甲府(中山ユニホーム)セーラー服の原型です。

甲府市内の城東通り沿いのNTT山梨支店の近くに、ユニホームメーカーのビルがあります。

ビルの入口には、ナース服等のユニホームが展示されています。写真中央のナース服は、ピンク色で、襟が白。前チャックのデザインです。

弁天通りと交差する銀座通り商店街。山梨英和学院(明治22年(1989年)の設立)専門の制服ショップがあります。

山梨英和学院の生徒達は昔から流行に敏感で、明治33年(1900年)には、ほぼ全員がはかまを着用していたそうです。はかまを胸高くはいて歩く姿はそのころの甲府市内でも人目をひく存在でした。*1
現在の制服は、1928年に考案され、夏服は、海外から日本に入ってきたセーラー服の原型といわれています。ネイビーブルーのタイ、襟元と袖口に入っている白の3本線が特徴です。*2

【参考文献】
*1 山梨英和学院:山梨英和学院八十年史(1969)P.122-123
【参考URL】
*2 山梨英和学院:セーラー服の原型を守る制服

参考文献

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甲府(錦通り)飲食街にマッサージ店が混在。

甲府市の錦通り。中央1丁目の繁華街です。1階や地下に飲食店が入るビルが建ち並びます。

飲食街の中に、マッサージ店が混在しています。

エステ「ハワイ」。

赤い色の健康エステの看板。

参考文献

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甲府(柳小路)狭い小路に飲食店が建ち並んでいます。

甲府市中央4丁目。ビル街に「柳小路」の入口があります。

柳小路飲食店街。

狭い小路に飲食店が建ち並んでいます。

小路はL字型になっていて、北側の通りに抜けています。

参考文献

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甲府(一番街)春日ビル。ビル内の路地の飲食街。

甲府の繁華街の中心部。春日ビルの中にある「一番街」。

ビル内の路地の飲食街。

韓国エステの看板。

反対側の入口。

参考文献

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甲府(地下バー街)春日ビルの地下1階。薄暗いらせん階段。

甲府(オリンピック通り)青色のゲートが印象的です。

今回は、甲府(山梨県)の町並みと風俗を散歩します。
甲府の中心街にあるオリンピック通り。青色のゲートが印象的です。

案内図。

飲食店がひしめき合っています。

反対側から。

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潮来(遊女供養塔)西円寺。衆生済度遊女の墓建立の誌。

潮来駅の北側の長勝寺の隣に西円寺があります。長勝寺は観光地として有名ですが、西円寺を訪れる人はほとんどいません。

西円寺には、遊女の供養塔があります。

衆生済度(しゅじょう-さいど)遊女の墓と書かれています。大辞泉によると、衆生済度とは、仏語で、「迷いの苦しみから衆生を救って、悟りの世界に渡し導くこと。」だそうです。

墓の隣に遊女の碑(衆生済度遊女の墓建立の誌)があります。

----衆生済度遊女の墓建立の誌----
かつて、一世を風靡した野口雨情の哀感の詩「舟頭小唄」もその背景が遊廓の町潮来であったからこそ、いっそう世の人々の情をさそったのではなかろうか。古書の一文をかりれば、菖蒲咲く潮来の里は、奥州から中山道に通ずる要津にあたり、銚子より鉾田より凡そ内海に入る者皆ここを過ぎりければ、水駅として世に顕る。されば、古くから艶色をひさぎて、旅情を慰むるものななどありしならん。
徳川氏、府を江戸に開き、この地水戸の領となりし後は、その盛り旧にも倍し、交通益々頻繁にして、諸大名の蔵屋敷建ち、朝夕に出船入船落込客も多かりければ、藩治殊に意を用い、水戸藤柄の娼家を移し、江戸の制に倣ひて浜一丁目に公娼を許し、地方の繁栄を支える傍ら、罪人の検挙等に資せらるとあり、延宝7年(1679年)潮来の一画に正式なる遊廓が誕生したのである。明治維新後の明治5年、娼妓解放令が出され改革が行われたかに見えたが、実際は、空文化した公娼制度は、賃座敷業に変形し、却って繁栄をみた。
不夜城の妓楼に連ねる源氏名の数々、だが彼女達は好んで入籍したわけではない。年貢の上納に事欠く農家の娘、両親を失った孤児、高利の返金に迫られて親のために観念した孝行娘、義理ある人のために身を沈めた年若き妻女、かどわかされ汚されて売り飛ばされた非力な女等、殆どが善良なる子女であった。彼女達の末路は薄幸であり、殊に病を得て死んだりすると余計憐れであった。墓に刻まれることは稀で、大ていは露の世を生きた証として厄介になった寺の過去帳にひっそりと眠るのが普通だった。中には、畜生道に落ちたとして坂の途中に穴を掘り馬の轡がちゃがちゃ鳴らして埋めたものもあったとか。
遊里の巷に咲いては泡のごとく消えていった哀しい命、これこそ今日の潮来が観光の潮来として全国津々浦々に至るまで人口に及んだ礎であったろうと感慨を深くするものである。
(後略)

