全国 東京都 > 江東区 洲崎 門前仲町 亀戸 亀戸五丁目 1エリザベス会館跡 古石場二丁目 2釣船橋の風景 亀戸七丁目 3亀七通り商店街 木場六丁目 4洲崎神社 東陽三丁目 5そば屋の花村 6外郭の飲み屋街 7飲み屋街のトイレ 新砂一丁目 8洲崎球場跡 牡丹三丁目 9牡丹住吉神社 富岡一丁目 10飲食街 11深川不動尊 牡丹二丁目 12第二和泉湯 三好二丁目 13雲光院 清澄三丁目 14清住庭園東側共同ビル 亀戸六丁目 平野二丁目 15洲崎遊廓寄進の墓 白河一丁目 16深川江戸資料館 住吉2丁目 門前仲町二丁目 17岡場所跡 18辰巳新道のトイレ 19辰巳新道 東陽一丁目 20アパート 21ラーメン店 22南開橋 23古いバーの建物 24旧赤線建物 25洲崎緑道公園 26旧「大賀」 27赤線跡 28追善供養碑 29電柱のプレート 亀戸三丁目 30料亭「寿々代」「七福」 31城東三業組合事務所跡 32天祖神社周辺 33天祖神社 34天神裏の張り紙 35料亭「富久家」 36天神裏 37旧遊廓跡地の蕎麦屋 38赤線跡 39遊園地跡 40香取神社 41天神湯 深川一丁目 42三角屋敷跡 0.04121
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亀戸(亀七通り商店街)大看板。両側にゲート。

江東区亀戸7丁目にある亀七通り。インパクトのある大看板。

看板の派手さに比べると、通りは殺風景です。

飲食店の他、商店が建ち並びます。

反対側(国道14号線沿い)のゲート。

亀戸(天神裏の張り紙)犬糞禁止。ビルの間の生活用の通路。

亀戸天神裏。ビルの間の生活用の通路。

人目につきずらい幅の狭い通路です。

犬の糞禁止の張り紙。

反対側にも同じ張り紙が貼られています。

亀戸(旧遊廓跡地の蕎麦屋)3階建て。4階建てにも見えます。

亀戸の旧赤線区域。特殊喫茶店「大福」があった場所に建つ蕎麦屋の建物。

3階建てだと思いますが、4階建てにも見えます。

1階は、蕎麦屋さん。

ざる蕎麦を注文しました。

亀戸(赤線跡)可憐な概観を持つ建物。奥行のあるアパートの建物。

亀戸の旧銘酒屋街。
「赤線跡を歩く」*1 で紹介されている「可憐な概観を持つ建物」が現在も残っています。

当時は、建物の左上部分に「双葉」と書かれていました。*2

タイルの装飾をコンクリートでくりぬいたような窓のデザインは同時のままです。*2

奥行のあるアパートの建物。

参考文献

*1 木村聡 赤線跡を歩く 自由国民社 消えゆく夢の街を訪ねて 1998
亀戸
P.27 ・可憐な概観を持つ建物。コンクリートをくり抜いたような窓。 ・何気なくのぞいた倉庫の中にタイ…
*2 小沢昭一 珍奇絶倫小沢大写真館 筑摩書房 2006
つわものどもが夢の跡 東京・旧赤線跡めぐり
P.224 亀戸 赤線跡「双葉」の写真。 売春防止法で、一番最初に完全転業した街。外は昔を偲べても内は工…

門前仲町

錦糸町

洲崎

亀戸

亀戸(料亭「寿々代」「七福」)三業地跡。亀戸天神の裏の通り。

かつて、亀戸天神裏の通りには、三業地が広がっていました。*1

料亭「寿々代」。
以前は、この建物の東隣の交差点の角にありました。*1*2

旧三業組合の建物※1 の隣にある料亭「七福」。

写真左手には、数年前まで、富久家の建物*1*2※2がありましたが、現在は更地になっています。

参考文献

*1 木村聡 赤線跡を歩く 自由国民社 消えゆく夢の街を訪ねて 1998
亀戸
P.27 ・可憐な概観を持つ建物。コンクリートをくり抜いたような窓。 ・何気なくのぞいた倉庫の中にタイ…
*2 都市整図社 火災保険特殊地図(戦後分)江東区[25] 亀戸天神方面 [1953-1959年] 2002
亀戸三業組合 料亭「富久家」「七福」「寿々代」 天狗湯 の記載

