大津(桶屋町の花街跡)揚屋町として栄えました。

桶屋町は、道路を隔てて東西に延びています。東の桶屋町は、昭和初期の建物が並ぶ住宅街となっています。格子の窓や、二階には木の手すりも多く残っています。*1

三代続く医者のお宅。*1

西の桶屋町は、遊廓があった柴屋町に接しているため、飲食店が軒を連ねています。建物には、昔、芸者置屋さんだった雰囲気が残っています。*1

桶屋町は、揚屋町として栄えました。遊客は、この揚屋へあがり、置屋から遊女を呼び出し、遊興を楽しみました。*1

【参考文献】
*1 大津の町家を考える会:大津百町物語(サンライズ出版,1999)P.62

参考文献

参考記事

大津(古い民家)遊廓があった柴屋町。旅館、料理だったと思われる建物。

貞享5年(1688年)の「日本永代蔵」に「柴屋町より白女よび寄、客の遊興昼夜のかぎりもなく」とあり、大津の柴屋町(現在の長等2、3丁目)は、賑わいのある評判の遊廓でした。町の東西南北には大門があり、廓内に約30軒がありました。

「旅館えびすや」と思われる建物。*2

かつては、妓楼だったのかもしれません。

「料理きくや」と思われる建物。*2

【参考文献】
*1 地名辞典(岐阜県)
*2 善隣出版社:大津市(善隣出版社,1971)P.4

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大津(トンネル路地)2階建ての長屋。コの字型に曲がって、元の通りへ戻ります。

薬局の建物にあるトンネル路地(ろーじ)。
この近くには、花街組合の建物がありました。*1

トンネルを抜けると2階建ての長屋が連なる路地が続いています。
この付近には、「松の家」「グリル花柳」「クラブ古都」「ニューコンパ」などのバーやクラブがありました。*1

路地は、コの字型に曲がって、元の通りへ戻ります。

路地の曲がり角のあたり。

【参考文献】
*1 善隣出版社:大津市(善隣出版社,1971)P.4

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大津(スチームバスセンター跡)現在は料理屋。柴屋町へ向かう途中の交差点。

今回は、大津(滋賀県大津市)の町並みと風俗を散歩します。
京阪電気鉄道石山坂本線の三井寺駅で下車し、柴屋町を目指して南下すると、途中に交差点があります。

交差点を西側からみたところ。交差点の角には、かつてスチームバスセンターがありました。

現在は、料理屋の建物が建っています。

近くには、料理屋の「豆信」。登録有形文化財に指定されている建物です。

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長浜(海洋堂フィギュアミュージアム)美少女フィギュア。

長浜の黒壁スクエアに、海洋堂フィギュアミュージアムがあります。海洋堂は、ガレージキット・フィギュア・食玩等の各種模型を製作する有名企業です。
フィギュアとは、さまざまな、キャラクター人形を指します。

美少女フィギュアのゾーン。美少女フィギュア造型の第一人者BOME氏の作品を中心に展示されています。

美少女戦士セーラームーンのセーラー戦士たち。

ゲーム「いきなり はっぴいベル」より「鷺ノ宮柑子」。

近年、フィギュアは、アニメやゲーム作品に登場する美少女タイプが多様化し、「保存用」「観賞用」「実用」というという言葉や概念で区別されるようになりました。*1

【参考文献】
*1 斎藤環:戦闘美少女の精神分析(筑摩書房,2006)P.66-P.70

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長浜(妙法寺周辺の料理屋)和風の佇まいがよく似合います。

南片町の妙法寺周辺には、スナックや料理屋が点在していて、色町の風情を感じます。

和風の佇まいがよく似合います。

「和風スナック」と書かれた料理屋の建物。

新しい建物ですが、こちらも「和風スナック」と書かれています。

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長浜(長浜遊廓跡地)南片町。風情のある飲み屋街の通り。

長浜遊廓は、長浜町字南片町にありました。*1

大日本職業別明細図*2 によると、このあたりが南片町で、この付近には、遊廓事務所もありました。

風情のある通り。この通りの奥には、「みゆき」「弥生」「かをる」「シルバー」「美知子」「多恵」などの店が入る「東仲見世」*3 という名の飲み屋街の建物がありましたが、現在は取り壊されて更地になっています。

「高崎屋」という旅館の建物。「全国遊廓案内」*1 によると、同名の屋号の妓楼がありました。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌(三一書房,1993)P.117 「全国遊廓案内」
*2 日本交通社:大日本職業別明細図 長濱町(日本交通社,1936)
*3 日本住宅地図出版:長浜市(日本住宅地図出版,1980)P.61

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長浜(駅前の白ポスト)エスカレータ横。白と青の美しいコントラスト。

今回は、長浜(滋賀県長浜市)の町並みと風俗を散歩します。

JR長浜駅のエスカレータ横に白ポストがあります。

白と青の美しいコントラスト。「白ポスト」の文字が鮮明に描かれています。

「ゴミ箱ではありません。」の注意書き。

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歌舞伎町(白川郷)ホテル白川郷の前身は岐阜県白川郷。

歌舞伎町の繁華街の中心部。

「白川郷」という屋号の旅館があります。

ホテル白川郷の前身は、1958年に、岐阜県白川郷の「合掌造 り」を新宿歌舞伎町に移築し復元した「割烹白川郷」です。1992年に「ホテル白川郷」として生まれ変わりました。*1

歌舞伎町には、「春秋会」と呼ばれるホテル経営者のグループがあって、グループのメンバーは、すべて岐阜県大野郡荘川村中野から移り住んだ人たちでした。川村中野は、合掌づくりで有名な白川郷と境を接した集落で、昭和35年の御母衣(みほろ)ダムの完成により、現在は、ほぼ全域が水の底に沈んでいます。*2

【参考URL】
*1 有限会社白川郷:「ホテル白川郷」公式ホームページ「白川郷名称の由来
【参考文献】
*2 朝倉喬司:ヤクザ・風俗・都市(現代書館,2003)P.68-P.70

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この記事を参照している記事

歌舞伎町(三経ビル)ポストモダン建築。

歌舞伎町(旅館跡)青いタイルで全面装飾。新宿区役所裏。

新宿区役所裏の老舗のファッションヘルス店のある路地。

「レンタールーム」と書かれた元旅館の看板。

青いタイルで全面が装飾されています。

宿泊料3500円の貼り紙。

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