渋川(白ポスト)駅の北側へ移動。屋根部分に傾斜がつけられた独特の形状。

今回は、渋川(群馬県渋川市)の町並みを散歩します。

白ポストは、以前は駅の南側に重厚感のある箱が設置されていましたが※1、駅の北側に移動となり、箱もスリムなものに変更されています。

「有害図書回収箱」という名称は以前のままです。※1

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屋根部分に傾斜がつけられた独特の形状です。

本庄(みんみん)創業は1964年。お薦めは酢豚。

JR本庄駅から線路沿いを北西に約200mのところに、中華料理「みんみん」があります。
店のオープンは1964(昭和39)年です。*1

お薦めは酢豚。メディアで取り上げられるほどの一品です。

昭和の雰囲気を残す店内。

酢豚とビールを注文。
昔ながらの甘酸っぱい味で、ボリューム充分です。日本酒やビールのつまみにしても合うぜいたくな一品で、50年くらい前から変わらない味だそうです。*1

参考文献

*1
埼玉新聞社埼玉新聞埼玉新聞社
この一品 50年間変わらない味「中華料理みんみん」(本庄)の酢豚2010.10.3

P.11
「中華料理みんみん」のお薦めは酢豚。見習いの頃からの料理だから50年…

参考記事

本庄(普寛霊場)密教の聖地。寄進者に吉原の楼名。

本庄市中央に、密教の聖地として知られる普寛霊場があります。

本庄普賢様の玉垣には、江戸の昔から公家や大名に始まり、町火消し、日本橋、築地、神田の市場関係者、吉原遊廓の遊女に至るまで上下の別なく名前が刻まれています。*1

普寛様は、京保16年(1731)に生まれ、享和元年(1801)に本庄の地で亡くなりました。*1

新吉原の楼名が刻まれています。

参考文献

*1
商工会議所だより 第261号2012.6.1 リンク


本庄普賢様の玉垣には、江戸の昔から公家や大名に始まり、町火消し、日本橋…

参考記事

本庄(スナックの建物)ピンク色の建物。1階部分は石材で装飾されています。

稲荷横丁の十字路※1 から東へ下る緩やかな坂道。

スナックだったと思われるピンク色の建物。

1階部分は石材で装飾されています。

反対方向から。

参考文献

参考記事

本庄(クラブ東京)「稲荷横丁」の十字路。前面部分は看板建築。

銀座2丁目の通称「稲荷横丁」の十字路。

交差点の向こう側(写真右奥)には、「はじめや」食堂がありましたが※1、現在は駐車場になっています。

クラブ「東京」

奥行きのある木造母屋。前面部分は看板建築になっています。

本庄(食堂モンキー)ボリュームがあることで有名な店。

三交通りを少し進んだところにある「食堂モンキー」。

ボリュームがあることで有名な店です。

カウンター席とテーブル席があります。

とんかつ定食を注文。大きな肉が無くなってしまったとのことで、小さなかつが2段重ねです。

参考文献

参考記事

本庄(スナック天国)蕎麦屋とスナックの併設店。

本庄駅から三交通りへ入る入口。

「スナック天国」の看板。

蕎麦屋とスナックの併設店です。

蕎麦屋の右側がスナック天国の入口です。

参考文献

参考記事

本庄(三交通り呼稱記念碑)城立寺の向かい側のあたり。「三交会」のマーク。

かつての盛り場の三交通り※1。

三交通りの東寄りの城立寺の向かい側のあたりに、「三交通り呼稱(こしょう)記念碑」が建っています。

碑の裏面には、三交通りの由来について書かれています。
ーーーーーーーー碑の裏面ーーーーーーーー
現在、昼夜の別なく人車の往来繁(しげ)き此の通りも大正時代にありては沿道の店舗も疎にして、市街地としての形態未だ備(そな)はらざりし為め、大正十年三月有志相寄り至急沿道を整備を町理事者に陳情すると共に活発なる運動を展開。漸(ようや)くその目的を達成したるを以て沿道の繁栄と住民の福祉増進を目的として会を結成し会長に飯島弥平氏を推薦した。茲(ここ)に於いて氏は本町、七軒町、仲町、三ヶ町の交叉せる地点を以て会名を三交会とし通りを三交通りと呼び、橋名を三交橋と呼ぶ事に定めて町理事者の承認を得て以来四十有余年、年と共に殷賑を極め今日に至った 有志計り由来を略記して茲に三交通り呼称記念碑を建立した。
昭和三十九年四月二十二日

「三交会」のマークでしょうか。

本庄(三交通り)昔は「親不孝通り」の俗称もあった盛り場でした。

今回は、本庄(埼玉県本庄市)の町並みを散歩します。
本庄駅北口交差点から北西へ伸びる通称「三交通り」。

三交通りを西へ進むと紅葉屋通りにぶつかります。

紅葉屋通りと交差する地点に、道路面にモニュメントが埋め込まれています。

三交通りの由来が説明されています。昔は「親不孝通り」の俗称もあった盛り場でしたが、地元で結成された三交会の活動もあり、現在は、健全な飲食街となりました。

児玉(御嶽神社)ご神体は石棒。祠には無数の男根。

御岳神社は古くから子孫繁栄、夫婦和合の神様として敬われている。創立は南北朝時代と言われ、ご神体は石棒で、神社南側の民家に安置されていて、長さ57cm太さ47cm(周長)、重さは23kgあり、普通の石棒より丸みが太く石質もよく、破損もしていない貴重な品です。その型にならってか、大小さまざまな石棒が人知れず奉納され、あまりの多さに氏子が時折片付けることもある。このあたりでは秋山の大魔羅(まら)様と呼ばれ親しまれています(案内板より)。

祠いは、木製の大きな男根2体。その奥には、無数の男根が納められています。

高さ50cmほどの石棒。案内板に書かれている「民家に安置されている石棒」に近い大きさです。

参考文献

参考記事