山ヶ野(大隈横川駅)鉄道ファンにはおなじみの駅舎です。

今回は、山ヶ野(鹿児島県霧島市)の町並みと風俗を散歩します。
JR肥薩線の大隈横川駅の駅舎は100年以上前に作られた木造駅舎です。

現在は無人駅になっています。

駅舎は、国の登録有形文化財に指定されています。2つ隣の嘉例川駅と並んで鉄道ファンに人気の駅です。

機銃掃射の跡。

ここから先の肥薩線吉松駅-人吉駅間は、ループ線やスイッチバックなどがり、当時の蒸気機関車が登れる最大勾配の路線です。そのため、途中の車窓は山あり谷ありで、「日本一の車窓」として知られています。

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鹿児島(名山町の路地)木造家屋の飲み屋街です。

鹿児島市内の名山町に木造家屋の飲み屋街がひしめく路地があります。昭和のなつかしさを感じることができる場所です。*1

後方のビルは、市役所新館です。

なつかしさが残る長屋の佇まいです。

飲食店も営業中です。

【参考文献】
*1 深見聡:鹿児島の史と景を歩く(南方新社,2004)P.38-P.40

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鹿児島(甲突町)旅館の面影のある建物。

甲突町のメインの通りには、旅館やスナックだったと思われる建物が数軒残っています。

タイルの装飾があるお宅。現在はタクシー会社の建物になっています。

甲突町のメインの通りから、脇道に入ると元旅館だった建物が建ち並びます。

戦後間もない時代に建てられたと思われる民家が残っています。木村聡さんの「消えた赤線放浪記」*1 にも掲載されている建物です。

*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.341

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鹿児島(沖之村遊廓跡地)現在の甲突町。思案橋。

今回は、鹿児島(鹿児島県鹿児島市)の町並みと風俗を散歩します。
明治32年、鹿児島市の塩屋村字沖田(現在の甲突町)に沖之村遊廓が設置されました。*1
沖之村遊廓は、甲突川を南の境とし、清滝川を北の境とする場所にありました。その清滝川に、思案橋と呼ばれる橋がかかっています。
思案橋は、ここらでいっぱいやった遊客が、この橋を渡って遊廓へ行こうか、それともこのままおとなしく帰ろうか思い案じる橋で、「思案橋」と名づけられた橋は、江戸の吉原をはじめ、各地の遊里の入口に見られました。*1

思案橋を渡ると、交差点に出ます。交差点の角には、昭和の初期からこの場所にある*2 城南派出所があります。

派出所の脇に「沖之村跡」の碑があります。この碑によると「沖之村」は「おっのむら」と発音するようです。

明治40年の遊廓付近の図*2 によると、この道の両側に妓楼があったはずですが、現在その面影はありません。

【参考文献】
*1 芳即正:かごしま女性解放史(高城書房,2004)P.73,77-P.78,P.84
*2 鹿児島市案内図(白楊舎,1932)折込地図6

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博多(路地の牛乳箱)植木鉢で飾られています。

旧水茶屋の通りにある質屋の脇の路地。この先に緑色の箱が見えます。

みどり牛乳の牛乳箱。箱の色はもちろん緑色です。

植木鉢で飾られた美しい路地が残っていました。ここにも牛乳箱があります(写真右下)。

牛乳箱も植木鉢で飾られています。

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博多(水茶屋)博多における花街の一つでした。

博多における花街は、那珂川沿いの中州、博多、石堂川沿いの水茶屋、相生、4花街がありました。このうちの一つ、水茶屋は、石堂橋から南東にのびる道筋(現在の千代3丁目)にありました。
「赤線跡を歩く2」*1 に掲載されていた写真と同じ場所。料理屋の田中屋があった場所は更地になっていました。

花街の名残を思わせる「水茶屋」という屋号の店があります。

茶房「水茶屋」。

逆方向から。

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博多(選擇寺)博多における唯一の遊女雪友の墓。

柳町では、元文5年(1740年)に選擇寺(せんちゃくじ)が旦那寺となり、遊廓でなくなった遊女のなきがらは、この寺に葬られました。*1

戒名もなく、無縁墓地に葬られる遊女が多い中、唯一、角屋の遊女雪友(二十才)は墓が建てられています。博多における唯一の遊女の墓です。*1

雪友は、他の遊女とは異なり、別格の扱いをされていたようです。

雪友は、文久元年(1861年)6月27日にこの世を去りました。*1

【参考文献】
*1 井上精三:博多風俗史遊里編(積文館書店,1968)P.67

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博多(柳町遊廓跡地)大浜小学校があった場所。

今回は、大浜(福岡市博多区)の町並みと風俗を散歩します。大浜は、旧博多港に近い、現在の下呉服町、大博町付近です。
このあたりには、江戸時代初期から柳町遊郭があり、東京の吉原と同様、元禄期に全盛を迎えました。明治44年に柳町遊廓は廃止となり、代わりに現在の住吉地区に新柳町遊廓が作られ、遊廓廃止後は旧柳町と呼ばれるようになりました。*1
柳町遊郭は、現在の大浜小学校(平成10年、大浜、奈良屋、御供所、冷泉の四つの小学校が統合され、博多小学校が開校*2)があった場所にありました。*1

柳町遊郭は、竪町の北側の下竪町を右に折れ、カギ型にちょっとまわったところに大門がありました。*1

石堂川(現在の御笠川)から見た大浜小学校跡。校舎はそのまま残されています。
石堂川の川べりまでが柳町遊郭でした。*1

柳町遊廓の名残でしょうか。大浜小学校近くの電柱には「柳」と記されています。

【参考文献】
*1 井上精三:博多風俗史遊里編(積文館書店,1968)P.9-P.11,P.193
【参考URL】
*2 博多小学校ホームページ

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中洲(薬局の看板)九州のスケールの大きさに感動です。

中洲から那珂川沿いの道を南に行った住吉橋の交差点にある薬局です。

強烈な印象の巨大看板。

天神にある赤ひげ薬局。とにかく巨大です。

絶倫粉エンペラー。

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中洲(ソープランド街)ソープランド専門ビル。

中洲のソープランド街を特徴づけるのは、風俗専門ビルです。MANZOKUビルは清流公園からも見える巨大ビルです。
中州は、全国で唯一、ソープランドの出店が可能な地域だそうです*1 が、これが原因して近代的なビル型ソープランドが誕生したのかもしれません。

楽園ビル。

ビルの1階に入っている高級店の入口。

国体道路沿いにある中州会館。

【参考文献】
*1 週刊スパ(扶桑社,2007.5.22)P.41

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