小樽(稲荷小路)小路の奥に稲荷。入口にアーチ。

嵐山新地*1 の東側(JR函館線の高架を隔てた反対側)に稲荷小路があります。

稲荷小路のアーチ。

その名の通り。奥には稲荷神社があります。

夜の稲荷小路

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小樽(嵐山新地)花園町。JR函館線の高架近く。

小樽市花園の花街エリア。JR函館線の高架近くに、嵐山新地があります。

嵐山通りに面したところに、もう一つのゲートがあります。

ゲートの裏側には「ありがとうございました。」

夜の嵐山新地。

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小樽(保証牛乳の牛乳箱)北のおいしさ開拓使。

小樽市相生町。緩やかな下り坂です。

古い理容室の建物に緑色の牛乳箱。

「北のおいしさ開拓使」と書かれている保証牛乳の牛乳箱。
明治時代、北海道が農業(牧畜)を中心に開拓が進められてきたことを想わせるキャッチフレーズです。

緑色が鮮やかです。

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小樽(手宮線跡)はるかノスタルジィ。色内町。

小樽には、町の海側を走るもう一つの鉄道として、手宮線がありました。現在も手宮線の遺構が色内町に残されています。

飲食街跡の建物*1 の裏側。

線路沿いは保存活動が進み、綺麗に整備されています。

色内1丁目12-12には、料亭「新松島」がありましたが、残念ながら平成11年に解体され、現在はマンション(写真左奥)に建て替わっています。*2

料亭「新松島」は、映画「はるかノスタルジィ」で、少年時代の綾瀬が娼婦の母親に会いに行くときの娼家街入口の撮影で使用されました。*3。
映画「はるかノスタルジィ」では、作品の随所に小樽の美しい町並みが紹介されています。石田ひかりさんのヌードも話題になりました。
【参考記事】
*1 風俗散歩(小樽):色内町の飲食街跡(2009.9)
【参考文献】
*2 小樽再生フォーラム:小樽の建築探訪(北海道新聞社,1995)P.39
*3 小樽駅観光案内所:はるかノスタルジィin小樽ロケーション・イメージマップ(1991)

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小樽(色内町の飲食街跡)小林多喜二が歩いた町。

色内1丁目に、廃業した飲食店の建物が残る一画があります。

酌婦との出合いを描いた小林多喜二の作品「その出発をした出発した女」の舞台となったあたりです。*1

通りに面して、居酒屋やスナックの建物が建ち並んでいます。

飲食店街の北端のあたり。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)P.36-P.37

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小樽(裕次郎ホーム)等身大のパネルがあります。

今回は、小樽(北海道小樽市)の町並みと風俗を散歩します。
別名「裕次郎ホーム」と呼ばれている小樽駅4番ホーム。

「裕次郎ホーム」には、石原裕次郎さんの等身大パネルが設置されています。

等身大パネルの脇には、「1978.5.15 石原裕次郎この場にたつ」と書かれたプレートがあります。

石原裕次郎さんは、1934年12月28日兵庫県神戸市に生まれ、幼少期を北海道小樽市で過ごしました。

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釧路(栄楽街)飲食店と風俗店が密集する一画です。

釧路市街の栄町に、栄楽街と呼ばれる一画があります。十文字の路地の出入口にあたる場所には、それぞれ、北口、南口、西口、東口と書かれた看板があります。

東口付近。

路地の中心部。飲食店と風俗店が密集しています。

南北に走る路地。

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釧路(佐野碑園)啄木が初めて芸妓を知った場所。喜望楼跡地。

今回は、釧路(北海道釧路市)の町並みと風俗を散歩します。
釧路市内には、石川啄木ゆかりの場所が数多く残されています。
石川啄木は、「釧路新聞社」に就任のため、明治41年、23歳のときに、釧路駅に着きました。初めの頃は夜な夜な桃源郷の気分で紅灯の巷に遊びました。*1*2

喜望楼は、当時釧路第一級の料理屋で、啄木が釧路に来て初めて芸妓というものを知った場所でした。現在、喜望楼があった場所は、佐野碑園となっており、園内に喜望楼跡の碑が建っています。*2

料亭鹿島屋は、当時の新聞記者がよく集まった場所で、助六、市子などの芸妓がいて、啄木の艶種記事「紅筆便り」の取材源でした。「武冨私道」と呼ばれる緩い坂道の途中にありました。*2

坂を登りきったところに、「武冨私道」と書かれた小さな石碑(写真右下)が残っています。明治40年代は小さな酒場が並んでいて、啄木は何度もこの坂を上り下りしました。*1

【参考文献】
*1 永田秀郎:路街並み今・昔(北海道新聞社,2005)p.62,P.68-P.69
*2 鳥居省三:石川啄木 第2版(釧路市,1981)P.19,P.176-P.177

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標津(野付半島)歓楽街伝説の謎を追って。

砂浜草原が広がる野付半島。後方に知床連峰が見えます。

幻の歓楽街伝説を追って、野付半島を南下します。30分ほど歩くと、ここから先は車両乗入れ禁止となります。

さらに歩くこと約1時間。野付半島の南端部にたどり着きました。わずかに漁業施設が点在するのみで、周囲は一面の草原と湿地です。

さらに道を進むと、周囲に湿地が増え、歓楽街「キラク」があったとされる砂嘴(さし)からは徐々に遠ざかってしまいます。「キラク」があった方角を遠望し、この地点から引き返すこととします。

【参考文献】
*1 なるほど知図帳日本編集部:歴史の足跡をたどる日本遺構の旅(昭文社,2007)P.20-P.27

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標津(野付半島)距離16Kmの近くて遠い島。

知床半島と根室半島のちょうど中間に野付半島があります。

野付半島は、鳥の羽根のような形をした砂嘴(さし=潮流で運ばれた砂が長い年月で堆積した地域)で、その大きさは全長28Kmに及び、日本最大です。大部分は、砂浜草原と湿地原で構成されています。

半島の中央部にあるネイチャーセンターに、「幻の歓楽街『キラク』」の説明があります。
「キラク」は、江戸時代末期まで、交易や漁業の拠点として栄え、40~50軒の家がありました。そこには遊廓があり、多くの女性が住んでいました。*1*2

ネイチャーセンターからは、距離16Kmの近くて遠い島である国後島(ロシア領)を望むことができます。

【参考文献】
*1 なるほど知図帳日本編集部:歴史の足跡をたどる日本遺構の旅(昭文社,2007)P.20-P.27
*2 朝日新聞北海道版(1995.1.22)P.20

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