虎屋横丁近くの小路。昔の雰囲気が残っています。

ちょうちんのある飲み屋は風情があります。

看板が乱立するあたり。

ある飲食店の入口のドア。

虎屋横丁近くの小路。昔の雰囲気が残っています。

ちょうちんのある飲み屋は風情があります。

看板が乱立するあたり。

ある飲食店の入口のドア。

定禅寺通りに近い路地にあるスチワーデスサロン。懐かしい風俗店です。

レトロな看板です。店の名前は「日本空航」。某航空会社の社名に似ています。

某航空会社のマークにそっくりです。J・A・Sは、ジャパン・エア・サロンの略でしょうか。

入口(地下1階)の階段にある看板。

定禅寺通りに近いあたり。この付近には風俗店が集中しています。

「千松島パーキング」の前にピンクチラシ回収ボックスがありました。

黄緑色のデザインです。ピンクチラシの文字はピンク色で書かれています。

投入口に描かれているチラシの色もピンク色です。

今回は、国分町(宮城県仙台市)の町並みと風俗を散歩します。国分町は、JR仙台駅から地下鉄で2駅目の勾当台公園駅で下車し、すぐのところにあります。
国分町は東北一の歓楽街です。飲食店や風俗店が集中する定禅寺通りと広瀬通り付近には、張り紙などの勧誘行為を禁止する看板があります。

駐車場の前にあった看板。

ビルが独自に設置している看板も数多くあります。

こちらは、手書きの張り紙。これらの張り紙を功を奏したのでしょうか、ピンクチラシ等の張り紙は1枚もありませんでした。

大鷲神社では、今年の酉の市が行われていました。熊手には有名人の売約済みの札がつけられています。
江戸時代、宝暦・明和年間(1750~60)にはすでに酉の祭は相当な賑わいで、それ以前から年中行事として行われていました。*1

演歌歌手の北島三郎。

平沢勝栄副大臣

石原都知事とその息子たち。

吉原弁財天の中に弁天堂があります。

鉄柵に囲まれている弁天堂には、酉の市の熊手が飾られていました。

弁天堂の鉄柵内の左右に、小さな石の花立が立っています。右側の花立には、「吉原飲食店組合」の文字が読み取れます。

左側の花立てには、「新吉原女子保健組合」の文字が読み取れます。
戦後、GHQの命令により、公娼制度が廃止された結果、前借金で奴隷的に娼妓の身分を拘束することができなくなりました。売笑は自由意志となったので、性病予防制度も従業婦の自主的運営に任されることになりました。これによって誕生したのが「新吉原女子保健組合」です。*1

【参考文献】
*1 新吉原女子保健組合:赤線従業婦の手記(復刻版「明るい谷間」)(土曜美術社,1990)P.189
伏見通りは、転業アパートが連なる通りですが、半年前に散歩したときに、この場所にあった旧「金よし」*1 は取り壊され、さら地になっていました。赤線時代の名建築がまた一つ消えました。

以前は、旧「金よし」とT字路に向かい合うようにして、建っている旧「プリンセス」の建物。

独特のデザインの建物です。

遠くから眺めても、ひと目でそれと解ります。

【参考記事】
*1 風俗散歩(吉原):旧「金よし」(2006.4)
昭和33年の売春防止法施行後、吉原の赤線業者は旅館に転業し、ひところは修学旅行の学童も泊まりました。*1

旅館「喜久本」の建物が残っています。吉原今昔図*2 によると、この場所には赤線時代、「新久喜」という屋号の店がありました。

入口には、「吉原観光旅館組合員」と書かれたプレートが貼られています。

旅館「稲本」。稲本楼の関係者が開業した旅館でしょうか。

旧花街の中心部に花岡神社があります。

案内板によると、花岡神社は、花街の守護神としていくつかのエピソードが伝えられているそうです。

狛犬の裏側には、花街関係者と思われる寄付人の名前が記されています。

鳥居の裏側にも店の屋号や女性の名前が刻まれています。

かつて花街であった花岡町には、古い旅館が残っています。なかには、ビジネス旅館に転業している旅館もあります。

塀の装飾と瓦屋根が美しい旅館。

和風の建物の隣には、ファッションヘルスがあります。

「えいらく」という名の屋号の旧旅館。