参考記事

※1 亀戸(城東三業組合事務所跡)江戸時代から発展。2018-10-07
※2 亀戸(料亭「富久家」)亀戸花街。天神裏の通り。2008-04-05

亀戸(城東三業組合事務所跡)江戸時代から発展。

今回は、亀戸の町並みを散歩します。
亀戸天神社裏のこの通りは、かつては、料亭が建ち並ぶ亀戸花街の中心部でした。*1

城東三業組合事務所(見番)があった建物。*2

現在は、亀戸三丁目自治会館として使われています。

この通りの北側が旧亀戸の赤線地帯です。

参考文献

*1 南桜社 東都芸妓名鑑 1930 リンク
亀戸花街の沿革 リンク
この地が花街として発展したのは、寛政年間からであって、各所に散在していたのがいつの頃よりか、今日の…
*2 上村敏彦 花街・色街・艶な街 色街編 街と暮らし社 2008
亀戸天神裏の花街と赤線跡
P.100 城東三業組合事務所(見番)があった建物。現在は、亀戸三丁目自治会館として使われている。

この記事を参照している記事

亀戸(料亭「寿々代」「七福」)三業地跡。亀戸天神の裏の通り。

門前仲町(深川江戸資料館)天保の終わり頃の深川の町再現。

江東区深川江戸資料館。江戸深川の町が再現されています。

土蔵が町並みから突出してたち、その右手前二棟は長屋、奥に火の見櫓が見えます。*1

船宿の猪牙舟(ちょきぶね)。

天保の終わり頃の深川の町が再現されています。*1

【参考文献】
*1 藤沢周平:深川江戸散歩(新潮社,1990)P.58-P.67

門前仲町(洲崎遊廓寄進の墓)浄心寺。カフェー組合の名。

深川の北側(江東区平野)の浄心寺に洲崎遊廓の関係者が寄進した供養塔があります。

カフェー組合の名。

貸座敷と刻まれています。

台座には、妓楼の屋号が刻まれています。

門前仲町(清住庭園東側共同ビル)3階建ての長屋建築。

清澄庭園の東側に、レトロな2階建ての長屋建築が残っています。

2階建てですが、所々3階建てに建て増しされいて、全体としては3階建てと言ってよいと思います。

壁面の装飾。

1階部分は、商店が入っています。

門前仲町(三角屋敷跡)東海道四谷怪談の舞台。

深川には、「東海道四谷怪談」の第4幕の舞台「深川三角屋敷」が実在します。現在、三角形のビルが建っている場所です。*1*2*3
お岩の妹であるお袖は、夫の与茂七は殺されたと信じ込み、敵討を誓ってくれた直助と暮らしています。
二人の夫婦生活は深川の三角屋敷で営まれましたが、三角屋敷の辺りには、直助屋敷とも直助長屋とも呼ばれる淫売婦の巣がありました。*4

現在の深川一丁目五番地のあたりです。

三角屋敷があった場所の三角形の底辺部分。

反対側は高速道路に面してします。

【参考文献】
*1 塩見鮮一郎:四谷怪談地誌(河出書房新社,2008)P.161-P.163
*2 花咲一男:川柳雑俳江戸岡場所図絵(有光書房,1974)P.38
*3 新創社:東京時代map.大江戸編(光村推古書院,2005)P.45,P.47
※ 「江戸岡場所図絵」*2 には、江戸時代の古地図に●印で岡場所があった場所が記されています。これと「東京時代map」*3 を重ね合わせることにより、現在の場所を推定することができます。
*4 高田衛, 吉原健一郎:深川文化史の研究 下(東京都江東区総務部広報課,1987)P.238

