。戦前から「八千代館」の名で営業し、戦後は一時、キャバレーに転向していました。*1

現在は、マンションになっていて、1階には、たこ焼きとカレー店が入居しています。

筒井町商店街は、かつてのような賑わいはありませんが、最近は、フランス料理店やたこ焼店ができて、昔からのうどん店や和菓子店もあるので、グルメロードとして注目されています。*1

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.30-P.33
舎人町の「とみや」の屋号が残る建物。

当時の住宅地図によると、「とみや」の隣に「春日寮」、その隣に「中京祇園会館」(写真左奥のマンションのあたり)がありました。*1

同じ通り面して建つ料理「市松」。独特の意匠の建物です。

当時の電話帳*2 の”料理”の項を見ると、「市松」「若松」「小山料理店」「松月」「九十九」「久和」「よこい」などの料理店の所在地は、東区、”舎人”もしくは”祇園街”と記載されています。同様に、”芸ぎ”の項にも、”舎人”もしくは”祇園街”の記載があり、この一帯の花街は、「祇園街」もしくは「中京祇園街」と呼ばれていたようです。

【参考文献】
*1 善隣出版社:名古屋市東区(善隣出版社,1972)P.52
*2 東海電気通信局:名古屋電話番号簿(東海電気通信局,1968)P.412-P.414
今回は、舎人町(愛知県名古屋市東区)の町並みと風俗を散歩します。
舎人町は、戦災をまぬがれたおかげで、戦後の立ち直りは早く、戦後さらに名声を加えました。社用族の二次会どころの故に客足が遅く、十時頃からの客が多く、ついでに寝ていく客も多かったことから、昔から舎人町のトンネル芸者という変なダジャレのあだ名をつけられていました。*1

現在の舎人町は、閑静な住宅街ですが、ところどころに、当時の面影を残す建物が建っています。

こちらのお宅は、料理屋だったようです。

「若房」の屋号が残っています。昭和51年の住宅地図*2 には、料理「若房」その東隣に割烹「久和」、西隣に割烹「岩松」があり、この付近は料亭街でした。

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.29
*2 日本住宅地図出版:名古屋市東区(日本住宅地図出版,1976)P.52
長者町繊維街は、丸の内から錦までを南北に貫く長い通りです。大きな看板が連なります。

主人が先頭に立って働く”現金取引”、”薄利多売”の商法は、長者町を日本有数の問屋街へと発展させる原動力となり、大正末期から昭和にかけての繊維卸問屋街時代を迎えました。*1

現在も繊維問屋が建ち並びます。

洋服の専門問屋。

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.126-P.127
長者町のレストラン「ザ・カワブン・ナゴヤ」の南側を東西に魚ノ棚通りが交差しています。
魚ノ棚通りを東側に入ったところに老舗料亭の「河文」が昔の佇まいそのままの姿で建っています。

登録有形文化財に指定されている建物。

建物の壁面に、「魚ノ棚通り」の説明が書かれています。江戸時代(元禄年間)は、料亭がありました。

玄関の奥には、葵の紋。
当時は、お昼から三味線の稽古の音がして、このあたりは大変賑やかでした。夜は芸妓さんを呼んで、本当に線香を立てていたそうです。「花代(線香代)」は、一本十二銭でした。*1

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.126-P.127