渋谷(コードーム専門店)豊富な品揃え。センター街。

今回は、渋谷(東京都渋谷区)の町並みと風俗を散歩します。
渋谷の「センター街」は、若者で混雑する繁華街です。

人通りの多い場所にコンドームショップがあります。明るくポップな雰囲気で、「コンドーム」と聞いたときに感じる暗さはここではまったくありません。*1

カラフルでさまざまな形状の商品が扱われています。
ガングロ女子高生にバカ売れした蛍光コンドームなども品揃えされています。*2

コンドームショップに若者が訪れ、楽しくコンドームを選ぶのはごく日常的な光景となっています。*1

【参考文献】
*1 今福 貴子:性と健康(2002.11)「ルポ コンドーム販売店 コンドマニアに学ぶ」P.28-P.30
*2 週刊ポスト:週刊ポスト(2000.04.14)P.54「ガングロ女子高生にバカ売れ!光るコンドーム」

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新宿(芸能浅間神社)圭子の夢は夜ひらく。芸能の神様。

花園神社境内に、末社として芸能浅間神社が祭られています。これは、江戸時代より盛んになった富士山信仰の富士講が元になっていて、ミニチュアの富士山と浅間神社を祭りしていたものを現代の芸能の神様として位置づけたものです。*1

八代亜紀さん、由美かおるさん、など多くの芸能人の名前が見えます。

宇多田ヒカルさんの母親として知られる藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑。

芸能浅間神社の社号標は、歌手の八代亜紀さんによって奉納されました。八代亜紀さんは、デビューの1973年より花園神社にヒット祈願に訪れ、1980年に「雨の慕情」が大ヒットしました。

【参考文献】
*1 長浜淳之介:荷風!Vol.9(日本文芸社,2006)P.21「花園神社物語」

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新宿(威徳稲荷神社)花園神社の境内。男根模型。

花園神社の境内の中にある威徳稲荷神社。赤い鳥居が連続します。

額の後ろに木彫りの男根模型が飾られています。

祈願する女性が男根をなでやすいように、乗るための台が置かれています。*1

後ろ側には石でできた男根があります。2つの睾丸もリアルに表現されています。男根は修理した形跡があって、痛々しく感じます。
風俗ライターの松沢呉一によると、昔はこれが何本もあったが、酔っぱらいが折ってしまったそうです。*2

【参考文献】
*1 町田忍:東京ディープ散歩(アスペクト,2008)P.50
*2 松沢呉一:風俗見聞録(ポット出版,2003)P.126

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新宿(質屋)ネオン管の看板。歌舞伎町方面へ行く路地。

新宿三丁目から歌舞伎町方面へ行く路地。

古い質屋があります。

入口のシャッター。

レトロなネオン管の「質」の看板。

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新宿(トルコ芳泉)日本最初のトルコ風呂。

昭和初期、新宿5丁目交差点の南東側に、「トルコ芳泉」がありました。*1

「トルコ芳泉」は、公衆浴場とサウナ風呂として昭和25年にオープンした日本最初のトルコ風呂でした。サウナ風呂には、一人の個室と三人一部屋の個室があって、それぞれ一人づつサウナ嬢が白いパンツにブラジャー姿で首だけ出るサウナボックスに入れ、汗が出ると冷たいタオルで拭いてくれました。時間がくるとボックスから出てベッドに横たわりマッサージをしてくれる健康的なもので、大体1時間ぐらいでした。初めての人は友人と連れ立って三人部屋を希望しますが、何故か二回目には一人個室を求め常連となる人が多かったそうです。その後トルコ風呂は大流行し、競争が激しくなり、スペシャルサービスを行うようになって、健全なサウナは風俗営業になってしまいました。*2