門前仲町(辰巳新道のトイレ)2か所。従業員用。

辰巳新道には、2か所にトイレがあります。

公衆トイレではなく、従業員用です。

東側にもう一つのトイレ。

気分が悪くなったときは、バケツにしてから女子トイレに流します。

門前仲町(辰巳新道)昭和26年に作られた屋台街。

門前仲町2丁目にある辰巳新道。昭和の風情が残る飲み屋横丁です。

辰巳新道は、昭和26年に屋台を集め、一軒三坪が基本の長屋として作られ、当時は、花屋、菓子屋、紳士服テーラーなどもありました。*1

写真の「鳥信」は、辰巳新道の中でも古い店だそうです。*1

提灯。

門前仲町(第二和泉湯)重厚な建物。立派な煙突。

門前仲町駅の南側。巴橋から、銭湯の建物が見えます。

重厚な建物。

銭湯の入口。

裏側にも通りがあります。こちらからだと、立派な煙突が見えます。

門前仲町(釣船橋の風景)江戸の深川の思わせる風景。

今回は、深川(東京都江東区)の町並みみと風俗を散歩します。
地下鉄東西線の門前仲町駅の南東方向に釣船橋があります。

乗船場の看板。

付近には、釣り船や屋形船が停泊しています。

江戸の深川の思わせる風景です。

洲崎(洲崎球場跡)遊廓のそばにあった野球場。

東陽町の運転免許センター前の通り。

現在は、企業のビルが建ち並ぶ場所ですが、2005年、ここに洲崎球場跡の碑ができました。

プロ野球草創期に、1年間で100試合近くの公式戦が行われた有名な球場ですが、埋立地につくられたため、海水が満ちてきて試合が中止になったなど、強烈なエピソードを持っています。*1

球場のすぐそばには洲崎遊廓がありました。堅物というイメージの強い巨人軍の沢村栄投手もたまに試合後に通っていたそうです。*1

*1 佐野正幸:あの頃こんな球場があった(草思社,2006)P.193-P.199

洲崎(飲み屋街のトイレ)人がようやく通れる幅の通路。

飲み屋街※1 の中央にある細い隙間は、トイレへの入口です。

人がようやく通れる幅の通路を進むとトイレのドアがあります(写真右奥)。

トイレのドア。

手洗い場。

洲崎(外郭の飲み屋街)「洲崎パラダイス」の舞台。

洲崎橋跡の右手(西側)の通り。

こじんまりとした一杯飲み屋が軒をつらねている一画があります。

映画「洲崎パラダイス」の舞台となったと思われる飲み屋街です。*1

スナック店が建ち並びます。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.14-P.17

洲崎(追善供養碑)洲崎病院の跡地。東陽一丁目第二公園。

都営洲崎住宅に隣接する東陽一丁目第二公園。ここに、洲崎遊廓の娼妓の供養碑があります。

ここは、警視庁洲崎病院の跡地です。*1

白菊の花にひまなくおく露は なき人しのぶなみだなりけり
昭和六年十一月九日
信州善光寺大本願大宮尼公台下御親修
洲崎遊廓開始以来先亡者
追善供養執行記念
善光寺より僧を招いて、開業以来廓で亡くなった無数の娼妓の霊をなぐさめるための法要を行った際の供養碑です。*1

洲崎遊廓の建物は、戦災ですべて焼失しましたが、そのような状況の中、戦前の様子を知る唯一の手がかりとなるものです。

【参考文献】
*1 岡崎柾男:洲崎遊廓物語(青蛙房,1988)P.276-P.279

洲崎(電柱のプレート)「遊園」の名。大人向け遊園地?。

旧洲崎遊廓の敷地の電柱には、2種類のプレート貼り付けられています。
一つは「南海」、そしてもう一つは「遊園」です。

亀戸の私娼街だった亀戸遊園地(現在は住宅街)の電柱には、「遊園地」と書かれたプレートがありましたが、洲崎の遊園地も亀戸遊園地*1 と同じように、『大人向け遊園地』という意味の名前だったのでしょうか。

手書きの「遊園」のプレート。

「遊園」のプレートがあるのは、戦後復興したと言われる東半分のエリアのみです。西側半分側の電柱のプレートはすべて「仙印」と書かれています。

【参考文献】
*1 風俗散歩(亀戸):「遊園地」と書かれた電柱のプレート

洲崎(南開橋)運河を渡る橋。モクレンの花が満開です。

今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
旧洲崎遊廓の南端にある南開橋。汐浜運河にかかる橋です。

