藤野(吉野宿ふじや)郷土資料館。「藤屋」の屋号で旅館業に従事。再建後は農業に専念。

今回は、藤野(神奈川県相模原市緑区)の町並みを散歩します。
JR藤野駅から東へ1km。沢井川をの向こう側は、吉野宿があった場所です。

ここに、かつてのの旅館「藤屋」の建物を活用した郷土資料館「吉野宿ふじや」が建っています。
「藤屋」は、明治29年12月29日の吉野大火まで、旅館業に従事していましたが、再建後は旅館業でなく農業に専念しました。2階は当初から蚕室としての使用目的につられました。

館内には、当時の街道の写真が展示されています。

吉野宿の街道の様子を記した古文書。

参考文献

*1
横浜国立大学工学部建築学コース「実践的地域共生まちづくり」プロジェクトチーム藤野の魅力再発見 vol.1ふじの里山クラブ2008.3
郷土資料館ふじや

大房家は明治29年12月29日の吉野大火まで「藤屋」の屋号で旅館業に従事していた…

参考記事

石和温泉(石和温泉銭湯)銭湯と食堂が合体。「ラーメン」の暖簾。

石和温泉にある「石和温泉」という名の銭湯。銭湯と食堂が合体した店舗です。

入口には「ラーメン」の暖簾。

「ラーメン」の暖簾の向こう側は、店の厨房になっています。
食堂というよりは、居酒屋に近いメニューです。

風呂上りに、ビールを頂きます。

参考文献

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石和温泉(かどや食堂)店内に大きな柱時計。ラーメンコショー。

石和温泉の中心街にある「かどや食堂」。ラーメンを中心に、丼、カレー、定食など。

店内には、大きな柱時計。

ラーメンとビールを注文。

ラーメンコショー。

参考文献

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石和温泉(ロマンの館)さくら温泉通り。石和秘宝館の文字。

「さくら温泉通り」を東へ進んだところ。

1階に飲食店やスナック店が入る建物。

壁面に、「石和秘宝館」「石和ロマンの館」の文字。

かつての秘宝館だったのでしょうか。

参考文献

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石和温泉(ニュー八田街)コの字型の飲食街の建物。湯けむり通り。

居酒屋やスナックなどが建ち並ぶ「湯けむり通り」。

「ニュー八田街」の看板。

コの字型の飲食街の建物。

八田会館。

参考文献

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石和温泉(温泉発祥の地の碑)石和源泉足湯ひろば。

今回は、石和温泉(山梨県笛吹市)の町並みを散歩します。
さくら温泉通り沿いにある「石和源泉足湯ひろば」。

足湯の奥に、石碑が建っています。

「高熱温泉発祥之地」の碑

石和の温泉は、大蔵経寺山(現在の石和温泉駅の北側)のふもとに明治時代から湧いていましたが、昭和36年、山梨交通保養所の敷地内で井戸を採掘していたところ、摂氏60度以上もある温泉が噴き出しました(案内板より)。

参考文献

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湯村(竹中英太郎記念館)挿絵原画などの展示。「銀座事件」復刻。

湯村温泉の温泉街から坂を登ったところにある「竹中英太郎記念館」。

昭和初期、探偵・怪奇小説で有名な江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作などの挿絵画家として一世を風靡した竹中英太郎の挿絵原画などが展示されています。*1

大正六年に創刊された雑誌「主婦之友」に連載された「銀座事件」は、竹中英太郎の挿絵に導かれて物語の深みに入っていきます。

「銀座事件」の復刻版を購入。

参考文献

*1
竹中英太郎記念館湯村の杜 竹中英太郎記念館竹中英太郎記念館 リンク

甲斐の山並みを一望できる湯村山の高台に「湯村の杜 竹中英太郎記念館」があり…

*2
三上於菟吉銀座事件MM PROJECT2024
三上於菟吉という人とその魅力解説

P.344
三上於菟吉は、大正から昭和の初めにかけて、時代を駆け抜けた大衆小…

参考記事

湯村(湯村食堂)温泉街の中心部。理髪店との二毛作店。

湯村温泉街の中心部。温泉旅館やスナックなどが建ち並ぶ一角に、らーめん店の湯村食堂があります。建物の右側半分は、ヘーアサロンです。

ラーメン中心のメニュー。

チャーシューワンタンメンとビールを注文。

建物の側面。

参考文献

参考記事

湯村(鷲の湯跡)湯村八蹟。旧技芸組合練習場。

今回は、湯村(山梨県甲府市)の町並みを散歩します。
バス停の「湯村温泉通り」の近く。

ここには、「1羽の鷲が日に何度も草むらに降り立つ場所に湯気が立っているのを見つけて、掘り当てた温泉。」との伝説を持つ鷲の湯がありました。長年公衆浴場でした。*1

公衆浴場があった場所には、旧技芸組合練習場の建物が建っていました。*2

現在、この付近は再開発中です。

参考文献

*1
土橋里木甲州の伝説日本の伝説 10角川書店1976

P.43
1羽の鷲が日に何度も草むらに降り立つ場所に湯気が立っているのを見つ…

*2
甲府市広報こうふ甲府市
2012年8月号2012.08
とびだせ!市民レポーター!
湯志麻稲荷大権現

かつての湯村温泉には芸者衆が多数いて、「湯村芸妓組合」がありました。芸子さ…

参考記事

上野原(関山遊廓跡地)鷲神社附近一帯。跡地に建つ旅館の建物。

かつて、中央高速道の手前に質素な鳥居と一寸した境内もつ鷲神社(おおとりじんじゃ)がありました。かつて、この附近一帯に、遊廓が設置され、新地と言われました。*1
鷲神社はこのあたりにありました。*2

明治の中ごろ、上野原宿は一六市が開かれ、絹問屋や仲買い商人のだんな衆で賑わいましたが、夜の遊興は隣の吉野遊廓(神奈川県藤野町)に流れてしまい、上野原町の繁栄の妨げとなっていました。そのため、遊廓が建設されることになりましたが、「風紀上よくないから宿から遠ざけろ」といった声があがり、明治33年12月、関山遊廓が建設されました。翌年8月、遊廓から歩いて5分の場所に中央線上野原駅が開通し、交通の便を得た関山遊廓はその後全盛を極めました。*3


昭和21年(1946)年の公証廃止令によって遊廓は表面上消滅しましたが、その後は特殊飲食店(赤線地帯)として存続。終戦直後はもっぱら米兵の慰安所として利用され、昭和27年頃から米兵に代わり町内や周辺の人がちで少し賑わいを増しましたが、昭和33年3月に「買春防止法」の施行によって全面的に解消されました。

遊廓跡地に建つ旅館の建物。

参考文献

*1
守屋千尋上野原の歴史研究 第三篇路傍の文化守屋千尋1986.09

P.94
図16 路傍文化の探訪 新田地区
・No.8:鷲神社

P.65
大鷲神社の記載。:

*3
上野原町誌編纂委員会上野原町誌 下上野原町誌刊行委員会1975.7
娯楽施設
遊廓

関山遊廓

明治の中ごろ…

参考記事