現在は商業施設のビルに建て替わっています。

当時の面影はありません。

【参考文献】
*1 住宅協会:新宿区東部(住宅協会,1960)P.35
*2 武英雄:内藤新宿昭和史(武英雄,1998)P.108

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新宿(ラシントンパレス跡地)ハッテンバでした。

「新宿二丁目東」交差点は、ゲイの街「仲通り」の入口にあたる場所です。

その「新宿二丁目東」交差点の南側に、ガラス張りのビルがありますが、この場所には2006年頃まで「ラシントンパレス」という新宿二丁目の特殊性を象徴するようなテナントビルがありました。その最上階をまるまる占めていたのは、「スカイジム」というゲイ専用のサウナで、ハッテンバ(ゲイの性の社交場)でした。*1
ラシントンパレスは、戦後新宿二丁目では一番早く建てられた大きなビルで、羅府飯店が中国名でした。*1*2

ビルの裏の路地。

路地の反対側にはアーチがあって、昔の雰囲気を伝えています。

【参考文献】
*1 竜超:消える「新宿二丁目」(彩流社,2009)P.120,142-P.143
*2 武英雄:内藤新宿昭和史(武英雄,1998)P.108

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新宿(新千鳥街)赤線当時のムードが残っています。

「新宿二丁目」の仲通りの真ん中あたりに、木造商業施設「新千鳥街」があります。

レトロな呑み屋さんが集まっています。

赤線だった当時のムードを疑似体験できる数少ないスポットです。*1

「営業中」の看板。

【参考文献】
*1 竜超:消える「新宿二丁目」(彩流社,2009)P.40

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新宿(大宗寺)新宿遊廓の楼名の玉垣。内藤新宿の遺構。

今回は、新宿の町並みと風俗を散歩します。
新宿2丁目に大宗寺(だいそうじ)があります。江戸時代の内藤新宿の数少ない遺構の一つです。近くには新宿遊廓がありました。

新宿遊廓の楼名の玉垣があります。

不二川楼本店、第一港楼の名前があります。

新港楼。

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国立(はとの湯)サウナの看板。建物の前は更地。

国立市街の南東のはずれに、銭湯のはとの湯があります。建物の前は更地になっているので、道路から建物の全景が見えます。

「サウナ」「コインランドリー」と書かれた看板。上から裸電球で照らされるようになっています。

入口付近。

入口の下駄箱。休業日の前日には、「明日は休業」の札がかかります。

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国立(連れ込み旅館跡)浄化運動の起こり。昭和26年頃。

駅間のロータリーから南東方向の住宅街に、昭和26年頃、連れ込み旅館が急増しました。また、国立駅付近に稲荷神社をつくって、その門前町に特殊飲食街を建設しようとする計画もありました。*1
下宿屋が学生を追い出して旅館に鞍替えするところも現れ、また、子供が銭湯で性病に感染したことが、これは売春婦からうつされたものだという噂が流れました。*2

昭和26年、この連れ込み旅館を追放しようとする浄化運動が起こりました。避難の主な対象となったのは、付近の国立ホテルと新国立ホテルの2軒でした。安眠妨害になるほどの嬌声やダンス騒ぎ、出入りする自動車の爆音など、旅館の近くに住む主婦たちの訴えから持ち上がったものでした。*1

国立ホテルがあったあたり。*1

新国立ホテルがあったあたり。*1

浄化運動を推進する人々は「文教派」と呼ばれ、町議会で、国立の「文教地区指定」を決議することを目標にしました。一方、「反対派」は、「経済発展のためには文教地区指定は障害になる」「町がさびれ税金が高くなる」「文教派の運動は、反米の政治運動だ」だと非難し、一部の町民を動揺させました。これに対して文教派は、国会やマスコミにも訴え、世論で反対派を包囲することにより、町議会で議決を勝ち取りました。*2
【参考文献】
*1 りべらる(昭和26年9月号)P.86-P.93「学園都市『春の宿』追放騒動記」
*2 「くにたちの歴史」編さん専門委員会:くにたちの歴史(国立市,1995)P.207-P.211

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