運河を渡る南開橋は高い位置にあるので、ここから洲崎遊廓があった方向を眺めると、橋からは下り坂になっています。

現在、汐浜運河となっている場所は、昔は海でした。

モクレンの花が満開です。

亀戸(エリザベス会館跡)有名な女装クラブがありました。

亀戸駅北口を線路沿いに西へ行きます。閑静な住宅街です。

東武亀戸線、JR総武線の電車からも見えるこの場所に、女装者たちが集まるクラブ「エリザベス会館」がありました。*1
エリザベス会館は、エリザベス神輿*2 を寄贈したことでも有名です。

現在は、マンションに建て変わっています。

亀戸の商店街や駅ビルの「エルナード」の人たちは、エリザベス(女装愛好者)のよき理解者でした。たとえば、エリザベスのイベントで寿司大会を催すときに、寿司飯だけ売ってくれるお寿司屋さんやエリザベス割引ということで10%オフしてくれるクリーニング屋さんなどがありました。*1
駅ビルの「エルナード」は、現在は「アトレ亀戸」に代わっています。

【参考文献】
*1 内田かおる:別冊宝島 ウラ東京観光(宝島社,1998)P.66-P.71「亀戸に集まる女装者たち」
*2 風俗散歩(川崎大師):かなまら祭(2007.4)

亀戸(天祖神社周辺)たて看板が乱立しています。

天祖神社周辺の路地には、たて看板が乱立しています。

痴漢・変質者注意の看板。

この界隈には、変態者が出没するようです。

いろいろな看板があります。

亀戸(天神裏)倉庫の中のタイル張りの円柱。

天神裏の西寄りの通り。閑静な住宅街です。

工場か倉庫のような建物。

何気なくのぞいた倉庫の中にタイル張りの円柱が残っています。トタン板でカバーされています。12

上部は白のタイルです。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.26-P.27
*2 上村敏彦:花街・色街・艶な街 色街編(街とくらし社,2008)P.102

亀戸(料亭「富久家」)亀戸花街。天神裏の通り。

亀戸天神裏の通り。かつての亀戸花街のメインの通りです。

この付近で残る料亭の建物の中では、最も規模が大きいものです。

北側と東側は、高い塀で囲まれています。

整備された庭。

亀戸(遊園地跡)電柱に遊園地のプレ-ト。

亀戸天神の裏手は、かつて私娼宿があったとされる目抜き通りです。

手書きの「遊園地」

当時の面影はありませんが、この付近の電柱のプレートには、「遊園地」と書かれています。亀戸遊園地*1 の名残と思われます。

「遊園」。

亀戸(天祖神社)私娼宿の組合の名が刻まれた玉垣。

亀戸天神の裏手に天祖神社があります。

「城東三業組合」の玉垣があります。

亀戸には、私娼宿の組合である「亀戸遊園地組合」がありました。組合の規約として1軒に2人以上の私娼を置かないというのが原則でした。*1
「亀戸遊園地」の玉垣が2本、「亀戸遊園地 総代 吉田金兵衛」の玉垣が1本、全部で3本あります。
「楽天地」、「新天地」という名前はよく聞きますが、「遊園地」というのは初めて耳にする呼び名です。もちろん、この「遊園地」は大人向けの遊園地です。

亀戸3丁目 女性の名前の玉垣。

【参考文献】
*1 道家斉一郎:売春婦論考(史誌出版社, 1928)P.180-P.181

亀戸(香取神社)鳥居の柱に亀戸三業組合。

亀戸駅の北側に亀戸七福神の一つである香取神社があります。桜が満開です。

東側の鳥居の柱に「昭和三年十一月 亀戸三業組合」と刻まれています。
亀戸が花街として発展したのは、寛政年間で、水野越前守の大改革により、深川から亀戸に逃げ延びた芸者たちにより形成されたのが始まりで、その後、亀戸天満宮(亀戸天神)に参詣する人たちを相手にするようになり、急激に発展しました。*1