参考文献

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潮来(あやめ楼)通りの入口に大門が復元されています。


江戸時代、潮来が香取、鹿島、息栖(いきす)の三社詣の上り下りの船便で賑わっていたころ、この地には遊廓がありました。三社詣は、いわば男たちの隠れミノでした。*1
浜町通りには、かつて妓楼や待合が立ち並んでいました。通りの入口には復元した大門があります。*2

今は当時の面影はありません。わずかに一軒のみ当時の威容を保っているのが、旧妓楼の「あやめ楼」です。*2

入口の造りも立派です。

通りを逆方向から見たところ。

参考文献

*1
山本鉱太郎新・利根川図志 下巻崙書房出版1998.3
潮来女郎の無縁墓

P.319
潮来が香取、鹿島、息栖(いきす)の三社詣の上り下りの船便で賑わっ…

*2
大久保錦一潮来遊里史と潮来図誌・潮来絶句・潮来節デザイン・アンド・デベロップメント1993

P.115
唯一の遺構で威容を誇る旧妓楼の「あやめ楼」
P.119
角菱旅館は…

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潮来(角菱旅館)潮来の銀座通り。昔はこの付近が船着き場。

前川あやめ園から潮来下町通りを行くと、角菱旅館があります。昔はこの付近が船着き場でした。*1

角菱旅館の前の通りは、かつては潮来銀座通りと呼ばれ、西(写真右側)へ曲がると花街だった浜町です。浜町には、妓楼、芸妓屋、小料理屋などが並んでいました。*1

角菱は潮来の代表的な旅館でした。三層楼の2階、3階からは、水郷の景観を満喫することができ、料理に定評がありました。*1

案内図。

参考文献

*1
大久保錦一潮来遊里史と潮来図誌・潮来絶句・潮来節デザイン・アンド・デベロップメント1993

P.115
唯一の遺構で威容を誇る旧妓楼の「あやめ楼」
P.119
角菱旅館は…

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潮来(前川あやめ園)満開のあやめ。名物の「あやめ踊り」。

今回は、潮来(茨城県潮来市)の町並みと風俗を散歩します。潮来は、「水郷」という名で呼ばれる通り、古くから歓楽郷と知られる所です。

現在は、JRの潮来駅近くに前川あやめ園があり、6月になるとあやめ祭りが開催されます。

満開のあやめ。

名物の「あやめ踊り」。この踊りは、もともとは、娼妓が踊っていたものです。*1

【参考文献】
*1 松川二郎:全国花街めぐり(誠文堂,1929)P.197

参考文献

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潮来(潮来笠記念碑)日本レコード大賞新人賞の第1回受賞者。

神栖(居酒屋のある通り)黄色い建物の風俗店。

息栖小学校と神栖第二中学校に挟まれた通りを北上すると、居酒屋と風俗店のある看板に出会います。

右(南東)へ曲がると広い通りが続いています。

黄色い建物の風俗店。

こじんまりとした店の入口。

参考文献

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