東側の玉垣にも「亀戸三業組合」があります。

「天神裏有志者」の玉垣。亀戸には、明治43年頃から既に私娼宿が出来ていて、大正8、9年頃が全盛で、私娼は1,000人位いたと推測されています。*2
玉垣の「天神裏有志者」とは、私娼宿の有志かもしれません。

【参考文献】
*1 東都芸妓名鑑(南桜社,1930) 「亀戸花街の沿革」
*2 道家斉一郎:売春婦論考(史誌出版社, 1928)P.180-P.181

亀戸(天神湯)旧赤線区域にある銭湯。古びた煙突。

今回は、亀戸(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
天神裏の旧赤線区域にある銭湯。

天神湯。

入口には、「ゆ」と書かれた暖簾。

古びた煙突。「サウナ」と書かれているのですが、ほとんど読み取れません。

門前仲町(雲光院)吉原の創始者の墓があります。

三好二丁目の雲光院。

門を入ったすぐ右手に、庄司甚内の墓があります。*1

庄司甚内は、吉原の創始者です。江戸の発展を見て、京都や大阪と同じように遊廓をつくることを、慶長17年(1612年)に幕府に申請、元和3年(1617年)に許可を得て、現在の東京都中央区に遊里を建設し、吉原花街を開設しました。*1*2
吉原は、明暦3年(1657年)に消失し、浅草千束村に新しい遊廓がつくられ、これを新吉原と称しました。

庄司甚内は、正保元年(1644年)69歳で没し、雲光院に葬られました。

【参考文献】
*1 江東区教育委員会:江東区の歴史(江東区教育委員会,1976)P.137
【参考記事】
*2 風俗散歩(人形町):元吉原(2005.11)

門前仲町(飲食街)かつての料亭街。深川芸者。

地下鉄門前仲町のすぐ近くに、飲食街があります。

このあたりには、かつて芸者さんを呼べる料亭街でした。*1

古い建物はほとんど残されておらず、花街の面影はありません。

深川芸者は、日本屈指の伝統と格式を誇る老舗ブランドでした。

【参考文献】
*1 荷風vol.10(日本文芸社,2006)P.41-P.46「深川花街古往今来」

門前仲町(深川不動尊)洲崎パラダイスの額。

根津遊廓や洲崎遊廓では、成田不動尊(千葉県成田市)の信仰が盛んでした。明治2年、成田山の出張所が吉祥寺の境内に設けられ、明治11年には、不動堂が建設され、遊廓を含めた花街関係者の間で深川不動尊信仰が浸透していきました。*1

不動尊の本堂内を見回すと右手に大きな額があり、洲崎パラダイスの講中の名前が刻まれています。

額の中央には、奉納成田山 内陣五講....」、額の右側には、店の名が記述されています。

額の左側には、遊廓の関係者の名前が記されています。

【参考文献】
1* 岡崎征男:洲崎遊廓物語(青蛙房,1978)P.285-P.295

門前仲町(牡丹住吉神社)玉垣に洲崎の名前が刻まれています。

門前仲町の東寄り。巴橋をわたったあたりに牡丹住吉神社があります。

ビルとビルの間に住吉神社があります。案内板によると、このあたりは、深川七場所のひとつである佃があり、後に、辰巳花街として栄えました。

玉垣には、寄進した料理屋などの名前が刻まれています。

洲崎、二楽の名前があります。洲崎の人たちが信仰していたようです。

【参考文献】
*1 中沢けい:私だけの東京散歩 下町・都心篇(作品社,1995)P.31

門前仲町(岡場所跡)深川七場所

今回は、深川(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
地下鉄東西線の門前仲町駅の周辺には、深川不動尊、富岡八幡宮などがあり、下町風情を味わうことができます。

富岡八幡宮の周辺には、江戸時代から遊里があり、深川七場所と呼ばれました。七場所とは、仲町、土橋、櫓下、裾継(すそつぎ)、新地、石場、佃の七つの遊所をいいました。*1
深川七場所の一つ、仲町は、現在の仲町通り商店街のあたりにありました。*2*3
仲町は、土橋、新地とともに、もっとも繁栄をきわめた土地です。仲町は、永代寺門前仲町の略称です。*1

裾継は、油堀に囲まれた角にありました。現在の赤札堂のあるあたりです。油堀があった場所には、現在は首都高速道路が通っています。*2*3
油堀川公園の名に当時の堀の名前を見ることができます。

櫓下は、現在の清洲通り沿いにありました。。*2*3

【参考文献】
*1 佐藤要人:江戸深川遊里志(太平書屋,1979)P.153-P.155
*2 花咲一男:川柳雑俳江戸岡場所図絵(有光書房,1974)P.38
*3 新創社:東京時代map.大江戸編(光村推古書院,2005)P.45,P.47
※ 「江戸岡場所図絵」*2 には、江戸時代の古地図に●印で岡場所があった場所が記されています。これと「東京時代map」*3 を重ね合わせることにより、現在の場所を推定することができます。

洲崎(アパート)看板に旧地名が残っています。

洲崎の東側(東陽一丁目)に古いアパートが残っています。

アパートの看板に、旧地名である「洲崎弁天町」の表示が残されています。文字のデザインもレトロです。*1

南開橋近くの民家。

古い住宅地図が残されています。昭和の時代のものと思われますが、現在と比べるとバーやスナック、銭湯などが多かったようです。

【参考文献】
*1 舟橋左斗子、山口スネ夫:散歩の達人(弘済出版社,1996.11)P.27「旧赤線の今を歩く」

洲崎(旧赤線建物)現在はアパートとして活躍中。

旧洲崎遊廓の東側の通り。

ここに、現在も原型をとどめている建物があります。

見事なファザードを持った建物です。

3つあった入口のうち、中央の入口のみが使用され、他の2つの入口は閉じられています。*1

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.15

洲崎(ラーメン店)タンメンが評判の行列ができる店。

大通りに面した商店街には、旧町名である「弁天町」の名前が残っています。

ここに毎日長蛇の列ができるラーメン屋があります。

この店は、タンメンがおすすめです。*1

シンプルな塩味です。キャベツがたっぷりなのが特徴です。

*1 散歩の達人(1996.11)P.27「旧赤線の今を歩く」

洲崎(古いバーの建物)住宅街の中に残っています。

現在は住宅街となっている通り。

古いバーの建物があります。

ニューボン。

入口には、ピンクのタイルの装飾があります。

洲崎(旧「大賀」)赤線建物の遺構。当時のままの姿で現存。

洲崎遊廓跡地に、当時のままの姿で現存する赤線跡の建物があります。

建物には、屋号が外壁に残っています。

現在は、共産党の事務所として使用されています。

タイルで装飾された大型の丸い円柱。

洲崎(赤線跡)青いタイルの八百屋の建物。かにや。

弁天町商店街の交差点の角にある八百屋。建物は、以前、遊郭であったと言われています。

通りに入って横から見たところ。

青いタイルが綺麗です。

この通りを少し進んだところにある「かにや」という屋号のお店。

洲崎(そば屋の花村)ショーウィンドウに昔の洲崎の写真。

洲崎橋の入り口にあたる交差点の角のそば屋の「花村」は、昔からあるそば屋だそうです。ショーウィンドウには当時の洲崎の写真が掲げられています。

ショーウィンドウ

昔の洲崎の写真。(上の写真の拡大)

現在の写真です。

洲崎(洲崎神社)洲崎の名を残す静かな神社。

今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
木場駅からすぐのところに洲崎神社があります。

弁天池

洲崎神社に隣接する児童公園に書かれていた絵。当時の洲崎を伝える絵です。

洲崎神社の隣の区民会館のところにある掲示板。江戸時代は洲崎神社は海岸に面していたそうです。

洲崎(洲崎緑道公園)洲崎橋は今は公園になってます。

洲崎という地名はほとんど残っていません。洲崎神社、洲崎郵便局、そしてこの洲崎緑道公園です。洲崎緑道公園は、洲崎に遊郭があったころの堀を埋め立てて公園としたものです。

大門通りと公園が交差するあたり。

「洲崎パラダイス」のアーチがあった旧洲崎橋は大門通りと洲崎緑道公園が交差するあたりです。

洲崎緑道公園は堀を埋めたたて出来た公園であるため、細長い形をしています。歩行者用の道と自転車用の道が分かれているのが特徴です。